第29話 また来ようね

 まもなくイルカショーの開園時間との館内放送を受けて、俺と莉世はその会場へと到着した。

 中央に大きな円形のプール。

 階段状に広がっている観客席は、半分くらい人が座って埋めていた。


 そこで空いている後ろの方の席を見繕って座り、視線を準備中と思しきプールへ。


「この距離なら濡れることはないと思うけど、どうする?」

「ここでいい。よく見えそう」


 なんて話していると、会場に流れていた音楽が切り替わる。

 プールに繋がる道から係員さんが登場し、合図を出すとプールを素早い影が横切り――


「跳ねた」


 水飛沫を盛大に散らしながらイルカがジャンプ。

 空中で一回転まで披露して、頭からプールの中へと戻っていく。


 すいすいと泳ぐイルカが係員さんの足元へ寄ってくると、さっきのご褒美とばかりに差し出された小魚を嬉しそうに呑み込む。


 それを皮切りとして二匹目、三匹目とイルカが登場し、息の合った動きでプールを泳ぎ回る。

 ジャンプはもちろん、係員さんを乗せて泳いだり、水中にもぐった係員さんをイルカたちが力を合わせて空へ飛ばしたり。


 その度に観客席から拍手が巻き起こり、子供たちの歓声が飛ぶ。


 莉世の横顔を窺うに、イルカショーを楽しんでいそうだ。

 だけど、見ていたことがバレたらしい。

 こちらへ視線を移した莉世はジト目のまま、


「……もしかして子どもだと思われてる?」


 微かに不満げな気配を滲ませながら口にする。

 頬もちょっと赤いから、恥ずかしがっているだけかもしれない。


「子どもとか大人とか、あんまり関係ないと思うけどな。楽しいと感じるのを隠す必要もない。そんなので揶揄ったりしないし、俺も楽しんでるわけだし」

「…………その返答はちょっとずるい気がする」

「どこが?」

「私の質問への直接的な答えは避けながら、まるごと肯定してるあたりが」


 むう、と眉を寄せる莉世のそれに、内心苦笑してしまう。


 論点をずらしたことは認める。

 そして、やっぱり子どもっぽいところもあるよな、と思ったことも。


「でも、大学生って微妙なところだよな。大人とも、子どもとも区別しにくい。大半は学費を親に払ってもらってるわけだし」

「世の中的には成人したら大人だと思うけど」

「どのみち俺は子どもか。今年二十歳になるけど、誕生日はまだだから……あ」


 そう答えてからあることを思い出し、慌てて口を噤んだ。


 誕生日は、莉世の母親の命日。

 わざとではないにしろ、思い出させるようなことを口走ったのは迂闊だった。


 莉世もそれに気づいたのだろう。

 けれど過剰に反応することもなく、ふるふると首を振るばかり。


「気にしないで。それより、湊は家族仲が良さそうでいいね」


 ぽつりと零した言葉には、隠しきれない羨望が乗っているように感じた。


「……良いか悪いかなら間違いなくいいんだろうな。両親は健在。学費も出してもらっているし、一人暮らしもそう。困ったらいつでも帰って来ていいって言われてるし、相当恵まれてるのは自覚してるよ」

「絵にかいたみたいに幸せな家族」

「えっと、その」

「だから湊といるのは幸せなのかな」


 ばしゃん、とイルカが水面を跳ねる。


 キラキラとした飛沫が舞い上がり、拍手喝采が会場に響く。


 この瞬間を。

 この感情を。


 ――もしも、幸せと定義するならば。


「……このくらいの幸せでいいなら、いくらでも付き合うさ」

「嬉しい。けど、水族館のチケットって普通に買ったら2000円くらいするみたいだよ?」

「…………たまにでお願いします」


 二人合わせて4000円の出費は貧乏学生からすると存外に痛い。


 心の底からお願いすると、莉世は仕方なさそうに笑っていた。


「イルカショーも終わったみたい。どうする?」

「最後まで見て回って……たまにはどこかで夕飯食べて帰るとか、どうだ?」

「賛成」


 観客がはけていく合間を狙って、俺たちもショーの会場を後にする。

 そしてまた順路で回る。


 壁一面の大きな水槽で泳ぐサメ。

 頭上を泳いでいたエイを下から見上げた莉世が、裏側を見て「可愛い」と写真を撮りまくったり。

 小さな水槽でつくしみたいに生えているチンアナゴを見た莉世が、またしても「可愛い」と写真を撮りまくっていたり。


 ……表情は大きく変わらないのに、目がいつもの何倍も輝いている気がする。


 満喫してくれているみたいで何よりだ。


 そんなこんなで館内を回り終え、最後のお土産売り場に到着する。

 棚に並ぶ魚を模した色んなグッズ。


「記念になにか買っていくか?」

「……じゃあ、あれ」


 莉世が指さしたのは、大きめなサメのぬいぐるみ。

 デフォルメされた顔がとても可愛く、ほっこりする。


 試しに値段を見てみると……それなりに高い。

 かといって買えないほど高いわけでもなく――


「私が自分で買うよ?」

「……情けない限りで」

「そういうのは自分で買うって約束だから気にしないで」


 莉世は迷うことなくぬいぐるみを棚から取る。


 でも――折角なら、二人で来た思い出になるものが欲しい。


 あくまで友達としての、だけど。


「莉世は何が好きだった?」

「サメ」


 まさかの即答だ。


「湊は?」

「俺は……ペンギンかな」

「ペンギンもいい。でも、どうしてそんなこと聞くの?」

「キーホルダーでも買って行こうかと思ってさ。渡してる家の合鍵につけたら無くさないかなって」

「賛成。私も買う」

「いいよ、これは俺が出すから。莉世はぬいぐるみがあるんだし」


 そう言えば、迷いつつも納得してくれた。


 サメとペンギンのキーホルダーも選び、レジを通して水族館を後にする。


「これ、莉世の分」

「ありがと。サメ、可愛い」


 サメのキーホルダーを手渡すと嬉しそうにひとしきり眺めて、渡してある合鍵につけた。

 俺も鍵につけると、莉世が隣に鍵を並べた。


 サメとペンギンのキーホルダーが、揃って揺れる。


「楽しかった。また来ようね」

「その度にぬいぐるみが増えそうだな」

「可愛いから仕方ない」


 サメのぬいぐるみが入った袋を抱く莉世は、無邪気に笑むのだった。

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