第27話 ちょっとおかしい

 幼い少女とその母親が、手を繋いで歩いていた。

 少女の服は花のようにひらひらとした、御伽噺に登場するお姫様が着ているような服。

 その子の表情は明るく、とても嬉しそうに母親の手を引いている。


 私は、その少女が誰なのか知っていた。

 小学二年生の、私だ。


 そしてこれは忘れられるはずもないあの日を再現する夢。

 これまでに何度も、何度も見たから間違えるはずがない。


 結末はいつも同じで、一度たりとも変えられた試しはない。

 だからきっと今回もそういう終わりを迎える。


 そうわかっていても、私は夢を見るのをやめられない。


 やがて、少女と母親は交差点に差し掛かる。

 赤信号が変わるのを待っている間も、少女は溢れる嬉しさを抑えられないとばかりにはしゃいでいて、母親が優しく嗜めていた。


 ありふれた、けれどその少女にとっては特別なひととき。


 だから私も、お母さんも気づくのが遅れた。


 瞬間、交差点の向こう側から、トラックが信号を無視して突っ込んでくる。

 進路上には歩道の信号が変わるのを待つ通行人が多数。

 でも、危機を察知した人から蜂の子を散らすように逃げていく。


 最後に残ったのは私たち。

 しかも、少女はまだ気づいていない。

 母親が異変を察知して振り向いた時にはもう、トラックは目の前に迫っていた。


「――――ッ!!」


 トラックに気づいた母親の顔が真っ青になる。

 それは自分が轢かれるからではなく、直線上にいたのが少女だったから。


 でも、母親は意を決して少女を遠くへ突き飛ばし――



 ◇



「……酷い汗」


 乾いた喉から発せられた、いつもより少し掠れた声が暗い部屋に響いた。


 少女がトラックに轢かれたところを見たところで、私は夢の世界から叩き出されたらしい。

 本当はまだ夢の続きがあるけれど、今日は一旦ここまでみたい。


 すぐに寝直したら夢の続きが始まる気がする。

 それに、寝直そうにも全身に汗をかいてしまって、気持ち悪い。


 背中に張り付いたパジャマの感触。

 額に張り付いた前髪をはがしながら身体を起こし、隣のベッドへ視線を送る。


 もし私がうなされていたら湊を起こしているかもと思ったけれど、幸いなことに静かな寝息を立てて眠っていた。

 私には背を向けるように眠っているけれど、多分起きてはいないはず。


 それをみて安堵し、湊を起こさないよう静かに布団を抜け出す。


 キッチンで乾いた喉を潤してから一旦部屋に戻って替えの部屋着を探し出し、汗を流すべく脱衣所へ。

 前の一件から、下着だけは脱衣所に置くことになっていた。


 全部脱いで浴室の扉を閉め、シャワーの栓を開けようとして、


「……湊、起きないといいけど」


 まだ眠っている同居人へ申し訳なく思いながら、弱い水圧のシャワーを浴びる。

 暖かなお湯が髪を濡らし、肌を伝って流れていく。


 そこでやっと、胸の奥でつっかえていた何かが解けて、吐息が漏れた。


 それから時間をかけてゆっくりと汗を落として身体を洗う。

 後から水道代のことが浮かんだけど、少し私が多く出せばいいだけ……だけど、湊は受け取ってくれないと思う。


 湊の家に転がり込んでから早半月? 以上は経った。

 ここでの生活には慣れてきた……馴染んできたが正解なのかな。


 ただの他人だった私をこんなに長期的に泊めてくれている湊には感謝しかない。

 生活費とかを半分負担していても、そんなものは対価にならない。


 それこそ初めは、文字通りに身体で支払うつもりでいた。

 私が誰かに渡せる価値なんてそれくらいしか思い当たらなかったから。


 でも、湊はそれを拒んで、私を対等な同居人として扱うつもりらしい。

 私がいうのもどうかと思うけど、本当にお人好しだ。


 それは私が湊へ遠慮しないための理由を与えるためだと思う。

 身体を対価に衣食住を保障してもらうのは、世間一般の価値観からすると歪だから。


 けれど、それはそれとして。


「私、そんなに魅力ないのかな」


 曇った鏡にシャワーをかけてクリアにし、映る自分の姿を上から下まで眺めた。


 水滴を纏う白い長髪。

 ぼんやりと開けられた碧い瞳。

 この歳になっても中学生や高校生、下手したら小学生にすら間違われるくらいの童顔なそれは、他の人曰く「お人形さんみたい」らしい。


 シャワーを浴びているからか肌の血色はそれなりだけど、それでもかなり白い。

 頬に触ってみると指が沈んで、ちょっとつまんで引っ張るとお餅みたいに伸びる。


 ほっそりとした首のラインから繋がる肩は華奢だ。

 みるからに非力そうな腕と、薄い胸。

 すぐ下ではうっすらと肋骨が浮いていて、なだらかなお腹へと続く。


「……本当に私、軽いのかな」


 ふと思い出したのは撮影の時、湊にされたお姫様抱っこ。

 湊は軽いって言っていたけれど、女の子としてはちょっとだけ心配。


 というのも、家にいた頃よりご飯を食べるようになった。

 理由は湊が作るご飯が美味しいから。

 だから少し太っていてもおかしくないけど……と思いながらお腹の肉を摘んでみる。


 ぷにぷにしていた。

 ……もしかしなくても太った?


「…………そんなわけない。大丈夫。私は太ってない」


 とりあえず現実逃避をして、思考を戻す。


 自分が一般的に可愛い部類に入ることは流石に自覚した。

 あれだけ言われて、モデルとして撮影の仕事まで受けたんだから、否定しても嫌味になるだけ。

 そして、私が可愛いと湊も認めている。


 なのにまるで手を出してくる素振りを見せないのは不思議だ。

 男の子ならそういう欲求があって当然だと思うし、湊自身も言っていた。


 そして同居中、無自覚だったり偶然だったりで、肌も結構見せていた。

 全裸も多分、見られている。

 湊はその度に目を逸らしているけれど、間に合ってはいないと思う。


 私に責めるつもりは一切ない。


 今でも対価として湊が身体を求めるなら差し出すくらいの気持ちはある。

 湊が言い出すとは思えないけれど……仮にそうなったとしても、そう悪いことにはならないと思っていた。


 見ず知らずの人を助けても、恩着せがましくしないお人好しだ。

 そういう漫画やアニメみたいに、むやみやたらと乱暴できる性格じゃない。


「……だからここは暖かくて、居心地が良くて、私はどんどん帰れなくなってる」


 湊は同居人で、友達。

 そうわかっていても、この距離感は私が忘れていた家族の空気を思い出させる。


 当たり前だけど、湊は私の家族じゃない。

 なのに家族みたいに思っていたら迷惑かな。


 ……なんてうっかり湊の前でこぼしたら、少しは意識してもらえるのかな。


「……何考えてるんだろ。私、ちょっとおかしい」


 原因には少しだけ心当たりがあったけど、まだ蓋をして見ないふり。


 そんなことで湊に負担はかけられない。


 思考がじゅうぶんに夢から離れてきたところで、シャワーの栓を閉めて浴室を出る。


 火照った身体に当たる空気が、ちょっとだけ冷たく感じた。


―――


初めてのギフトを頂きました!ありがとうございます!!

毎日更新頑張るので……! ……といいつつ明日の方がまずいかもしれない()


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