第26話 俺をハンモックか何かと勘違いしていらっしゃる?

 水無瀬さんとの契約通り、俺は撮影に向けてメイクと着替えを済ませた。


 自分でメイクまではしたことがなかったけど、鏡に映る自分に思わず「誰?」と言ってしまうくらいには印象が変わっていた。

 髪型もきっちりセットされ、自己認識との乖離で落ち着かない。


 しかも俺に渡された衣装は燕尾服……執事コスプレみたいな、無駄にクオリティの高い服。

 何でこれを? と本気で疑問に思うも、莉世との合わせを考慮したのかもしれない。


 莉世が着ているのはクラシックロリィタ……上品でシンプルな雰囲気の、お嬢様っぽいもの。

 合わせるなら執事でしょ! とか言い出すであろう水無瀬さんの顔が鮮明に浮かぶ。


 一度引き受けた以上は文句があってもやるつもりだから着替えたけど。

 メイクさん曰く「これは中々……」と満面の笑みでお褒め? の言葉を貰った。


 ……この人もしかして水無瀬さんと同じタイプ?


 そんな一幕を挟んでスタジオに戻ると撮影は中断されて休憩中だったらしく、壁際で水分補給をしている莉世を見つけた。

 考え事をしているのか俺に気づく素振りはなく、ぼーっとセットの方を眺めている。


 上手く撮影が進まなかったことを気にしているのか?


 元より俺の役目は莉世が撮影の雰囲気を掴めるようにするアシスタント。

 だったら、それを果たすとしよう。


「――お困りですか、お嬢様」


 芝居がかった調子で語り掛けると、澄み切った碧の瞳がおもむろに俺を映す。


 返事はない。

 代わりに莉世の目線が頭のてっぺんからつま先へ、じっくり数十秒かけて確認。


「……声が湊なのに見た目が全然違うからびっくりした」

「まあ、そうなるよな。こういうの初めてだけど変じゃないか?」

「すごくかっこいい。燕尾服、っていうんだっけ。どうしてそんな服に?」

「莉世が慣れるまで隣にいて欲しいって水無瀬さんが。バイト代も貰えるみたいだからいいかと思って。勝手に決めてごめんな」

「私が不甲斐なかった結果だからいい。それより、かっこいい湊が見られたからお得」


 お得って……見苦しいと言われないだけいいか。


 プロにメイクしてもらったから下手な仕上がりにならないのはわかってるけど、素体の性能がどうしてもね……?


「あら、幸村くん戻ったのね。執事服、似合ってるじゃない」


 莉世と話していたところへ水無瀬さんが合流するなりにやけ顔で褒められた。


「……やっぱり執事モチーフだったんですね?」

「お嬢様風コーデと合わせるなら当然執事よ。主従合わせが嫌いな人間はいないわ」


 水無瀬さんは豪語するけど主語が大きすぎない?

 マンガとかでは人気のジャンルだし、俺も見るけど、現実でそれをやって嬉しがる人……いたわここに。


 せめてもうちょっと俺の顔が良ければ格好もついた。

 メイクさんの手で大幅にブーストされていても、莉世の隣に並び立つのは顔面偏差値の差を感じてしまう。


「幸村くんが来たから莉世ちゃんも休憩は終わりでいい?」

「わかった」

「二人とも頑張ってね。莉世ちゃんはわかってると思うけど、幸村くんは補助輪みたいなものだから」

「ん」


 俺が補助輪は言い得て妙だ。


 そんなわけで当初の予定通り、莉世との撮影が始まった。


「じゃあ撮るよ~。まずは琴朱鷺さんはソファーに座って、幸村くんは傍に控えるように立ってみて。イメージはお嬢様と執事でお願いね」


 撮影はカメラマンからの指示が飛んで、被写体である俺と莉世がそれに応えてポーズを変える。

 イメージはお嬢様と執事……え、なに? 水無瀬さんだけでなくスタッフ全体の総意としてそういう感じなの?


 とはいえ誰もふざけている雰囲気はない。

 俺も恥ずかしさを払いのけ、意識を切り替える。


 俺は執事俺は執事俺は執事――ッ!!


「あははっ、幸村くんも緊張してるのかな? 琴朱鷺さんもだね。いつも二人でいるときみたいな雰囲気で大丈夫だよ。撮影始まる前の二人みたいな感じでさ……!」


 ……莉世の手を揉むやり取りを見ていらっしゃったんですね?


 そこまで言ったら言葉を濁す意味ないと思うのは俺だけでしょうか。


 要するに、非常に遠回しに、直接的な言及を避けながらも俺たちへ求めているのは、水無瀬さんが表すところの『イチャイチャ』だろう。


「…………はあ」


 そう理解したら急に力が抜けてしまった。


「湊」

「なんだ?」

「私、お嬢様みたい。湊は執事。私の命令には逆らえない」

「……まさか乗り気なのか?」

「ロールプレイみたいで面白そう」


 莉世のそれは楽しいではなく愉快寄りの感情だと思うのは俺だけ?


 まあ、莉世がそうしたいなら俺は協力するしかないけどさ。


 こほん、と息を整える。


「莉世お嬢様。本日はどういったご用件でしょうか?」

「疲れたから肩揉んで」

「……人前でするのははしたないのでは?」

「むぅ……けち」

「けちで結構です」


 ジト目で言われても俺の意思は変わらない。


 それで諦めたのか、今度は俺を無言で手招きする。

 人に聞かれたくない話があるのだろうか。

 訝しみながら莉世の口元に耳を寄せると、


「人前でするのがはしたないなら、帰ってからならしてくれる?」


 肩揉みを諦めていないとわかる相談だった。


 こやつ、この機会を最大限に活かそうとしているな?

 その割に頼みごとのスケールが日常的なのは可愛いけど。


「それであればお安い御用です、お嬢様」


 だからロールプレイも含めて答えると、莉世は上機嫌に「ん」と頷いた――タイミングで鳴るシャッター音。


「いいね、そういうのもっとちょうだい!」


 カメラマンさんからの機嫌が良さそうな声。

 撮られたのは間違いなかったらしい。


「こういうのだって、湊」

「……モデルって大変なんだな」


 楽じゃないのはわかってたけど、精神的にきついものがある。


 俺にはこんな大変なことを仕事にするなんて無理そうだ。


 その点、ちょっと乗ってきている莉世は適正があるのかも。


「次は幸村くんが琴朱鷺さんをお姫様抱っことかできたりする?」


 にこやかな笑みで投げられる無理難題。

 体格差的には出来ると思うけど、莉世もそれは流石に嫌だろうし――


「湊、お姫様抱っこだって」

「……やるの?」

「されたことないから興味ある」

「…………そうでございますか」


 役を忘れてたのに目線の圧でそれっぽい受け答えになってしまった。


 え、やるの? この場でお姫様抱っこを?

 早くもその気になったら莉世は俺へ向かって両手を伸ばして準備万端。

 カメラも、スタジオ中のスタッフの視線も集まっている。


 とてもじゃないけど断れる雰囲気ではなさそうだ。


「……わかりましたよ、お嬢様。落ちないでくださいね」


 可能な限りの無心を心掛け、座る莉世の膝裏へ左腕を通す。

 右腕で背中を支え、莉世の両手がしがみつくかのように俺の首へ絡んだ。

 そして、落とさないように抱えながら立ち上がる。


「っ、と」


 莉世の体重は見た目通りに軽く、簡単に持ち上げることが出来た。


 けれど間近で見上げる莉世と視線が合った瞬間、心臓が大きく跳ね上がる。


 莉世との至近距離は何度か経験しているけれど、今回は経緯がまるで違う。

 これまでは偶然の産物。

 大して今のこれは押し切られた形でも、俺の意思で選んでのこと。


 だからなのか、いつも以上に莉世の存在を意識してしまう。


 少女らしい重さだったり、服越しに伝わる体温や等速で奏でられる息遣い。

 否応なしに感じる柔らかな肢体の感触。

 視線に込められた信頼に至るまで、余すことなく。


 そんな葛藤をよそにシャッターが切られる。


 俺は今、どんな顔をしているんだろう。


 見たいような、見たくないような。

 見てしまったら、戻れないような。


「はい! いいね~いいの撮れたよ! 琴朱鷺さんも表情柔らかくなってきたね。そろそろ一人で撮れそう?」

「……やってみます」

「おっけ~。幸村くんもありがとね!」


 カメラマンさんからの言葉で思考が戻る。

 莉世をゆっくりと降ろし、息をつく。


 これで俺の役目は終わりか。

 時間的には短かったけど、精神的にかなりの疲労感がある。


「湊、ありがと。あとは見てて」

「……おう」

「それと、お姫様抱っこっていいね。また今度してくれる?」

「…………まさかはまったの?」

「安心感がすごくて寝やすそうだったから」

「俺をハンモックか何かと勘違いしていらっしゃる??」


 こっちは精神的な耐久度が限界だよ!!


―――

明日朝更新できないかもです。昼も怪しいので夜(18時頃)なかったらお休みの日ってことで……

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