第21話 腹が減ってはなんとやら

 定臣さだおみさんと話した後、俺たちは持ち帰る荷物を纏めて家を出た。

 その頃にはもう家を出ていたのか、玄関にそれらしい靴はなかった。


 俺と莉世の間にも普段とは違う空気が流れていて、それらしい会話がないまま帰宅――


「……莉世。夕飯、何か食べたいものとかある?」


 自分でもびっくりするくらい不自然な切り出し方だった。

 でも、記憶が正しければ冷蔵庫に夕食の材料がなかったと思うし……なんて言い訳を心の中で並べる。


 それにほら、腹が減ってはなんとやらって言うし。


 莉世の横顔を盗み見ると、いつものすまし顔に戻っていた。


「ハンバーグって言ったら、どう?」


 思いのほか子どもっぽいリクエストが飛んできた。

 ハンバーグか……しばらく作ってないからいいかもしれない。


「なら今日はハンバーグにするか。和風洋風、チーズインハンバーグもいいな。煮込みって手もある。俺はどれも好きだけど、莉世は?」

「私はデミグラスソースが好き。お母さんが作ってくれたから」


 ……もしかしなくても思い出の味ってこと?

 しかもそれを、いかにも重そうな過去を聞いたタイミングで作るの?


 責任重大な気がするけど、リクエストとあらば是非はない。


「おっけー。でも、デミグラスソースは素を使うことになるかも」

「大丈夫。こだわりがあるわけじゃない。お母さんもそうだったと思うから」

「莉世は家で待ってる? それとも――」

「着いてく。今は独りになりたくない」


 空いていた手が握られる。

 腕と腕が触れあって、そこにいるのが目で見ずともわかる距離。


 浮かぶ表情は莉世を拾った日のそれと同じもの。


 こんな顔をしていたから、俺は莉世を放っておけなかったのだろう。


「とびきり美味しいハンバーグ作ろうな」

「私も一緒に作るの?」

「勉強するにはいい機会だと思う。無理強いはしないけどさ」

「……そうする。よろしくね、湊先生」


 悪戯っぽく言う莉世に肩を竦めてみせ、いつも買い出しに出ているスーパーへ。

 ぱぱっと材料を揃えて帰宅したら早速準備に取り掛かる。


 試作品を万が一にも汚さないよう、部屋着に着替えた莉世はエプロン着用でキッチンに立っていた。


 調理台に並べた材料を前に、莉世はやる気を見せるように腕まくり。

 けれど、袖から伸びるのは病的なほどに白くほっそりとした腕。


 ……もうちょっと食べて肉を付けた方がいいんじゃないか? と思ってしまうのは俺のせいじゃないと信じたい。


「これで私も料理人?」

「見習いってところかな」

「道のりは険しい」

「まだ着替えただけなんだけど……?」


 冗談だとわかっていてもちょっとだけ困惑しながら調理に取り掛かる。


「作る前に今日のメニューをおさらいしよう。まずはデミグラスソースのハンバーグ。付け合わせは彩りも考えてニンジンとジャガイモ、グリンピース。そしてコンソメスープで全部だ」

「パンとライス、どっち?」

「……もしかしてパン派だった?」

「どっちでもいいけど、ライスなら硬めがいい」

「わかる。芯が残らない程度の硬さだよなぁ」


 莉世の言葉に力強く頷く。

 元々パンの用意はしていなかったけど、好みが合致したみたいで何よりだ。


「でも、不思議だよな。洋食のハンバーグとライス……米がこんなに合うなんて」

「美味しいが正義。……美味しく作れるかな」

「俺も一緒に作るから大丈夫……のはず」

「湊も自信を持った方がいい。何日も料理を食べてきた私が保証する」

「……そうだな」


 俺も人に教えるのが初めてで緊張しているらしい。


 気合を入れ直し、やっとのことで調理が始まる。

 まずはハンバーグのタネの具材の一つ、玉ねぎのみじん切りを莉世に任せることにした。


 俺が水洗いした玉ねぎを半分に切ってから莉世にバトンタッチ。

 丸いものを切るのは初めてだとちょっと危ないからね。


「包丁の握り方はわかる?」

「……普通に握って、左は猫の手。実はちょっと調べてた」


 ちょっと調べただけにしては、莉世のそれは様になっていた。


 ……そんなに楽しみだったのか?

 意欲を出してくれるのは嬉しい。


「なら、とりあえずやってみるか。玉ねぎのみじん切りは細かく切るだけ。ある程度ざっくり切ってからの方がやりやすいかも」

「ん」


 短い返事。

 視線は真っすぐ玉ねぎへ注がれている。

 緊張しているのかと思ったけど、これは集中の方か。


 莉世は慎重に玉ねぎへ包丁を入れていく。

 ザク、ザクと小気味いい音を鳴らしながら切れていく玉ねぎ。

 手つきも初心者にしては危なげなく、見守っている分には怪我の心配もなさそうだ。


 そのまま玉ねぎを刻む莉世を眺めていると、急に手が止まった。

 ぐすん、と鼻をすする音。


「莉世? どうした。まさか怪我――」

「…………目が痛い」


 心が泣いている声で呟いた。

 実際に莉世の目からは涙が溢れていて、頬を伝う様が横顔から見て取れる。


 そういえば玉ねぎって目が痛くなるんだった。


「ごめん、完全に忘れてた」

「辛い。苦しい。生き地獄」

「……とりあえず休もうか。ちゃんと手を洗ってね。目も掻かない方がいい。玉ねぎの成分がどうとかで悪化するから」

「…………ん」


 包丁を手放し、両目を限りなく細めたまま手を洗う莉世。

 本当に申し訳ない思いでいっぱいだ。


「でも、みじん切りは上手く出来てるぞ?」


 まな板の上にはやや粗めながらも莉世がみじん切りにした玉ねぎがある。

 これくらいなら食感のアクセントにもなるから丁度いい。


「……そう? 目が痛くて、確認してる余裕がなかったけど」

「ばっちりだ。残りは俺がやるとして……莉世にはハンバーグのタネを任せてもいいか?」

「それなら任せて」


 ……目がほとんど開いてないけど本当に大丈夫か?


 莉世を休ませながら、タネの材料に必要な玉ねぎのみじん切りを済ませる。

 かかった時間は莉世の半分ほど。

 慣れてしまえばこれくらいで済むけど、隣で眺めていた莉世が「おぉ……!」と感嘆の声を上げた。


 むず痒いけど、悪い気はしなかった。


 そのまま玉ねぎのみじん切りを炒めることに。

 これなら大丈夫だろうと莉世に勧めてみたけど頑なに断られたので、俺がぱぱっとあめ色になるまで炒めた。


 その後のタネ作りはやる気十分とばかりに待っていた莉世に任せた。

 ただし初心者には難しそうな卵だけは俺が割って、綺麗に卵黄だけ分けたけど。


 ボウルに牛ひき肉、粗熱を取った玉ねぎ、卵黄、パン粉と牛乳、それから調味料を目分量で加える。

 これを莉世がよく洗った手で混ぜて、練っていく。


 慣れていないのもあるだろうけど、莉世の目は真剣そのもの。

 混ぜるだけなら失敗することもないだろう。


「もし困ったことがあったら教えて」


 返答は小さな肯首だけ。

 その様子に微笑ましいものを覚えながら、俺は付け合わせとコンソメスープ、デミグラスソースの準備を進める。


 ある程度出来たところで莉世から「これでいい?」と確認の声がかかった。


「ばっちりだ。じゃあ、形を作って早速焼くか」

「責任重大?」

「重く考えなくていいって。料理は人を思いやる気持ちが大切なんだ」

「……思いやる、気持ち?」

「うちの母親の受け売りだけどな」

「…………わかった。頑張る」


 たどたどしくもタネを楕円形に整形していく莉世。

 丹精込めて作った二つのそれを、俺がフライパンで焼いていく。


 あとは肉汁を逃さないように焼き上げ、デミグラスソースを仕上げて、それぞれの皿に盛り付けて――


「これで完成だな」

「ご飯も炊けたみたい」

「冷めないうちに食べようか」


 いつものように料理をテーブルに並べて、夕食の時間となった。


「莉世、お先にどうぞ。初めて作ったんだからさ」


 思い出としてもいいだろうと提案したけど、莉世は首を横に振り、


「これは初めて湊と一緒に作った料理。だから二人で一緒に食べたい」

「…………っ」


 言葉に詰まる。

 胸を満たす、えも言われぬ感情。


 楽しいとか嬉しいとか、単一の言葉では表現しきれないそれ。


 強いて言うなら……愛おしい、だろうか。

 莉世の言葉に込められた想いが純粋だからこそ、響いてしまった。


 ……ただでさえ流されやすいのに、勘違いも甚だしい。


 莉世は初めて作った料理の味を共有したいだけ。


 そう納得しないと、変な方向へ思考が進んでしまいそうだった。


「……そうだな。そうするか」


 話が噛み合ったところで、二人揃ってハンバーグへ箸を入れる。

 溢れた透明な肉汁。

 一口大に分けたハンバーグをデミグラスソースに絡め、莉世と同時に口へ運び――


「「――美味しい」」


 声が重なる。


 二人で顔を見合わせ、笑みが零れた。


「湊、私を元気づけようとしてくれたの?」

「気づいてたのか」

「なんとなく。美味しいご飯と、楽しい時間のおかげで気が紛れた」

「……無理に話そうとしなくていいからな。誰にでも秘密はあるだろ?」

「かもしれないけど、あそこまで見られたら話さないわけにもいかない」

「まあ、とりあえずこれを食べてからでもいいんじゃないか? 折角莉世が頑張って美味しいものを作ったんだからさ」

「……そうする」

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