第20話 大切な思い出だから

「時間なので先上がります。お疲れ様でした」


 店長と宮前先輩に挨拶して、バイト先の喫茶店『Hideout』を後にする。

 今日は午後上がり。

 宮前先輩は夜の交代の時間までらしく「寂しいよぉ~!」と抱き着こうとしてきた。


 もちろん丁重にお断りしたけど。


「さて、莉世はどうなったかな」


 俺がバイトに行っている間に家へものを取りに戻ると話していた。

 流石にそろそろ帰って来ているだろうと思いつつも、念のため『もう帰ってる?』とメッセージを送る。


『まだ私の家』


 メッセージはすぐに返ってきた。


 出発が遅かっただけだと思うけど、事情が事情だけに少し心配だ。


『迎えに行こうか?』

『お願い』


 端的な言葉の後に地図のスクリーンショットが送られてくる。

 近くの繁華街で見かけたことから薄々察していたけれど、莉世の家は一駅隣にあったらしい。


 この辺は高級住宅地として有名だ。

 まさかそんな場所へ行くことになるとは。


 最後にメッセージで『すぐ行く』とだけ送って莉世の家へ。


 正直、異性の家に行くことへの緊張がまるでない。

 何日も同じ部屋で過ごしていたら仕方ないのか?


 そんなことを考えながら電車で一駅移動し、莉世の家がある住宅地に入った。

 雰囲気は完全に上流階級の閑静な住宅地。

 早速とばかりに大型犬を散歩しているマダムが前を横切っていく。


 一駅違うだけで住民の雰囲気が変わっているのを肌で感じた。


「……迷わないようにしないとな」


 スマホでマップを見ながら迷わないように目的地へ向かう。

 明らかに浮いている気配を感じながらも気にしないように努め――家を囲う壁に飾られた『琴朱鷺』という表札を発見する。


「予想はしていたけど、立派過ぎる」


 その家は二階建てで、西洋風の洋館みたいだった。

 外観から察するに十人くらいは余裕で生活できるスペースがありそうだ。

 刈り揃えられた芝の庭を横断する石畳の道を渡って玄関へ。


 緊張しながらもインターホンを押してから待つこと数十秒。


「おまたせ」


 扉が開いて、出てきたのはお嬢様然とした服装の莉世。

 髪も左右で編み込んだものを胸の前に下ろしていて、お淑やかな雰囲気を感じる。


「とりあえず中に入って」

「……わかった」


 言われるがままに中に入り、通されたのは二階――莉世の部屋。

 一体どんな部屋なのかという僅かばかりの興味と躊躇いが混ざったまま入る。


 まず目に入ったのは、壁際に置かれた身体全体を映せるほど大きな姿見。

 開け放たれたクローゼットには隙間なく服が並んでいる。

 他にめぼしいものはデスクトップPCを扱うためのデスクとチェア、ドレッサー、ベッドくらいだ。


 全体的に片付いているものの、一つだけ封を開けた段ボールが転がっている。

 あと、ベッドには俺の家から着てきたはずの服が綺麗に畳まれたまま置かれていた。


 てことは莉世が今着ている服が――


「試作品の試着をしてた」

「やっぱりか」


 以前着ていたロリータ系と雰囲気が似ていたのは気のせいじゃないらしい。

 けれど、それっきり口を噤んで視線が交わったまま見合う謎の時間が挟まって。


「……似合ってる?」


 やっと莉世が絞り出したのは確認の一言。

 表情は至って真剣で、目線を離そうとしてくれない。


 ……でも、莉世の言葉を聞いて安心した自分がいる。


 今までなら『似合ってる?』ではなく『変じゃない?』と聞いていたはずだから。


「勿論似合ってるよ。それもロリータ系……だよな?」

「クラシカルロリィタ。ロリィタ系の中でもシンプルかつ上品な雰囲気」


 一口にロリータ系と言っても、かなりの種類がある。

 それは知っていたけど、見ただけで何なのか判別できるほどまだ詳しくない。

 こんな風に説明してくれるのはありがたい限りだ。


「本番の撮影は靴とか小物も合わせるけど、試着だから」

「撮った写真って雑誌かなんかに掲載されたりするのか?」

「多分される。見本が出来たら貰えると思う」

「届いたら見せてもらったり――」

「そのことなんだけど」


 急に改まった莉世。

 こっちもそれにならって身構えてしまうが、


「撮影の当日、湊にもついてきて欲しい」


 思いもよらない頼み事を告げられた。


 撮影についていくの? 俺が?


「部外者がいていいものなの?」

「私が頼めば湊一人くらいなら大丈夫」

「……ちなみにいつ?」

「今週の週末。バイトの予定が入ってる?」


 一つ頷くと、莉世は僅かに目を伏せる。


 莉世も俺のバイトは予想していたのだろう。

 それでも聞いたのは、ついてきて欲しい理由があったから。


「店長に伝えれば融通してくれるかもしれないけど……一人で行くのは不安?」

「……正直、かなり不安。こういう服で写真を撮るのは、昔を思い出すから」

「昔?」


 つい気になって、自然と聞き返してしまっていた。


 慌てて口を押えるも、出てしまった言葉は戻せない。


 莉世は、仕方なさそうに笑っていた。


「いいよ、隠さなくて。湊はなにも聞かなかったけど、普通は気になって当然」

「それは……」

「ベッド、隣に座って。長くなるかもだから、立話は疲れる」


 ベッドに腰を落ち着けた莉世が手招く。

 男女でベッドに並んで座る構図はそれなりに誤解を生みかねないな、と一瞬考えてしまうも、莉世にそんな気がないのは明白だ。


 余計な思考を遠ざけて、拳三つ分の距離を開けて座る。


「あ」

「どうした?」

「飲み物とか出した方が良かった?」

「……いや、いいよ。あんまり喉乾いてないし――」


 やんわり断ったところで、外から聞こえた車のエンジン音。

 ちょうどこの家の前あたりで停止したのか、ぱったりと静かになる。


 瞬間、莉世の表情が強張る。

 慌てて立ち上がり、部屋にある玄関側の窓を覗き込み、


「――帰ってきた」


 拒絶と嫌悪が滲んだ、震えた声で呟いた。


 莉世は家出をしてきた。

 つまりは実家暮らしの裏返しで、それなら家族が一緒に住んでいるのが自然だ。


 そして、莉世の様子を窺う限りでは、苦手な……濁さず言えば嫌いな家族が帰ってきたのだろう。


 玄関が開く音がする。

 続いて、階段を上ってくる足音。


「ごめん。話は帰ってから・・・・・にさせて」


 謝罪と、ここが自分の居場所ではないと示すかのような言葉があって。


 俺たち二人のどちらが触れるでもなく、部屋の扉が開いていく。


 立っていたのは仕立てのいいスーツに身を包んだ男性。

 神経質そうな表情と、鋭い眼差し。

 それが莉世を見て……流れるように俺へ移る。


 ふん、と機嫌の悪さを主張するかのように鼻を鳴らし、


「急にいなくなって急に帰ってきたかと思えば男連れとは、随分と偉くなったものだな」


 高圧的な態度で言葉を浴びせられても、莉世は怯んでいなかった。


 口ぶりからしてこの人が莉世の父親なのだろう。


「私は荷物を取りに来ただけ。こんな家に自分から帰って来ようと思わない。それと、交友関係に口出しされる謂れもない」

「……まあいい。それよりも、その服はなんだ? まさか、まだ子どものままごとを続けているのか?」

「ままごとじゃない。私は本気。これは大切な思い出だから――」

「――ふざけるなッ! この家を……妻を殺したのはお前だろう、莉世ッ!」


 烈火の如き罵声が部屋に響いた。


 俺は聞き間違えたのかと彼の言葉を脳内で反芻するけど、どうやっても信じられない。


 莉世が母親を……彼の妻を殺した?


 そんなことあるわけない。

 理性は否定するけど、真実を直接目にしていない俺には正しい判断が出来ない。


 怪訝に思いながら莉世の様子を窺うも、唇を噛み締めながら彼を見上げるばかり。

 是とも非ともつかないそれに、さらに混乱してしまう。


 だが、彼はこほんと咳払いをして調子を整え、


「……私はすぐ仕事に戻る。お前は今まで通り好きにしろ。家にいるも、出ていくも、そのふざけたままごとを続けるも――私には関係ない」


 冷たく言い捨て、部屋を去っていく。


 しんとした部屋に残された嫌な空気。

 もう、莉世の昔話を聞くどころではなくなった。


 なにか言わないと。

 でも、言葉がまるで出てこない。


「湊、ごめん。嫌なものを見せた」

「……あの人が父親?」

「琴朱鷺定臣さだおみ。家とは別に借りてる仕事場に籠ってるから帰ってくるのは稀。今日は運が悪かった」


 運が悪かった。

 家族に使う言葉とは到底思えなかった。


「聞きたいことが山積みだと思うけど、帰ってから・・・・・にして欲しい」


 莉世の声色は暗く、重い。


 俺も俺で暗澹たる思いだった。


 この家に、莉世の居場所はないのだとはっきりわかってしまったから。


「――帰ろう」


 俺に出来ることは、莉世へ手を伸ばすことだけ。


 今まで通り家に泊めて、普通の日常を享受する。


 莉世も俺の気持ちを汲み取ってくれたのか、無言で手を取った。


 その手は一回り小さく、ほんのり冷たさを帯びていて、握り返す力は赤子のように頼りなかった。

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