第18話 先生って呼んだ方がいい?

「莉世、何か嫌なことでもあった?」


 バイトが控える休日の朝。

 朝食を用意する俺の元へやってきた寝起きの莉世に足音だけで気づいて振り向くと、珍しく険しい表情を浮かべていた。


 なにかあったのだろうか。

 そう思いながらも視線は玉子焼きを作るフライパンへ戻す。


「……色々あって家に物を取りに帰らないとダメみたい」

「物?」

「仕事のこと。試作品を送ったから確認してほしいって」


 こっちに届け先の住所を移していなかったのだろう。

 そういうことならわかるし、莉世は莉世でやることをやっていたのがわかってホッとする。


「試作品ってことは服だよな」

「私の仕事は最終的なチェックがほとんど。……でも、今回はもう一つの仕事も受けて見ようかなって思ってる」

「もう一つ?」

「モデル。実際にスタジオで服を着て写真を撮るやつ。前から誘われていたけど、自信がなくて受けてなかった」


 ああ……例の誘われたけど断ったって話か。


「気にしすぎだって。莉世ならなにを着ても似合うと思うし、そうじゃなきゃモデルのスカウトも来ないはず」

「そうだといいけど」

「それはそうと、どうしてモデルの仕事を受けようと思ったんだ?」

「湊が似合うって言ってくれて、少し自信がついた。あと、自分で稼げる方法を増やしておきたい。今後もここに居座る後ろめたさを減らすために」


 ……なんて返したらいいんだろう。


 俺が何気なく似合うって言ったことで自信を持ってくれたことは喜ばしい。

 けれど、莉世は今後も居座ると宣言したようなものだ。


 普通は早く帰れるよう努力してくれと諭すべきなのかもしれない。

 ……いや、莉世ほどに可愛い女の子を自分から追い返す男の方が珍しいのか?


「莉世にも事情があるんだろうけど、やっぱり帰りたくないのか?」

「帰っても寂しいだけ。家族とも顔を合わせたくないし、私も邪魔者扱いだからいない方がお互いのため」

「その分俺が割を食う、と」

「……湊も私がいると迷惑?」


 悲しげな雰囲気を滲ませながら言われると罪悪感が湧いてしまう。

 段ボールに入れられた捨て猫のような……と思ってしまうのは流石に失礼か。


「ごめん。意地悪な言い方をした。迷惑とは思って……ないとは言い切らないけど、楽しく過ごせてるつもりだ。莉世は違うか?」

「……ううん、私も楽しい。なにより温かい。私の家にはないものだから」


 穏やかな笑みを浮かべて呟く莉世。

 心を許しているのだとわかる緩い表情に思わず視線が奪われ――


「――と。湊」

「っ、なに、莉世」

「玉子、焦げてない?」

「え」


 その一言で我を取り戻し、フライパンを見る前に鼻についた焦げた臭い。

 慌てて玉子焼きをひっくり返すと……まばらに強く焦げ目がついた面が上になった。


 焦げも調味料の一つ、なんていう人もいるけれど、これはちょっと焦げすぎだ。


「……すまん、焦がした」


 失敗は誰にでもあること。

 それはわかっているけれど、まさか莉世に見蕩れて焦がしたなんて言えるはずもなく、ショックが強い。


「私こそごめん。料理中に話しかけて、湊の気が逸れた」

「莉世のせいじゃないって。失敗するほど気が抜けてたのは俺だし」

「疲れてる? ちゃんと眠れていないとか、本当は調子が悪いとか――」

「そういうのはないから大丈夫」


 莉世が泊まり始めた頃は緊張していたものの、最近はそれもなくなって今まで通りに熟睡できることが増えてきた。

 それも慣れと一種の信頼なのかと思うと、ちょっとばかり感慨深い。


 体調も自覚している分には問題ないと思う。


 ……少しだけ身体が火照っている気がするのは、見蕩れていたことへの恥ずかしさだろうから見て見ぬふりをしておく。


「卵はこれで最後だから作り直しは出来そうにないな。食べたくなかったら食べなくてもいいから。あんまり美味しくはないだろうし」


 正直、失敗作を人に食べてもらうのは気が引ける。

 これまで成功続きだったのだからなおさらだ。


「私、普通に食べるつもりだったけど」

「……無理しなくていいからな?」

「片面焦げたくらいでそこまで美味しさは変わらないし、全部真っ黒ってほどでもない。これはこれでいい焦げ目」

「…………そうか?」

「あと、折角作ってくれたものを食べないのは気分的に申し訳ない」


 ……意外と律儀なんだよなあ、莉世って。


 食前食後の挨拶も欠かさないし、作ったものは残さず、しかも美味しそうに食べてくれるから作り甲斐がある。

 莉世に振る舞うようになってからわかったけど、自分の料理を目の前で食べて「美味しい」と言ってくれるのは結構嬉しい。


「湊。時間がある時、料理を教えて欲しい」

「……料理? 莉世が?」

「私も出来ることを増やしたい。洗濯、しかも自分の分だけだと、家事分担とは言えないから」


 どうしてまたそんなことをと驚いてしまったが、理由を聞けば納得した。


 出来ることを増やしたい……裏を返せば俺の負担を減らしたい、ということか。

 この間の対価がどうとかの話を気に留めているのかもしれない。


 俺としては莉世が洗濯以外の家事も出来るようになってくれたら助かるけど……料理を身に着けるのは長い道のりになると思う。

 かといって断るのも気が引ける。


 なんにせよ本人のやる気を損ねるよりは、やってみてから考えた方が良さそうだ。


「なら、初めはお手伝いからってことでどうだ? 少しずつ教えながらって感じで」

「……いいの?」

「それくらいでいいならな。自分で食べる分くらいの料理の腕は身に着けておいた方が何かと便利だろうし」


 莉世とていつまでもここに泊まり続けるわけにもいかない。


 大学に通っている間はこのままでもいいかもしれないけど、いつか、明確に終わりはやってくる。

 家に帰るのか、親元を離れて一人暮らしをするのか。

 出来ることなら他の人の家に泊まる、なんてことにはなって欲しくないけど、可能性が残っていることは否定しない。


 その時、莉世が困らないように生活する術を身に着けていてもらいたい。


 アフターサービスとは違うけど、これは自分が納得するためにも必要なこと。

 後腐れなく莉世との関係を終えるための下準備。


 心配事が無くならないと、頭のどこかで莉世のことを考えてしまうだろうから。


「ありがと。湊……先生って呼んだ方がいい?」

「それは勘弁してくれ」

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