第17話 対等

「――琴朱鷺。どういう意図で付き合おうなんて言ったんだ?」


 昼食中、琴朱鷺に「付き合う?」なんて言われた日の夜、ずっと考えていた真意を琴朱鷺へ問う。


 結局あの場では話が流れ、四人でしゃぶしゃぶを食べて解散となった。

 黛は笑っていたし、宮前先輩は俺を揶揄ってくるしで散々な目に遭った。


 けれど、当の本人はソファーで興味なさげにタブレットを弄っていた。

 ついさっき風呂から上がったばかりの琴朱鷺はもう眠気を感じているのか、どことなくぼんやりとしている。


 それでも会話に応じる意思はあるらしく、タブレットから俺へ視線を移した。


「私が湊と付き合えば居候じゃなく同棲になる。まゆが言っていたけど、付き合ってもいないのに同居しているのは不自然らしいから」


 琴朱鷺が口にしたのは正論でありながら看過できない理由だった。


 現状、俺は琴朱鷺を泊めているだけ。

 付き合ってもいなければ、男女的な関係もない。

 強いて言うなら友達であり、偶然生まれた同居人。


 ルームシェアと思えばいいものの、そう楽観出来たら苦労はしない。


「らしいからって……普通はお互い好きだから付き合うんじゃないか?」

「かもね。でも、今のままだと私は湊へ何も対価を支払えない」

「対価は負担してもらってる生活費でじゅうぶんだし、俺が断り切れずに泊めているだけだから」


 琴朱鷺からの一日一万円支払うという申し出は、泊める条件として俺が提示しなかったからという屁理屈で却下していた。

 だから琴朱鷺が負担しているのは個人的に買ってきた物の費用と生活費の半分。


 なので、結果的には俺の金銭面には多少の余裕が生まれていた。

 琴朱鷺みたいに可愛い女の子と同居しているのを不幸と言ったら世の中の男たちからボコボコにされそうだけど、不幸中の幸いか。


 しかも、思っていたより琴朱鷺との同居生活は快適だ。

 家事は洗濯に限り分担で、他のことは俺がやっているにしろ、琴朱鷺も手伝おうとしてくれる。

 そのうち任せられるようになる……かもしれない。


「足りない」


 けれど、琴朱鷺は横に首を振る。


「……初めは安心感の理由を知れたら帰ろうと思ってた」

「答えは見つかったのか?」

「ぼんやり。でも、居心地が良くて……良すぎて帰るに帰れなくなった」


 琴朱鷺が申し訳なさそうに目を伏せる。


 居心地が良すぎて、か。


 それは琴朱鷺が家出をした理由にも関わってくるのだろう。

 本当にこれ以上聞いていいのかと頭の中でブレーキがかかる。


「今は私が貰い過ぎてる。湊に支払う対価が足りてない」

「……だから俺と付き合うなんて言い出したのか?」


 やっと頭の中で話が繋がったところで、琴朱鷺が小さく頷く。


「客観的な評価として私は可愛いらしい」

「まあ、そうだな」

「男の人は可愛い女の子と付き合うことに優越感を覚えるらしい」

「……そうかもな?」

「てことは、私が湊と付き合うのは相応の価値になると思った。湊は私の身体に興味ないみたいだから、どのくらいの価値になるかわからないけど」


 ……。

 …………。

 ………………。


 ……ダメだ、ちょっと理解が追いつかない。


 一つ一つ整理しよう。


 琴朱鷺は俺の家に泊っている事への対価が足りないと感じている。

 以前から対価として自分の身体を好きにしていいと言っていた。

 けれど、俺には琴朱鷺をどうこうするつもりがない。


 それを琴朱鷺もわかっていたのだろう。

 だから俺の逃げ道を塞いで強引に清算するため、黛と宮前先輩がいる状況で俺へ「付き合おう」なんて口にした。


 ……こんなところか?


「そのうち追い出されるとでも思ったのか?」

「それもあるけど相応の対価を支払うべきってだけ」

「だからって付き合うことを対価とするのは……いやまあ、普通は貰い過ぎって思うくらいのことかもしれないけど」


 当然のことながら、俺の目から見ても琴朱鷺は非常に可愛い女の子だ。


 日本人離れした、整った顔立ち。

 小柄な体躯も相まって美人よりは美少女と呼ぶべきか。

 新雪のような純白の長髪は艶があり、透き通る碧い瞳は宝石のよう。


 芸能人と紹介されても納得してしまうほどの容姿に好意を覚えても、嫌悪を抱く男はいないはず。


 大学では物静かに振る舞っていたから為人が掴めなかったけど……今はちょっとずぼらで天然なところもある、意外とおしゃべりな女の子だと知っている。


「でもさ、好きでもないのに付き合うのもどうなんだ? あと、俺は琴朱鷺に付き合って欲しいから泊めてるわけじゃないし」

「なら、どうして?」

「自己満足だよ。知らない人のところに泊って、酷い目に遭う琴朱鷺のことを考えたくないだけだ」

「それは泊めてもらう対価だから――っ」


 琴朱鷺の声が、途切れる。


 俺が唐突に琴朱鷺をソファーへ押し倒したからだ。


 仰向けに寝転んだ琴朱鷺へ、その気になれば睫毛の本数すら数えられそうな距離感で覆いかぶさる俺。

 いつもすまし顔を崩さない琴朱鷺もこれには驚いたのか、僅かに目元が見開かれていた。


 捲れ上がったシャツ。

 なだらかなお腹が、へそのあたりまで見えてしまっていた。


 でも、琴朱鷺に服を直す素振りはなく、手も固まったまま動かない。


 可能な限り冷たい声を喉の奥で作ってから、


「頼むから、わかってくれよ。俺のこれは親切とかじゃない。治らない持病みたいなものなんだ」

「…………」

「俺も男だからな。下心も性欲もない聖人君子じゃない。毎日無防備な姿を見せられるこっちの身にもなってくれ。それでも琴朱鷺が意識を改めないのなら――俺が出ていく」

「……え」


 琴朱鷺の口から漏れたのは、本当に意表を突かれたかのような声。


 多分、俺は琴朱鷺を追い出せない。

 だったら俺が出て行って、気が済むまで琴朱鷺に部屋を使ってもらえばいい。


 琴朱鷺みたいなタイプにはこっちの方が効くと思ったけど、やっぱりか。


 出て行ってる間は……どうにかしよう。

 高くつくだろうけど黛を頼ればどうにかなるはず。

 あいつはほとんどを彼女の家で過ごしているらしいから、黛の部屋を借りられるかもしれない。


「じゃないと俺は琴朱鷺を傷つける。無用に傷つくのはお互い嫌だろ? 俺は琴朱鷺を泊める。琴朱鷺は泊ってる間、妙なことをしない。これだけで俺たちは上手くやっていける。……だから、頼む」


 これで俺が言いたいことは言い切った。


 柄にもないことをしたせいで冷や汗がすごい。

 けれど、やりたくもない実力行使に出た甲斐はあったのかもしれない。


 あの様子なら琴朱鷺もわかってくれたはず。


「……いきなり驚かせてごめん。こうでもしないと伝わらないと思ったからした。変な空気にして悪かった。先に風呂入ってくる」


 俺も頭を冷やすために脱衣所へ逃げ込もうと背を向ける。


 しかし、繋ぎ止めるかのようにシャツの裾が軽く引かれた。


「湊の言いたいことはわかった。私が軽率だったのも認める」

「だったら――」

「でも、だったらちゃんと対価を貰って欲しい。身体もお金も受け取らないじゃあ私が納得できない。わがままだけを通してもらうのは居心地が悪いから」

「……なら、せめて琴朱鷺自身が稼いだお金にしてくれ。それなら受け取る」


 琴朱鷺自身が稼いだ中から対価として貰うならギリギリ受け入れられる。

 前に服飾のデザインの仕事をしていると言っていたから、それも可能なはずだ。


 出来ないならどこかでバイトしてもらう方向で考えたらいい。

 両親から貰っているお金で不自由はしていないんだろうけど、琴朱鷺としてもその方が後腐れはなくなると思う。


「わかった。それと、もう一つ」

「……まだ何か?」

「私のことも名前で呼んで。それでやっと、対等。違う?」


 確かに俺はずっと琴朱鷺と呼んできた。

 それは名前で呼ぶと一気に距離感が縮まる気がして、他人ではいられなくなる気がしていたから。


 でも、対等な立場とすることで琴朱鷺が妙な真似をしなくなるのなら……受け入れざるを得ない。


 息を整えながら振り返る。

 そして琴朱鷺を正面に据えた。


 いざ名前で呼ぶとなると変に緊張してくる。


「…………莉世。これでいいか?」

「ばっちり」


 端的に認めて、小さく微笑む。


「やっと呼んでくれた。ずっと湊って呼んでたのに」

「意図的だったのかよ」

「うん。あと、さっきのは私のために色々言ってくれたのもわかってる。ちゃんと向き合おうとしなきゃ適当に、なあなあで済ませることもできたはずだから。違う?」


 真っすぐな眼差しに込められた感情がなんなのかをわかってしまうからこそ、認めるのは恥ずかしい。

 かといって何も言わないのも後を引きそうだ。


 俺は琴朱鷺……莉世と明確な線引きをしたいだけ。

 仲良くなること自体は肯定的だ。


「お節介だったか?」

「ううん、助かる。そういうことを言ってくれたのは湊が初めてだから」

「……なら、いいけど」

「引き留めてごめん。お風呂、ゆっくり入ってきて」


 緩く笑んだまま俺を送り出す莉世へどんな顔をしていいのかわからず、妙な気恥ずかしさを抱えたまま風呂に入るのだった。

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