第14話 みられたところで減らないし
「……頭が、重い」
窓の外で絶えず響く、ざあざあという雨音。
灰色の曇が空を埋め尽くしていて、しばらくは雨が続くだろう。
そんな朝の寝起きに聞いたのは、布団で丸まった琴朱鷺が呻く声だった。
「琴朱鷺? 大丈夫か?」
すっと目が覚めて、慌てて琴朱鷺の顔を覗き込む。
無造作に散らばる髪。
薄く開かれた目には、まるで生気がない。
まったく日焼けをしていない肌が白いのは知っていたけれど、今日の顔色はそれよりさらに白い。
そんな琴朱鷺は俺の声に反応して身じろぎ、
「……多分、低気圧のせい。いつものことだから気にしないで」
体調が良くないことを伝えてきた。
程度に差異はあれど、気圧で体調が悪くなる人のことは知っている。
様子を見るに琴朱鷺もそうなのだろう。
しかも、起きているのに布団から動けないのは結構酷そうだ。
というのも、琴朱鷺と暮らすようになってわかったことがある。
例えば寝起きがいいとか、和食派とか、洗濯以外の家事が出来ないとか……そんな具合だ。
こんなこと普通に大学で過ごしていたら気づけない。
……それはともかくとして、寝起きがいい琴朱鷺が起き上がれないのは相当だ。
「いつものことって……本当に大丈夫か?」
「……大丈夫」
やや間を置いての返事。
琴朱鷺は布団からゆっくりと起き上がり「目覚ましでシャワー浴びてくる」と、ふらふらとした足取りで部屋を出ていく。
後ろ姿が普段よりも頼りなく心配だ。
「何かあったら呼んでいいからな」
琴朱鷺の体調がどれほどかわからないけど、風呂場で倒れられても困る。
返事はなかったけど多分聞こえているだろうと思い、俺も朝の準備に取り掛かった。
朝食の支度を終えた俺はリビングで琴朱鷺が来るのを待っていると、脱衣所の扉が開く音が聞こえた。
続く足音。
視線を向ければ琴朱鷺が前を横切……って、なんでバスタオル一枚なんだ。
「ちょっ、琴朱鷺」
「……どうしたの?」
「着替えは?」
「持っていくの忘れた」
……さいですか。
寝起きなのと、体調の悪さでそこまで頭が回らなかったのかもしれない。
それでバスタオルだけで出てくるのはどうなんだと思うけど。
前にもあったけど、琴朱鷺にはあるべき羞恥心が欠けているのかもしれない。
男の前にバスタオル一枚で出てくるのは無警戒にもほどがある。
せめて脱衣所に下着だけでも置かせるべきか。
じゃないと俺の心の平穏が保てない。
「……俺に持ってくるよう頼むか、一旦着ていたものを着て取りに来たらよかったんじゃないか?」
「バスタオルでも不足はないと思う。見えてないし」
平然と言いながら、身体に巻いていたバスタオルの裾を摘まむ。
すると当然、風呂上がりで血色の良くなった太ももが際どい所まで見えてしまう。
しかし、短い付き合いながら予想していた俺はすぐさま視線を逸らしていた。
それでも多少見えてしまうが、これも慣れのせいなのか前ほど過剰に反応しなくなっていた。
ドキドキしないかと聞かれれば全く別の話だが。
「もっとこう、警戒心を持って欲しいといいますか」
「湊相手に警戒するようなことがあるの?」
「あるだろ」
「だって私、泊めてくれる代わりに私のことは好きにしてって言った。無警戒なのは当然」
「……いいから早く着替えてくれ。風邪ひくぞ」
「そうする」
意外にも聞き分けはよく、琴朱鷺は着替えを取りに部屋へ。
がさごそと服を探す音が聞こえて、脱衣所へ戻る足音――
「湊」
「……今度はどうした?」
「こっちの服、着ていっても変じゃないかな」
まだバスタオル姿だろうから顔を合わせずに話そうと思ったのだが、見ないことには話を続けられなさそうだ。
気を付けながら琴朱鷺へ視線を移し、驚いた。
琴朱鷺が選んだ服はいつも大学へ着ていくような清楚系ではなく、フリルやレースがふんだんにあしらわれたロリータ系。
恐らく意図して着ていなかったそれを琴朱鷺が選んだ。
何かしらの心境の変化があったのだろうか。
「琴朱鷺が着たいものを着たらいい。俺はそういうのも似合ってると思うけどな」
俺が決めることじゃないと突き放すのは簡単だ。
でも、琴朱鷺が言い出した理由の一つに俺とのやり取りが関係しているとすれば、回答しない選択肢はない。
だから一応の理由も添えて答えると、琴朱鷺は薄く微笑み、
「ありがと。ちょっと怖かったから、そう言って貰えてよかった」
普段より若干……本当に若干の嬉しさを滲ませながら口にする。
そのまま脱衣所へ向かおうとして――
「あっ」
明らかに虚を突かれた声。
琴朱鷺の身体が不自然に傾く。
「っ!」
それを見るや否や、身体は動いていた。
間に合うか……? いや、間に合わせるっ!
咄嗟に華奢な身体を抱き寄せ、頭を打ち付けないように受け止める。
だが、どれだけ琴朱鷺が軽いといっても、倒れた勢いが重なれば完璧に受け止めるのは難しかった。
俺が背中から倒れたことで伝わる衝撃。
鈍い痛みを感じながらも胸元を見れば、やや濡れたままの純白の髪が広がっている。
琴朱鷺の顔は抱えていた服がクッションとなったことで無事……だと思う。
「琴朱鷺、大丈夫か?」
痛みを堪えながら確認をすると、琴朱鷺はゆっくりと身体を起こす。
すると、目の前から白い髪が頭の動きにつられて引いていく。
心なしかしゅんとした目元に、ちょっとだけ赤くなった鼻先。
結ばれていた唇が僅かに動き出す予兆を見せ――
「あ」
零れたのは、何かに気づいてしまったような声だけで。
ほぼ同時に、ひらりと琴朱鷺の身体を隠していたバスタオルが落ちていく。
それを視線が琴朱鷺へ固定されていた俺は、余すことなく視界に収めてしまう。
少女的な肩の滑らかなライン。
傷もシミもない肌は人形ではない血色が巡っている。
そして、大きくはなくとも確かな膨らみと、頂点を彩る蕾が――
「っっっ!? ごめんっ!」
それが何なのかを明確に認識した途端、頭が沸騰したような感覚に見舞われる。
すぐさま目を瞑るも、もう遅いことはわかりきっていた。
見てしまったものはどうしようもなく鮮明に脳裏に焼き付いて、離れてくれない。
「どうして湊が謝るの? 転んだのは私。助けたのは湊。結果下敷きにしたから、どう考えても私がお礼も謝罪もする側」
「それはそうなんだけどそうじゃなくて! バスタオル!」
罪悪感と羞恥とで死にたくなりながらも原因を告げると「そういうこと」と妙に冷静な声が返ってくる。
「湊に見られる分には約束の範疇だから気にしない」
「流石に気にした方がいいと思うんですけど!?」
「別にみられたところで減らないし」
琴朱鷺の言う通り減るものじゃないけど、それで片付けていい話じゃないと思うのは俺だけなの……?
俺の常識が壊れていく気がするも、それで見たものの衝撃は薄れてくれない。
目を瞑っていて視覚が制限されているからか、常にぼんやりと焼き付いたその姿で琴朱鷺の声が再生される。
だめだ忘れろ……!
「……いいからとにかく身体隠してくれ。あと、早く上から退いてくれると助かる」
「重かった?」
「そうじゃなくて……っ」
純粋な琴朱鷺の疑問に言葉尻を濁しながら答える。
というのも、琴朱鷺は俺の腰に跨る形で座っている……はずだ。
しかもバスタオルを一枚隔てただけの状態で。
煩悩を刺激するにはじゅうぶん過ぎる破壊力を秘めているが、バスタオルをはだけさせた琴朱鷺も直前に目にしている。
つまり何が言いたいのかというと――密着していたら生理現象が誤魔化せない。
俺だって男で、生理現象には抗えなくて、ソレの発散だってしていない。
そんな状態であんなものを見てしまったら、意思とは関係なく反応してしまった。
最悪だ。
どうか気づかないでくれ……と琴朱鷺が離れるのを待つ間に願っていると、身体が軽くなるのを感じた。
「巻き終わったよ」
琴朱鷺の言葉を信じて目を開けると、隣にバスタオルを巻いた琴朱鷺が座って俺の顔を覗き込んでいた。
そして、何を思ったのか琴朱鷺が耳元に顔を寄せてきて。
「――湊は悪くないから気にしないで。あと、発散したいなら協力するから」
完全にばれていたことを遠回しに告げられ、合わせる顔が無くなった俺は「いっそ殺せ」と心の中で嘆くのだった。
―――
ジャンル別でも10位台まで上がったの多分初めてで困惑しております……。
皆様の応援あってのことです。本当にありがとうございます!
ここまで来たらどうにかジャンル一桁も見てみたい……!ので、どうか応援よろしくお願いします!
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