第13話 すごく大切なもの

「――ただいま」


 大学終わりのバイトから帰宅したのは夜の十一時過ぎ。

 バーの開店準備を手伝い、そっちの時間に働く人と交代で退勤してきた。


 玄関には相変わらず琴朱鷺の靴が一揃い鎮座している。


 まだ起きているだろうか。

 数日一緒に過ごしてわかったけど、琴朱鷺は案外と規則正しい生活をしている。


 朝は七時くらいには起きているし、全体的に小食ながら三食食べるし、夜は日が回るより前には眠っている。

 家出するくらいだから生活リズムが乱れているイメージがあっただけに、少しだけ驚いた。


「……湊、おかえり」


 リビングから響いた声。

 ソファーでタブレットを弄っていた琴朱鷺が顔を上げ、視線が合う。


 琴朱鷺が泊まり始めてから何日も経っているのに、未だにこんな時間に女の子が俺の部屋にいることへの違和感が拭えない。


「夕飯は食べたか?」

「湊が用意していた作り置きを食べた。美味しかった」

「そりゃどうも。風呂は……まだっぽいな」

「作業がひと段落したらと思ってたら湊が帰ってきた」

「……作業?」


 琴朱鷺がかなりの頻度でタブレットを弄っているのと関係があるのだろうか。


「言ってなかったけど服飾のデザインを少しやってる」

「……それってかなりすごいんじゃないか?」


 詳しくはないけど、一朝一夕で出来るようなものではないはず。

 少なくとも俺の身の回りにデザイナーは一人たりともいなかった。


「見る?」

「いいのか?」

「……湊なら、いい」


 俺の反応が興味を持っていると思われたのだろう。

 事実その通りだったので琴朱鷺の隣に座るとタブレットを手渡される。


 その画面に映っていたのは黒を基調とした、どこか見覚えのあるゴシックロリータ系の服の三面図。


「これ、琴朱鷺がこの前着ていた服じゃないか」

「よくわかるね。男の人ってレディースの服の見分けはつかないと思ってた」

「詳しいことはわからないけど、見覚えがあったから。あれって琴朱鷺が自分でデザインした服だったんだな。すごいじゃないか」


 素直に褒めると、琴朱鷺は意表を突かれたかのように口が小さく開いた。

 それから口角が僅かに上がり、微笑む。


「私が大学生になって、初めてお仕事を貰って作った服だから」

「大事なものなんだな」

「……ん。すごく大切なもの」

「よく似合ってたよ。でも、琴朱鷺って大学にはこういう服を着ていかないよな」


 あの夜に思った疑問を口にすると、琴朱鷺は迷った風に眉を下げて。


「ああいう服だとさらに見られるから。他に着てる人を見ないでしょ?」

「だからって琴朱鷺が好きなものを我慢する必要はないと思うけどな」


 よそはよそ、うちはうちだ。

 人に何を言われようとも、自分の気持ちは簡単に変えられない。


「勿体ないとは思うけど、琴朱鷺が決めることか」


 どうやら琴朱鷺としても着ない理由がありそうだし、俺が強要するのは良くない。


「それよりお風呂はどうする? 入って来るならその間に俺は夕飯を食べるけど」

「……なら、そうする。その方が無駄がない」


 そう言って琴朱鷺は部屋へ着替えを取り、脱衣所へ。

 すぐにシャワーの水音が聞こえてくる。


「……人間って慣れるんだな」


 自分が住む家の風呂を女の子が使っていることに、一週間と経たずに慣れているのだから恐ろしい。

 ……それよりすごいのは俺の家に泊った初日から平然と風呂を借りていた琴朱鷺のメンタルだろう。


 覗かれるとか、風呂に乱入してくるとか考えなかったのだろうか。

 リスクを取るのは琴朱鷺で、一糸纏わぬ丸腰の状態では抵抗なんて望めない。


 なのに普通に風呂に入り、無防備な格好で熟睡できるのは並の精神力じゃない。


 そんなことをする気は微塵もないけれど、どうしても考えてしまう。

 他の誰かの家に泊っていたら、琴朱鷺はどんな目に遭っていたのだろうか……と。


 恐らく、いや間違いなく、碌でもない目に遭っていた。

 あんな可愛い子を泊めるだけで終わるはずがない。

 琴朱鷺も対価としてそういうことを許容したはず。


「それは、嫌だな」


 俺はもう琴朱鷺のことを知ってしまった。

 他人とは口が裂けても言えないくらい関わっている自覚がある。


 琴朱鷺に押し切られたとはいえ、泊めると決めたのは俺。

 なら気が済むまでいてもらった方が心労は安くなる。


 それに、なんだかんだでこの生活を気に入ってしまっている自分がいることにも気づいていた。


 気を遣うことは当然ある。

 けれど食卓を二人で囲んだり、帰ってきたときに「おかえり」と言われると……不思議と胸が温かくなる。


 一人暮らしでは得られない、人の温もり。

 実家で家族と暮らしていた頃は当たり前に感じていたそれを、琴朱鷺が泊まるようになってから覚えていた。


 ――もしも、その感情を安心感と呼ぶのなら。


「……琴朱鷺を追い出すなんて出来ないよなあ」


 偶然から繋がった琴朱鷺との同居生活。

 今のところ生活費の心配はしなくていいし、大きな問題も起こっていない。


 束の間の平穏かもしれない。

 だとしても……俺がそれを奪うことは、出来る限りしたくない。


 だからお人好しって言われるんだろうけど、誰も損をしていないからいいと思う。

 自己満足であっても、まだ自己犠牲ではない。


 だから、これでいい。


「考え事してないで飯食べるか。食べたら洗い物して、琴朱鷺が上がってきたら交代で風呂入って、明日の講義に備えて寝ないと」

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