第10話 猫扱いでいいのかよ

 今日のバイトは午後までで、入れ替えの人に挨拶をして退勤した俺はスーパーで夕食に使う材料を買って帰宅。

 未だに玄関に琴朱鷺の靴が置かれていることに違和感を感じつつも「ただいま」と中に入ると、部屋着のままソファで眠る琴朱鷺の姿があった。


 睫毛は伏せられ、呼吸は穏やか。

 くしゃりとなった髪が頬にかかってこそばゆそうだ。

 直前まで弄っていたらしいタブレットを抱えながら縮こまるようにして眠っている。


「……他意がないのはわかってる」


 言い聞かせるように呟く。


 状況証拠からしてただの寝落ちだ。

 俺を誘惑しようとか、そういう意図は感じられない。


 感じられないが――あまりに無防備ではある。


「信用されてるってことなのか?」


 多少は理由としてあるかもしれないけど、そもそも琴朱鷺の警戒心が低すぎるのが問題だと思う。


 俺は少し迷い、そのまま寝かせておくことに決める。

 起こす意味はあまりないし、こうも気持ちよさそうにお昼寝をしている琴朱鷺を起こすのは忍びない。


 いつもより音に気を使いながら買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞い、夕飯の支度をするまでに課題を終わらせておく。

 琴朱鷺の寝息を遠ざけるように集中し、もう少しで課題が終わりそうになった頃――ピンポーンとチャイムの音が響いた。


 ……そうだ、昨日買った荷物が届くんだったな。


 一応ドアスコープから配達員であることを確認してから大きめの段ボールに詰められた寝具セットと組み立て済みのカラーボックスを受け取り、寝室へ運ぼうとしていると、


「…………おかえり、湊」


 チャイムの音で目覚めたらしい琴朱鷺が猫のように目を擦りながら俺に気づいた。


「起こしたか」

「ううん。それは昨日の荷物?」

「そうだな。これでようやく安眠できる」


 昨日はソファで寝たから睡眠をとることはできたけど安眠とは言えない。

 しかも、困ったことに琴朱鷺が新しい布団で寝るようになったとしても俺が安眠できる保証はない。


「荷物出すの手伝う」

「助かる」


 寝室に荷物の入った段ボールを置き、取ってきたカッターで封を開ける。

 入っていた布団と枕、布製の仕切りケース、組み立て済みのカラーボックスを取り出して段ボールを畳む。


「布団と枕を頼む」

「りょーかい」


 気前のいい返事。

 袋から出すだけだから大丈夫だろうと寝具は任せ、カラーボックスを前もって開けていたスペースに設置する。

 あとは中身が見えないように布製の仕切りをカラーボックスの収納部分に嵌めれば完成。


「そっちはどうだ?」

「布団と枕は出した」

「なら先に荷物の整理しといてくれ。布団と枕は敷いておく」

「布団は湊の隣がいい」

「……どうしても?」

「一人で寝るのは寂しい」


 どう考えても違う気がするけど気にしないことにしてベッドの隣に布団を敷く。

 掃除は昨日買い物から帰った後にしたから大丈夫なはず。


「こんなもんだろ。他に困ったことがあれば言ってくれ」

「ん」


 キャリーケースから荷物を取り出して収納に詰め込んでいく琴朱鷺を背にしてキッチンへ――行こうとしたけど、少しだけ様子を窺うことにする。


 お金に困ってないと言っていたことから、琴朱鷺は箱入りお嬢様的な育ちの可能性がある。

 家政婦を雇っていたとかで荷物整理になれていなくても不思議ではない。


 そう思っていたのだが、琴朱鷺は存外に慣れた手つきで服を畳み、収納していく。

 あの分なら大丈夫そうだ。


 収納で思い出したけど洗濯のこともちゃんと考えないと。

 分けた方が色々と問題は少なくなりそうだ。


 女性ものの衣類は色移りや型崩れとかを注意すると聞いた。

 あと、下着を男に洗濯されるのは嫌だろう。


 ……琴朱鷺なら別に構わないとか言い出しそうだけど、俺の方が気まずい。


 他にも同居するにあたってルールを決めておかないと。

 トイレとかお風呂で琴朱鷺が入っているのに気づかず鉢合わせたら気まずいどころの話じゃない。


 多分、罪悪感で死にたくなる。


 そんなことを考えながら夕食の準備を済ませ、浴槽に湯を張ってから琴朱鷺の様子を見に寝室へ戻る。


「荷物整理終わった」


 得意げに終了報告をする琴朱鷺。

 後ろには空っぽになったキャリーケースと、綺麗に中身が収まった収納。


 チェックするまでもなく、琴朱鷺はやり遂げたらしい。


「ちゃんと終わったみたいで何より。容量が足りそうか?」

「今のところは大丈夫。服の収納は得意だから。ほら」


 琴朱鷺はどことなく自信を滲ませながら収納の中身を見せてくる。


 見事に色のグラデーションが出来るように並べられた衣服の数々。

 衣服の種類ごとにも分けているようで、意外な几帳面さが見て取れた。


 それにしても妙に彩り豊かな区画があるなと思い、目を凝らして――


「――って、下着まで見せなくていいからっ」

「着られてないものに過剰に反応しなくていいと思うけど」


 ショッピングモールでも言っていたけど、下着自体はただの布。

 真価を発揮するのは誰かに穿かれているときという論には賛同するものの、そこにある下着は今後琴朱鷺が着る可能性のある下着だ。


 …………やめよう、この思考。

 よく考えなくても変態的だ。


「それで納得出来たら苦労しない。あと、洗濯物も今後はちゃんと分けよう。琴朱鷺も俺に全部見られるのは嫌だろ?」

「見られるのはいいけど、洗うのがそもそもめんどくさい」


 ……下着見られるよりめんどくささの方が勝つの?


 相変わらず琴朱鷺の考えはよくわからない。


「でも……湊、私が服も仕舞えないと思っていそうだった」

「もしかしたら家政婦さんとかがやってる可能性を考えたらな」

「昔はそうだったけど、服のことは自分でやってた」

「他のことは?」

「無限の可能性を秘めてる」


 つまり生活力には自信がない、と。


 とはいえ洗濯を任せられるなら俺としても嬉しい限りだ。


「私もやればできる」


 真っすぐに俺を見てくる琴朱鷺。

 雰囲気は犬のソレだ。


 まさか褒められ待ちとか?


「……頑張ったな」

「ん。頭も撫でていい」


 言って、琴朱鷺は瞼を瞑り頭をずいと前に。

 完全に撫でられ待ちの姿勢。


 少しだけ上へ顔を傾けていることで、さらさらと白髪が左右に分かれて流れる。

 もっちりした白い頬も耳たぶも見えていて、日焼けを知らない肌の白さが眩しい。


 わざと唇からは視線を逸らし、褒めることもときには大切だよなと自分に言い訳をしながら頭へ手を伸ばす。


「…………っ」


 そっと髪に触れた途端、触り心地の良さに息を呑む。

 俺が本当に触れて良いものなのか怪しく、手を引っ込めたくなる衝動に駆られるも、これは琴朱鷺が望んだご褒美という名目での行為。

 やめた時に悲しい顔をされるのかもと考えたら、ここで手を引けるはずがなかった。


 撫でることだけを意識しながら二度、三度と髪の流れに沿って手を動かす。

 すると琴朱鷺の目元がさらに緩み、もっとと言いたげに手に頭が押し付けられた。


「なんだか、猫の気分」

「俺は飼い主か?」

「そうかも。首のとこも撫でる?」

「猫扱いでいいのかよ……」


 やらないからな、と思いつつも意識はほっそりとした凹凸のない首へ向く。


 きっとそこはすべすべしていて、じんわりと熱を持っていて、力を込めたら折れてしまうほど脆いのだろう。

 ガラス細工なんて言葉が良く似合う華奢さだ。


 そこまで手を出す気にはなれず「飯食べるぞ」と適当な理由を付けて切り上げる。


「もう終わり?」

「終わりだ」

「またしてくれる?」

「……機会があって気が乗ればな」


 確約はせず、わざと言葉をぼかす。

 こんなこと毎回やってたら精神が持たない。


 異性としての好意はまだない、と思っている。

 それでもここまで可愛い容姿をした琴朱鷺にこんなことをすれば、多少なりとも自分の中で良くない欲が湧くことも事実。

 手に入れたい、従えたい、犯したい――そんな心の声を押し殺しての生活がいつまで続くだろう。


 俺は聖人君子でもなんでもない。

 結果的に琴朱鷺を泊まらせているのは、軽々しく身体を対価に差し出してくる彼女を放置したら良くないことになりそうだと思ったから。


 一度関わり、助けた相手が誰かの食い物にされるのは見ていられない。


 だから、多少の距離感があった方がいい。


「……まあいいや。仕舞い終わったなら夕飯にするか」

「今日はなに?」

「豆腐が安かったから麻婆豆腐と野菜のナムルとか。味付けは素を使ってるからそんなに辛いやつじゃないぞ。もう出来てるからテーブル運ぶの手伝ってくれ」

「運んだら撫でてくれる?」

「撫でない」


―――

実は想定していたより読まれていて驚いています。どうにか更新できるように頑張りますので応援よろしくお願いします!

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