第9話 めんどくさい先輩

 日曜日。

 俺は午前中からバイト先の喫茶店『Hideout』で働いていた。


 昼間は喫茶店、夜はバーという店長の趣味が反映された店で、俺は主にバーの開店前を限度として出勤している。

 店長曰く、お酒が絡む時間帯に未成年を働かせるわけにはいかないとのこと。


 こっちとしても大学があるので深夜まで働くのは遠慮したい。


 そんなわけで絶賛バイト中なのだが、如何せん客足は少ない。

 喫茶店の時間帯はほとんど常連客しか来ないため、カウンターの裏で備品の整理をしながら駄弁る余裕すらある。


「――それで、ほんとのところ『白雪姫』とはどんな関係なのよ。恋人じゃないなら生き別れの妹とか?」

「ほんとのほんとに違います。一番近いのは……知り合い、でしょうか」

「そんな距離感には見えなかったけどねえ」


 俺も言ってから無理があるかなと思ったけど、琴朱鷺との間柄を正確に表す言葉を思いつかなかったのだから仕方ない。


「……ていうか宮前先輩は仕事してくださいよ」

「えー? だってお客さん一人しかいなくて暇だし店長も暇ならおしゃべりしてていいって言ってたじゃん」

「一人いるじゃないですか、お客さん」


 暇ではあるが客がいないわけではない。

 窓際の席で新聞を読みながらコーヒーを楽しむ常連の老紳士が一人いる。


 うるさくしているつもりはないけど、なるべく声量は抑えるようにしていた。


「あの人が店を出るのはいつもお昼前。他にお客さんもいないから対応はすぐできるし、用もないのにテーブル周りを歩き回っていたら気が散ると思うんだよね」

「……まあ、そうかもしれませんけど」

「不満そうな顔してるねえ。美人でおっぱいの大きなお姉さんと仲良く話せる機会なんて今だけだよ?」

「普通自分のことを美人って言います?」

「美人でしょ?」


 ふふーん、と自慢げに大きな胸を張る宮前先輩。

 美人かどうかなら認めざるを得ないけど、わざわざそれを伝えると調子に乗るのが目に見えているので口を噤む。


「幸村くんは本当に幸せ者だと思うんだよね。入学早々の新歓コンパで誘われて、いっぱい楽しい思いできたでしょ?」

「……俺は宮前先輩に有無を言わさず連れていかれた挙句、隣でずっと酒をがぶ飲みして酔っぱらった先輩にダル絡みされ続け、素面の俺にしがみついてきた先輩を仕方なく家まで送り届ける羽目になった記憶しかないんですけど」

「でも楽しかったでしょ?」

「…………楽しかったかどうかは置いといて、ここを紹介してくれたことは感謝してますよ」


 新歓コンパで飲み会に行ったのは少しでも生活費を浮かせるためだったけど、あそこで断らなかったのは英断だった。

 あの場で同じ学年の知り合いも何人かできたし、生活費を稼ぐためのバイトも宮前先輩に紹介してもらった。


 そういう意味で言えば大学生活を軌道に乗せられたのは宮前先輩がいたからだ。


「まあ、感謝と同じくらいの迷惑を宮前先輩にはかけられていると思ってますけど」

「例えば?」

「べろんべろんに酔っぱらった先輩を担いで家まで送って危うく吐かれかけたり」

「わたし、酔っちゃうと記憶なくなるからわからないなあ」

「『お願いだから幸村くんいなくならないで~寂しくて死んじゃうよ~』って言いながら抱き着かれたこととかありましたね」


 ちなみにこれはマジの話。

 巨乳が押し当てられて嬉しいよりも噎せ返るほどの酒臭さといつ吐くのかわからない恐怖の方が割合としては大きかった。

 だってこの人容赦なく吐くんだもん。


 大変申し訳ないと思っているけど酒癖に関しては全く信用していない。


「だってわたし寂しい女だし? 大学生活三年目にして一人も彼氏できたことないし? は~~~~どこかに立候補してくれる可愛い後輩とかいないかなあ」


 わざとらしく言いながらチラチラ俺を見てくる宮前先輩。

 ほんとめんどくせえ……。


「先輩が彼氏作れないのはお酒飲みに行って痴態を披露するからじゃないです?」

「うぐっ」

「なんで気になる男を引っかけて真っ先に行くのが飲み屋なんですか? 自分の酒癖の悪さわかってます? あと、そろそろ俺を介抱役で呼ぶのやめてください」

「うわぁぁあぁぁあん幸村くんが虐めてくるよぉおぉぉおおお」


 手で顔を覆ってすすり泣くふりをする宮前先輩にため息をつく。


 これがなければいい先輩なんだけどな。


 介抱役で飲み会に連れていかれるのも食事代が浮くメリットがあるから一応は納得の上だけど、毎回大変な思いをしていることに変わりない。

 多少の文句くらいは許してもらおう。


「くそう……自分は彼女がいるからって!」

「だから琴朱鷺は彼女じゃないって何度も」

「しかも名前呼びされてたし」

「…………そういえばそうですね?」


 最早気にしたことがなかったけど琴朱鷺はあの夜に出会った時から俺のことを「湊」と呼んでいた。

 いちいち人からの呼ばれ方を気にしないから流していたけど……一度しか話したことがなかった異性から名前で呼ばれるのは不思議に思われることなのか?


「…………あ」


 そこで初めて気づく。


 大学で琴朱鷺に呼び止められたときも俺は名前で呼ばれていた。


 つまり……あの場にいた人は宮前先輩と同じような誤解をしている可能性がある。


 …………急に大学に行きたくなくなってきたな。

 過激派と噂のファンクラブ員の耳にでも入れば――


「え? どうしたの急に」

「ああいやなんでも」


 宮前先輩の声で我に返り、言葉を繕って誤魔化す。


 もしかしなくても俺はとんでもない決断をしてしまったのではないだろうか。


 琴朱鷺が家に泊まり込んでいることは絶対に秘密にしなければ。

 あと、どうにかして早めに琴朱鷺には帰ってもらわないと。

 バレたら最後、大学生活が本当に危険で危ない。


「休憩、どっち先に入ります?」

「先輩特権でわたしから」

「そういうとこですよね」

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