第7話 下着なんてただの布なのに

「今日は買い物に行くぞ」


 琴朱鷺を俺の家に泊めることを約束して一泊した翌日、部屋着のままソファでタブレットを操作していた琴朱鷺へ告げた。

 早くも我が家のような寛ぎようである。


 そんな琴朱鷺の視線がタブレットから上がり、きょとんとした目が向けられる。


「……なにを買いに行くの?」

「琴朱鷺用の布団とか洋服入れとか、色々必要なものだよ。いつまでもソファで寝るのは勘弁願う」

「一緒に寝ていいって言ってるのに」

「いいわけあるか」


 バカなことを言う琴朱鷺の額に弱くデコピンを放つと両目を閉じて仰け反った。

『白雪姫』なんて大層な呼び名よりも『おしゃべりポンコツ姫』の方が似合ってる。


「そういうわけだから着替えてくれ」

「……拒否権は?」

「ない」


 端的な言葉で却下すると琴朱鷺は眉をひそめて渋るような顔をした。

 琴朱鷺、さては意外とものぐさだな?



 そんなこんなで嫌々ながらも着替えた琴朱鷺を連れてやってきたのは最寄りのショッピングモール。

 家族連れや若い集団でにぎわっているのは休日だからだろう。


「ここなら必要な物も揃うだろ。布団とか大きいものを持ち帰るのは無理だから送ってもらわないとだけど」

「お金のことは任せて」

「……悪いけど結構払ってもらうことになる。家に置いておくものは俺も出すようにするけど、金にそこまでの余裕はない」

「約束だから気にしなくていい」


 完全に気にしないのは無理だけど、正直払ってもらえるのはありがたい。

 まあ、そもそも琴朱鷺を家に泊めなければこの出費もなかったというのは考えないことにしよう。


「はぐれた時はすぐ連絡してくれ」

「湊こそ」

「……俺がはぐれる側なの?」


 いや、俺がはぐれない保証はどこにもないか。

 これも琴朱鷺なりのユーモア……いや、あの顔は本気で思っていそうだな?


 細かいことを気にしても仕方ないかと気分を切り替え、メモ帳にリストアップしてきた品を探して順に店を回ることにした。

 新しい布団、枕、服を収納するカラーボックスは店に頼んで明日送ってもらうように注文しておく。


 結構な値段になったけど琴朱鷺は平気な顔で数万円を現金払いしていた……一人で。

 俺も金を出そうとしたけど財布の中身が寂しく、琴朱鷺に止められる始末。

 ちゃんとATMで降ろしてから来るんだった。

 ……降ろすくらいの金、あったかな?


 琴朱鷺一人にお金を出させたせいか、レジ担当の女性が俺を見て微妙な顔をしていてちょっと息苦しくなった。

 俺はヒモでも居候でもないんです。

 その想いが届くわけもなかったが、心の中で叫ばずにはいられなかった。


「次は日用品か」

「足りない物あった?」

「バスタオルとか新品の方がいいだろ。シャンプーとかあの辺も好みがあるだろうし。長居するつもりならストレスになりそうな要素は減らした方がいい」


 俺はこだわりがないから特売のシャンプーとかを使ってるけど、人によっては体質に合わないとかあるかもしれない。

 歯ブラシは未使用の予備を使ってもらうからいいとして……コップは分けた方がいいか。


 思いのほか買うものが多くてリストアップ出来てないものが何個もありそうだけど、それは気づいた時に買えばいいか。


「……なら、色々買っておく」


 少しだけ間をおいて答えた琴朱鷺は値段を見ずに次々とかごに入れ、そのままレジへ。

 女性の買い物は長いと聞くけど清々しいまでの即断即決だった。


「袋貸して」

「どうして?」

「どうしてって……荷物くらい持つから。俺が手ぶらで琴朱鷺だけ荷物持ってたら白い目で見られるだよ」


 俺がついてきているのはちゃんと布団を買うかの監視と荷物持ちのためだ。

 だから気にしないでくれと視線で訴えれば、「じゃあ、お願い」と袋を渡された。


「必要な物って他にあったか?」

「下着」


 ……そういえば忘れて来たって言ってたな。


 下着を一着で回すのは流石に無理がある。

 今? 多分夜のうちに洗濯して乾燥させたやつを着てるはずだ。


 着てる……よな?


 ふと浮かんだ疑問につられて視線が琴朱鷺の胸へ向きかけ、慌てて逸らす。

 ……見てわかるわけないのに何見てんだよ俺は。


「心配しなくても今は着けてる」

「……何の話だ?」

「胸を見てたから気になったのかと思って答えた」

「…………ごめんなさい」

「なんで謝るの?」


 なんとなく謝らなきゃならない気がしたんだよ。


 あと、すぐに察されたのは恥ずかしい。


 咳払いを一瞬挟んで、


「家に帰って持ってきたらいいんじゃないか? 余計な出費になるし」

「昨日、一昨日で二日も帰った。今日は帰りたくない」


 二日も家に帰ったから帰りたくないってなんだよ。


 家出するほど嫌いなのはわかるけど、物を取りに戻るのすら嫌とは。


「家に帰るくらいならここで新しいの買う」

「……琴朱鷺がいいならそれでもいいけど、お金は大丈夫なのか? かなり散財してる気がするけど」

「大丈夫」


 女性の下着は高いって聞くけど、この軽さを見るにお金の心配はいらなさそうだ。

 琴朱鷺がお金を出すのだから好きにしてもらったらいい。


 ……そもそも異性の下着事情に口を挟むのも自分でどうかと思う。


「先に言っておくけど俺は店には入らないぞ」

「帰ってからの楽しみ?」

「違う。ああいうところに入るのは気まずい」

「下着なんてただの布なのに」

「…………」


 微妙に返しにくい論を持ち出すのはやめてくれないか?


 言いたいことはわからないでもない。

 下着そのものは装飾の施された布。

 見たり触ったりすることに犯罪性があるとは思わない……けど、限りなく外面は悪いだろうな。


 本当に問題になるのは下着が誰かに穿かれている状態で見ることだ、と言われれば納得する部分は確かにある。

 あるのだが……それとこれとは話が別。


 なにより俺と琴朱鷺以外にも客がいて、その人たちも同じ考えとは限らないのだから、問題になる行動は極力控える方がいい。


 ……なんで俺はショッピングモールで下着についてこんなにも熱く考えているんだ?


「少し待ってて。買ってくる」


 そうこうしている間に到着したランジェリーショップへ琴朱鷺が入っていくのを見送り、経過した時間よりも格段に多い疲労を感じてため息をついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る