第15話
言われた内容が衝撃的過ぎて、空炉は理解できなかった。聞き返す前にもう一人の女子がスマホを突き付けて来る。そこには空炉が写っている。誰がどう見ても疑う余地が無いぐらいに空炉だ。暗い背景とは違って顔は明るく照らされている。これは、あの日の。あの殺人事件が起きたときのものだ。誰かに見られていた? いやでもこの近さに人はいなかったはず。
「何か喋れよ人殺し!」
頬を打たれた。考えていたことが全部白く塗りつぶされる。ジンジンと痛む頬に叩かれたのだと理解すると同時に今このクラスで自分が悪人となっていることを知った。だって誰も助けてくれない。誰も彼も、叩かれるのは、暴力を受けるのは、当然だという目でこちらを糾弾している。急激に空炉は周りが恐ろしくなった。駆け出して逃げてしまいたい。脳味噌の中で、温かな施設を思い出す。ルイさんに話したら、怒ってくれるだろうか、依代ちゃんは慰めてくれるだろうか。きっと悪い夢だと、そう言ってくれるだろうか。無情にもチャイムの音が空炉の耳に届く。担任が入ってきた瞬間、さっきの罵倒が嘘のように皆席に座った。気持ちが悪い。担任の前では良い子を演じながら、一人に暴力を振って嗤うことが、歪で気持ちが悪い。喉奥までせりあがった胃液を何とか飲み込み、教科書を取り出す。包帯の下の瘡蓋が擦れて痛む。
なんでこんな日に限って、体育があるんだろう。嫌いなのは前からだけど、今日はいっそう嫌な気持ちになる。そんなに広くない更衣室で、空炉の周りだけ不自然に空いている。こんなに着替えるの楽だったっけと思うほどだ。周りを見ると着替える充分なスペースが無いようで当たっては謝る声が聞こえる。そんなに狭いのならこっちの空いてるところ使えばいいのに。変にプライド張っちゃって大変だな。悪口も聞こえるし、本当に気持ち悪いけど、この状況だけはスカッとして自然と笑みが零れた。小声で「気持ち悪」と声が聞こえる。その口でよく言えたものだ。周りがまだ着替えている中、一人だけ外に向かった。
体育は球技だった。ボールを投げ合う人も居ないので空炉は木陰に座っている。時々、空炉を見て笑ってくる声が耳に入るが聞こえないふりをする。教師の見ている手前誰も暴力を振るってこないので安心してサボっていると、サボっていることに気付いたのか、教師が空炉の元へに駆け寄って来た。
「夕坂さん、具合悪いの?」
説教かと思ったら、逆に心配された。具合は悪いわけではないので適当に返事をしていると、空炉が一人きりだということが教師にバレた。大きな声で周りを黙らせたかと思うと、3人グループを作っているところを名指しして、「入れてあげなさい」と言った。前ならそのまま入っていただろうが、3人グループが露骨に嫌な顔をするのが見える。わかりやすすぎる。少しは隠そうとしなよと空炉は思いながら、先生の肩を叩き、「気持ち悪いので保健室行っていいですか」と嘘を吐く。すると先生は「やっぱり!」と言って空炉の背を押した。
保健室の先生は熱も無い空炉快く迎えた。先生はあの写真見てないのかな。空炉はそう思ったが、先生にまでいじめられたら流石に学校に通う意味が無くなってしまう。別にそんなことになってしまっても空炉自身は別にいいと思っていたが、ルイフェルや施設のみんなの顔を思い出して、最悪のことが起こらないようにと願い、布団を被った。
夕坂さん、と呼ぶ声で空炉が目が覚めたのは放課後になってからのことだった。声をかけた教師が「もう閉めるから」と言ったということは保健室に来てからかなりの時間が経っていることが分かった。どおりで頭が痛むわけだ。
「もう大丈夫かな? まだ具合が悪いならお家の人に迎えに来てもらったほうがいいかもね」
その問いに「大丈夫です」と返して、保健室を出る。そこで自分の格好がまだ体操服であることに気付く。体操服ということは更衣室に制服があって……鞄は教室にあって……普段なら気にもしないようなことがとても気になる。今朝のことがある。最悪、体操服で帰ることになりそうだと思いながら、回収するために足を進める。
制服は無傷で見つかった。制服のジャケットやスカートを広げて見てみるが傷は一つもない。よかったと安堵しながら、空炉は体操服から制服へと着替えた。ジャケットを羽織って、次は教室だと意気込むと同時にカサリと音がした。周りを見るが、特に何もない。じゃあ、ポケットに何か入っているのかと疑問に思いながらポケットに手を入れるとノートの切れ端のような紙切れが一つ入っていた。紙を開くと、学校に来るなというメッセージが書かれていた。シャーペンっぽい筆跡であるから、教室からご丁寧にシャーペンを持ってきて書いたのだろう。そこまでする意味ある?と思いながら、空炉は紙をちぎって自販機横のゴミ箱へ突っ込んだ。
声が飛び交っている外とは違い、廊下は静かだった。この様子だと、誰もいないだろうなと誰もいない教室を見ながら、通りすぎていく空炉。廊下には一人分の足音が響く。
着いた自身の教室は、カーテンがかかっていて中がどうなっているのかわからない。誰かがカーテンを開け忘れた、と考えるのは簡単だが、他の教室はどこもカーテンが開いていた。ここだけ閉まっているのはおかしい。誰かがいるのかもしれないと思って耳を澄ませる。扉に挟まれて聞き取りずらいが、確かに声のような音が聞こえる。しかも複数。空炉は息をのんだ。今から、ここに入らなければいけないということがなによりも恐ろしく感じた。無意識に打たれた頬を撫でる。頬の痛みはとっくに無くなっているが、あの突然殴られた衝撃は今も空炉の胸に残っている。足が竦む。どうしよう。一旦職員室に行って、先生を連れて来る? いや絶対笑われて断られるだけだ。先生は今朝のことなんて知らないから、私のことを子どもだって笑うのが簡単に浮かぶ。想像しただけで、気持ちが悪くなってくる。そうだ! 青悟くん。空炉は同じ学校に通う青悟のことを思い出した。青悟はどんなことを言ったとしても人を馬鹿にしない。話を聞いてくれて、傍に寄り添ってくれる優しい人だ。青悟を探そうと立ち上がった瞬間に、扉が開く。
「あ? やっぱいんじゃん。誰だよもう帰ったとかいうやつ」
扉を開けたのは、クラスでも中心にいる男子だった。運動部でも文化部でも無くてよく遊んでいるという悪い噂を空炉は聞いたことがあった。空炉はそのまま目線をあわさないように横をすり抜けようとしたが、遅かった。男子の伸ばした腕が空炉の胸元を掴みあげた。腕を取ろうともがく空炉なんか気にしていない様に男子は振りかぶって教室の奥へと空炉を投げた。
投げられた勢いのまま床に叩きつけられる。骨まで響く痛みに空炉が悶えていると、教室にいたもう一人の男子が空炉を足蹴りにした。
「なあ、人殺しってどんな気分? 俺ら、人を殺したことも無いイイ人だからさ、教えてよ」
「そうそう、人殺しってどうなん?」
なにがイイ人だ。こうやって人を蹴ってる時点でお前らも悪い人だろうが、と空炉は心の中で悪態を吐くが言葉にはしない。言葉にして殴られる勇気はなかったからだ。
「そういえば、夕坂サンっていつも包帯してるけど、中二病?」
「俺も気になってた。夕坂サンってそんな痛い子なん?」
「それで人殺しとかもしちゃうとか世も末だわ」
「まじそれ。こわー」
そんなことを言いながら男子は怖がっているようには見えない。フリなんだろう。
「じゃあさ、包帯解いても別によくね」
「いいじゃんそれ。やっちゃおやっちゃお」
倒れていた空炉の腕を無理やり掴んで上に上げる。釣りあげられることで腕から肩、全身が痛む。包帯に手がかかるのを見て、空炉が必死の抵抗をするが、上から体重を掛けられていて動かない。
「やめ、やめて」
泣きそうになりながら懇願する空炉の声は届かず。
「御開帳~」
ジャキンというハサミの音が教室に響いた。
施設以外では感じる事の無い肌に空気が触れる感覚に包帯が解かれたことを実感する空炉。一方で男子達は何も言わない。空炉はなんで何も言わないのかが分かっていた。
「気持ち悪。帰ろ」
吐き捨てるように男子達は立ち去った。時計の針が進んでいく音を聞いて、ようやく空炉は起き上がれた。腕を見る。そこには焼け爛れた肌が広がっている。空炉は何も言わず静かに包帯を巻き直して、鞄を掴んで逃げるように教室を飛び出した。
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