第14話

「こんにちは」

「……ああ、こんにちは」

 リュウの挨拶にニコリと笑った玲華は向かいのソファに腰かけた。

「ここに来たということは何か分かったということかな」

 玲華の問いかけに数秒黙ると、リュウは口を開いた。

「まだ、何も」

「そう。まあ、そうだよね。何年も弟は見つからなかった。この国にいるのかすらも怪しい」

「じゃあ、なんで私の手助けが必要なんだ」

「神頼みをしたいときってあるんだよ。人間には」

「君は神を信じているのか」

「いいや、信じていないとも」

 玲華は目を閉じて思い出す。燃え盛る炎の中、両親と弟を探した日のことを。やっと見つけた弟が目の前で大人に連れされる様子を。それを見ながら助けられなかった小さく、無力だった自分のことを。

「理不尽が神による試練であるわけがない。全部、人間のせいだよ……まあこれは私の信条だから、君が理解できなくても問題は無いよ」

 目を合わせて、玲華はそう言った。笑うことも無く、リュウの目を真っすぐ射抜くように見つめた。その様子は誰にも理解されなくてもかまわないという確固たる意志が宿っており、リュウは何も言えなかった。

 コンコン、と扉をノックする音と共に、お茶を持った環薙が部屋に入る。玲華は先程とは打って変わって、柔らかい笑みを浮かべ環薙の差し出すお茶を受け取っていた。リュウも玲華と同じようにお茶を受け取ったが、香りが施設のお茶と全く違う華やかなものでこれが本当に飲み物なのかと疑問に思った。それを見て、玲華は微笑みながら、

「これは香りも楽しめる茶葉を使ったお茶なんだ。試しに一口飲んでみると良いよ」

 その言葉を聞き、リュウは鼻をスンスンと鳴らしながらカップの縁に口を付け、お茶を口に含んだ。

「こんなお茶、初めて飲んだ。口から鼻にかけて花のような香りがする。味、も甘くなくてスッとしていて、すごい」

「喜んでもらえたようで何より。茶葉は余ってるから持って帰って施設のみんなと飲むといい」

「うん」

 みんな、喜ぶだろうなと思うリュウの口は僅かに緩んでいた。それを見て、玲華はリュウも人間らしくなったものだと、その変化に嬉しくなった。

 リュウのカップのお茶が無くなったとき、玲華は「もう一つ、聞きたいことがあるのだけどいいかな?」と問いかけた。リュウが了承するとカップを机に置きリュウに向き直った。

「つい先日に起きた、放火事件。これについて知っていることはあるかな」

「先日起きた放火事件、というとユキカゲという人間が死んだものか」

「そう。雪影宗十郎氏が亡くなった事件。雪影家というのは代々政治家を輩出している家系で、宗十郎氏もかなりの発言力がある。マスコミは強盗犯によるものではないかと出しているけど、金品が盗まれた形跡は無いとされている。これって矛盾だよね。それと事件当日まで続いていた放火、事件を境に何も起きていない。私の推察だとこれは十年前の事件の再来だ」

「君の両親が亡くなった……」 

「ああ、十年前の事件と同じ日、同じ時刻に起こっている上に、直前まで起こっていた放火も同じ。これだけだと模倣犯の可能性もあるけど、一つだけ公開されていない情報がある。私の両親は十年前の事件で死んだが、表向きにはまだ生きていることになっているということ。だから、死んでいるということを知っているのは当時の犯人と一部の人間のみ」

「なるほど、十年前の犯人に繋がっているかもしれない、と」

「繋がっていれば、弟も見つかるかもしれない。知っていることがなにかあるのなら、教えてほしい」

 玲華とリュウが見つめ合うこと数秒。リュウは思い出したかのように口を開いた。

「事件とは直接関係はないかもしれないが、今日警察が来ていた」

「警察が君の施設にか。詳しく聞かせてくれる?」

「ああ、確か放火事件について空炉に聞くことがあるとか言っていた」

「空炉……夕坂空炉さんか。彼女が何故放火事件に?」

「そこまで詳しくは聞いていないが犯人を見かけたのではないか」

「犯人をか、警察はどれくらい居た?」

「さして長くは無い。十分といったところか」


 玲華は目線を下げ、数分考えると答えを出した。

「夕坂さんは、犯人を見ていないのかもしれないね」

「そうなのか」

「時間が短すぎる。話を聞くだけ聞きに来たんだろうね」

「なら、事件とは関係ないな」

「いや、そうでもない。犯人を見たのかと思われたということはどこかの防犯カメラに写っていたということだ。犯人が逃げた方面の防犯カメラの映像は見てはいたんだが、そこに誰が写っているかまでは気にしていなかった。他にも犯人を目撃した人がいないか探してみるよ」

「そうか……ところで私の探し物だが……」

「そちらも今探している最中だが、なんせ人が足りなくてね。なかなか進んでない。ごめんね」

「謝る必要はない。ここに来たのもただ足が向いただけのことだ」

 立ち上がるリュウを玲華は眺めている。

「それでも、些細なことを教えてくれたことはありがたい。また、何かあれば連絡するよ」

 そう言って玲華は去るリュウを引き留めなかった。扉が閉じ、足音が遠く離れていくのを聞いて玲華はようやく腰を上げた。

「さて、私も調べることが増えたな。その前に一度、夕坂さんに会うとしよう」

 玲華は早速そのことを皆に伝えようと部屋を出た。


 ******


 SNSに投稿された一つの写真。夜の中、明るく照らされた少女の横顔が写っている。つけられたメッセージは写真の人物が先日起こった事件の犯人のものだというもの。初期状態から変わっていないアカウントから投稿されたそれは、誰の目にも止められずインターネットの海に漂う筈であった。一人の目に留まるまでは。

「この写真ってさ、隣のクラスの夕坂さんじゃない?」

 身近な他人の写真がインターネットで回って来ることは、テレビでインタビューされるぐらいに珍しいことであり、それを誰かに見せたいと思うのは至極当然のことであった。

「拡散しておこ」

 新しい玩具を見つけた子供のようにメッセージに籠められた悪意など汲むことは無く、拡散された情報は多くの人の目に映ることになった。想定している人数よりさらに多く。



 空炉の朝は別段早いというわけではない。朝食が出来た頃には食卓についている。炊き立てのご飯を食べながら、テレビに目を移す。放火事件からまだそんなに時間は経っていないが、放火事件自体が無かったかのように別の話題しかやっていない。空炉は刑事の二人の顔を思い出して、はやく犯人が捕まればいいのにと思っていた。ご飯を食べ終わり、支度をして施設を出る。この間みんなとは話さないことが多いが、それでも学校にいるよりは心地よかった。次の休日を確認して当分先だと知って肩を落とすのはいつものことだった。


 冬独特の冷たい空気を全身に浴びながら、学校を目指す。人気の少ない住宅街から、徐々に人通りの多い学校前に来ると、空炉は違和感を覚えた。なんか見られてない? 両手に巻かれた包帯で長袖だからまわりが半袖の夏に目立つのはわかるが、冬の今、すれ違う学生全員に見られる理由がわからない。なんか変なことしたっけと、疑問に思いながらもそれを聞く友人も空炉にはいなかった。SNSも友人がいないのならやっても意味が無いとやっていない。それを後悔するのは、教室に入った瞬間だった。外まで聞こえるほど騒がしかった教室が空炉の入室で、一気に静かになった。そして全員空炉を見ている。責めるような冷えた目だ。居心地の悪さに内心ドキドキしながら、席に座るとどこかでヒソヒソと小声で話す声が聞こえた。視線が気になるので机に伏していると、机を蹴られた。普段、教室の空気になるように努めている空炉にとっては何が起きたのかわからなくて動揺した。クスクスと笑う声がする。空炉が顔を上げると、一言も喋ったことのないクラスカーストの上位の女子二人が立っていた。睨みつけるように空炉を見下ろしている。何の用かと空炉が口を開こうとしたとき、女子が怒鳴り声のような声を上げた。

「よく学校来れるなこの人殺し!」

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