第8話
リュウの身体検査が終わった。
精密検査は完了していないが、身長体重体温などは特に異常は見当たらなかった。
だが、先ほどの年齢に関することもある。
個人のデータについてリュウにもう一度確認のため聞きなおしたところ、
性別が分からないということが判明した。
本人曰く「性別は生物が繁殖するために必要なものであるので、生物の法則から外れている私には無い」とのことだ。
思わず、頭を抱えてしまったのは悪くはない。
性別が無いのは本当なのかと疑ったものの、先ほど聞いた年齢の件もある。
見える部分でしか判断は出来ないが、骨格はガッシリと男性のようなものなのに、手先の肉つきなどは女性らしさを感じる。
それらとリュウの本来の常軌を逸した美しさから、性徴を迎える前のようだと思った。
リュウも忘れている部分があるといっており、流石に全てが真実ではないだろうと、数週間後に精密検査をする予定を立てた。
リュウの身体検査が終わり、施設の案内も一通り済んだところで
俺が現在向かっているのは湊の部屋。
来たばかりのリュウには大変申し訳ないが、適当な軽い食事を用意してそれを食べてもらってその後はそのまま待機ということにした。
リュウは慣れないなりに麺をすすりながら「大丈夫だ」と言っていたので信じることにする。
昼食がのった盆が落ちないように片手に移してから、ノックをする。
大きな音を立てて衝撃を与えてはいけないと、コツコツと控えめな音が静か過ぎる廊下に響き渡る。
返事はない。
小さすぎたかと今度は声に出して「湊、いるか?」と聞く。
先ほどと変わらず返事は無い。
寝ているかもしれないが、ご飯を食べさせなければいけないと強行突破することにした。
昼食を落とさないようにと肘でドアノブを下げ、全身を使ってドアを開く。
「湊、昼飯だぞ」
部屋は昼間だというのに真っ暗になっていた。
外が薄曇で、なかなか日の光が入らないというのもあるが、
カーテンで締め切られている上に明かりをつけていないので真っ暗なのは当然だった。
気が狂いそうになると思いながら、片手でなんとか部屋の明かりをつける。
チカッチカッと複数回点滅して明かりがつく。
一瞬一瞬の眩しさに目が眩む。
ついた明かりの下、湊はまるで懺悔する罪人のようにそこにいた。
「湊」
呼びかけに湊は振り向かない。
何も聞こえていないかのようだった。
すっかり冷めてしまった昼食を机の上に置き、湊を揺り動かす。
湊の頬には涙の跡があった。
口は中途半端に開き、目は合わず虚空を見ている。
息はあるから生きている。
気を失ったわけでは無い。
湊は意図的にこちらを見ていない。
よくあることではあるが、彼のむき出しになっている腕は赤くなっているのは良くない。
腕には無数の引っ掻いた跡。
痛々しいほどのそれに重なるように赤い線が新しくついてる。
後で塗り薬を塗ってこれ以上触らないように包帯でも一度巻いたほうがいいかもしれない。
「怖い」
一言、呟くような小さな声。
「湊、どうした。何が怖い」
「あい、つが。あいつがこわい」
リュウのことなのは名前を聞かずともわかる。
先ほどを覚えているからこそ、彼に対してリュウが拒否反応を起こしていることもわかる。
だから、四肢をガクガクと震わせて恐怖に怯えているのかわからない。
さっきはあれほどまでにリュウに怒っていたというのに。
「こわい。ひとが、人は皆汚いのに。
人は、人は皆汚れきっているのに。
あいつは」
「あいつは真っ白なんだ。
白のくせに黒みたいに塗りつぶせるんだ。
こわい……こわい……きれいで、こわい」
「そうか」
返事は一つだけで充分だ。
俺は正直のところ、湊が何を言っているのかわからない。
己の上司や青悟であれば上手い言葉でもかけて寄り添うことが出来るのだろうが、
分からないと思っているのが態度で出やすい自分だと悪化させるのが目に見えている。
未だ震えが止まらない湊の手を強く握り締める。
「こわい」とうわ言のように繰り返していた湊も、強く握り締めて痛いのか眉を顰めた。
手の震えが徐々に収まっていくのを手のひらで確かめた後、
「昼飯はきちんと食え」と言って部屋を出る。
冷え切った昼食は温め直したほうがいい気がしたが、部屋に戻るのはやめた。
やっと落ち着いたのにもう一度部屋に入られては、また逆戻りして悪化するかもしれない。
それでも心配はするものだから、一応念のため青悟が帰ってきたら様子を見るよう伝えておこう。
リュウがいるだろうダイニングへの歩を一度止める。
此処にいる関係上、そこまで交流が無くても暮らしていけないことはない。
だが、顔を合わせるたびに喧嘩や先ほどのようにショックを受けられても、
こちらも困るし周りの子ども達が影響を受けてしまったら此処での生活が苦しくなるだけだ。
険悪にならなければそれでいい。それでいいのだが、湊の反応を見る限り先が遠い。
湊が不完全で、リュウが完全。
湊は完全になることは出来ないのか。
外野から見て言うだけなら簡単だが、不完全側だと言っている湊からすれば、簡単という一言ではすまないのだろう。勝手に考えて下手に口出せば、今度こそ死んでしまうかもしれない。
一度上司に伝えて、会いにきてもらうことにしよう。
そこから、考えればいい。どうせ長くなる。
ダイニングへ戻るとリュウは空っぽの器を見つめていた。
物音で此方に気づいて、視線を上げた。
「彼は」
「何とか落ち着いた。……飯、ちゃんと食えたようでよかった」
「あぁ、食事は本来必要無いものだが食べた」
美味いとは違った感想に驚くものの、自分の聞き方であればそう答えてもおかしくはない。
本来必要無いと言っているから、今まで取ったことがないのかだとか、それで今までどう生きてきたのかとか思うところはあるが、残さず食べたということは美味かったということだと思っておくことにする。
食器を洗って片付ける。
いくら暖房をつけているといっても、水は変わらず冷たい。
手先は真っ赤になり指先の感覚は薄くなる。
握って開いてを繰り返して感覚を取り戻していると、先ほどからこちらを見ていたリュウがこう聞いてきた。
「そういえば、昼食は?」
「……忘れてた」
今日はリュウがやって来たのと湊が早退したから作ったが、自分の分を作るのを忘れていた。
戸棚を探して、たまに昼食代わりにしている栄養補助食品を取り出す。甘いものはそこまで好きではないが、食事を考えるのには労力がいる。それを削減できるので別にこれでいいが、味には飽きたので別の味が発売されないかと個人的には思っている。
流し込む用に市販の豆を煎った粉にお湯を注げば、独特の香りが広がる。
「それが、昼食か」
彼が食べた物と違う物が出てくれば確かにそう聞きたくなるだろう。
俺はリュウの質問に対して肯定を返し、口に入れる。
ザクザクという音に反して、口内に入れればボロボロと崩れていく。
口の中の水分が一気に持っていかれるような感覚は、好きではないが嫌いでもない。
かつて故郷の軍で食べた物と同じで懐かしさに襲われる。
リュウがじっと見ていたので、もしかしたら食べたいのかと聞いたら、食べたいのか食べたくないのか分からない微妙な顔をした。物は試しだと言って、一つ取り出し半分に折って渡す。
リュウは恐る恐る口に入れて咀嚼すると、「これを食べる意味が分からない」と言った。
その姿はあまりに人間らしくて、湊の怒りや怯えが偽りのような気がしたが、
それは早急すぎると、昼食を薄い飲料で流した。
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