第7話

 こんな昼間に誰かと思っていたが、湊だった。

 湊は不安定だから、学校の空気というのは馴染みにくいらしく、よく早退しては部屋に篭る。早退しても、手洗いうがいのために洗面所によるところはやはり根が真面目なのだろう。


 リュウを全員に紹介するのは晩御飯前にするつもりであったし、一番最初に紹介するのが湊であったのは予想外ではあるが、顔を見合わせた限り紹介しなくていけない。


「おかえり。今日決まったばかりだから事前に言うのを忘れていたが、」


 ゆっくりと、湊の前髪に隠れた顔が上を向く。

 俺を見て、その次に隣にいるリュウへ視線が向いたかと思うと大きく目を見開いた。


「なんでお前が此処にいる」


 なんだ。知り合いだったのかと一瞬安堵したがそんなのではない。


「僕をわらいに来たのか? 不完全だと嗤って見下しに来たのか?」


 親の仇を見るように睨みつける湊に正直驚きを隠せない。確かに湊は自己否定が激しいため、発狂することがある。それでも他人に八つ当たりなんて真似は絶対しなかった。


 リュウは一体湊に何をしたのかと表情を伺えば、そこには呆けたようなリュウがいた。

「君は私を知っているのか」


 リュウが記憶喪失であるのなら、素性が一切わからないのに理由がつくが、

 それにしたってリュウは湊に何をしたのかと思ったところを怒号が打ち消す。


「知るわけ無い‼」


 これにはリュウも首をかしげている。

 初対面にしてはおかしい。

 ピポラを紹介したときはこんな激昂することは無かったのに。


「ではなぜそのように怒る? 私は完全な存在ではあるが、それを妬むほど人間は狭量なのか」


 まるで自分は特別という物言いに湊でなくてもイラッとするのは仕方が無い。リュウ自身悪意もなく本心で言っているのだろうが、たちが悪い。


「お前なんかがいるから‼ お前なんか、がいるから‼」


 言葉は嗚咽と共に吐き出された。


「私の存在は神に認めていただいている。私を否定するのは我が神を否定するのと同義だ。そうなれば私は君を壊さなくてはならない」


 正直此処までの会話の内容なんて理解外のことだ。

 何故初対面であるはずのリュウに湊が怒りを向けるのかなんて本人が話さない限り無理だろう。だが、先ほどのリュウの「壊さなくてはならない」という言葉。

 これは良くない。心にしても体にしても、傷つけるような行為は監視役として容認できない。


 リュウと湊の前に体を割り込ませる。


「湊、お前は部屋に戻って落ち着け。リュウは、あー……」

 眉をひそめている湊を手で合図して洗面所の外へ出す。


 思いっきり下唇を噛んでいたので部屋に戻ったらまた自傷するかもしれない。

 引っかき傷のせいで目も当てられなくなった彼の腕を思い出して、ため息をつく。

 刃物は子ども達に持たせないように管理はしているものの、刃物以外を使われるとどうしようもなくなる。

 様子を見に行かなければいけないだろう。


「私はどうすればいい」


 此方を見つめるリュウは先ほど湊に突っかかれたとは思えないほど堂々としていた。

 初対面ならあんなことを言われても、何も思うことはないのかと納得はすれども、それにしては冷えきったもので、これからの生活に不安を覚える。


「そこの計りに乗ってくれ」

 ひとまず、当初の予定を行おうと体重計に乗ることを指示する。計ったことがないのか、リュウはおそるおそる足を台に乗せた。変わっていく数字が面白いのか、長い髪で顔が隠れるほど体重計の数字を見ている。


 体重は軽かった。

 これについては予想通りであった。見た目からして細いのが分かっていたからだ。リュウが太るイメージは無いが、たらふく飯を食べさせれば少しはがっしりとするだろう。


 身長も計ったが湊よりやや高い結果となった。


「そういえば、リュウお前何歳なんだ?」


 忘れていたと思って聞いたが、こういうのは元々預けてきた側が聞いておくべきではないのかと思ったが、名前以外聞いてなかったということはあちらも忘れていたということなのだろう。お互い様ということで水に流しておくことにする。


「発生してからの年月ということか?」

「あぁ、まぁそうなるな」

「発生してから、2年と5ヶ月だ」


 頭がズキズキと痛む。

 なんて言ったのか自然と聞き返している自分自身も、それにもう一度答えるリュウの声も遠く感じる。

 2年。2年と言ったかこいつは。

 2年と言うと赤子が生まれたとしても、幼児だ。こんなに大きくなるはずが無い。


「そうか。2年か」

「あぁ、2年だ」


 不意に先ほどの湊の怒号が脳裏を過ぎる。

 リュウの人の気持ちを考えないどころか煽っているような言葉は、人と2年しか話さなかったため、相手の気持ちを考える必要がなかったのではないか。


「じゃあ一つ提案だ」


 提案という言葉に「何故」という言葉を返すリュウ。


「さっきの湊との話を聞いていたが、あれは駄目だ。

 お前は会話をするとき人の気持ちを考えたことがあるか?」

「いや、無い。人間の気持ちは考えずともわかるものだ」

「じゃあ、湊がお前に対してどう思っていたのかわかるか?」

 目を合わせて問いかけるのは子ども達を相手するときの癖みたいなものだが、彼は逸らさずこちらをじっと見てくる。


「あぁ。わかっている。わかっているが、経緯がわからない」


「それは俺も分からない。だが、お前の言葉も良くない。あれでは例えお前自身が良い人であったとしても、印象が悪くなってしまう」


「私の印象が悪くなったとしても、何も困らない」

 困らないと断言するところを見ると本当なのだろうと思う。リュウ自身、他者からどう見えるかを気にしないのだろう。

 湊の突然の怒りに経緯があったとしてもリュウは気にしないことが手に取るようにわかる。脳で情報として理解しているが、心が成熟していないから共感できない。


「だが、お前の印象が悪くなるとお前の信じる神とやらの印象も悪くなるぞ」


 その言葉に目を見開くリュウ。

 信仰は自分の最も大切な信念に通ずるものだ。

 あいにくのところ自分は神を信じる気持ちなんて昔に捨て置いたが、リュウにはある。


 大きな枠組みだろうと、小さな枠組みだろうと、人からの見られ方は同じだ。印象が悪い人間が一人でもいれば、信仰している神の外聞も悪くなる。そこを利用するのはどうかと思うが、これは此処の大人としての責務でもある。


「私の印象が悪くなると我が神の印象も悪くなるのか……?」

「そうだ」


 リュウは一通り考える素振りをすると、

「私の印象を悪くしないためには、どうすれば良い」


 リュウの場合、2年と5ヶ月という歳月が事実だったとすると情緒を育成するということになるが、彼のこれまでの言動を考えると……

「まずは、言葉の使い方だな」

「言葉。私が使っている言葉は不適切ということか?」


「不適切っていうほどじゃない。でも適切……印象が良くない」

 適切といえばそうなのかもしれない。

 俺も此処の生まれではないし、時と場合に合った正しい言葉遣いが出来ているとは言えない。だから、教えられるのは印象が悪くない程度だ。もしかしたら悪化するかもしれない。


「分かった。教えを請う」

「そういうときは、教えてくださいでいいんだよ」


 そう言ってリュウの頭をもう一度撫でた。

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