第5話

 特例施設もとい児童養護施設の入居手続きは電話一本約三十分の短時間で完了した。

 夏柳は2、3時間はかかるだろうと思っていたため短時間で完了してしまったことに困惑したものの、主人である玲華が六宮議会の名を出せと言っていた理由が分かった気がした。ただの水城家からの依頼ではなく、国の最高決定機関である六宮議会の一席からの依頼。六宮議会の名前が出れば上からの命令と言っても過言ではない。


 児童養護施設までは距離があるため、リュウを乗せて車を発進させた。世界の原則だと玲華は言っていたものの、車の存在にやや驚いているリュウを見ると、無知すぎて大丈夫なのかと他人事ながら心配した。


 施設の駐車場を探していると、長身の男性が腕を組んで立派な門の前に立っているのが見える。男性は車のガラス越しに夏柳を睨みつけると、ズンズンと車に歩み寄ってきた。停車させると、男性はガラスをコンコンとノックして窓を開けるように催促した。


「駐車場は裏にある。そこの道を真っ直ぐ行ってから、右に行って更に真っ直ぐ行けば分かる。

 そっちにも玄関はあるからそっちを使って中に入ってくれ」


「はぁ、ありがとうございます」


 睨みつけられた為に印象は良くなかったが、丁寧に教えてくれる辺り人が良いのだろうと察する。



 駐車場に車を停めると、奥まったところに小さな扉がある。木で作られたそれは、所々汚れがあり年季を思い起こさせる。念のため、他に扉はないかと確認したが、この小さな扉で間違いないようだ。


 身長がある夏柳が扉を押しながら潜ると、先ほどの男性が再び腕を組んで立っていた。男性は身長が夏柳より高いであろうことは察していたのだが、扉を潜る中腰の中で目が合ってしまったので、見下ろされてより圧を感じる。夏柳は少し気まずくなって、目をそらす。


 男性はというと、リュウが扉を入るまで一言も喋らなかった。小さな扉の鍵をかけ、「ついてこい」とだけ言って男性は小道を歩いていく。

 一瞬のことで何を言われたのか分からなかったが、リュウは分かっていたらしく、先に行く彼の背を追う様に駆けていく。その様子を見てこの少年は早く馴染むだろうと、子など持ったことも無いのに親の気持ちが分かった気がした。


 小道は石畳で丁寧に舗装されており、右手側にはこれまた丁寧に剪定された木々が庭を美しく飾りつけており、左手側には大きな屋敷が建っている。


 水城家の館も広いものであるが、雰囲気が違うとはいえ此方もなかなか広い。

 豪邸が施設であることに若干の違和感を感じるものの、聞くほどのことではない。

 必要以上に此処に関わるつもりは無い。


 通されたのは応接室。

 奥のソファに男性が座り、手前のソファに我々二人が腰掛ける。

 革張りのソファといい、部屋の端々にある調度品は派手なものではないが、品の良さを感じさせる。


「それで、その子どもが今回この施設に入る子ということで大丈夫でしょうか」

「えぇ」


「急なお願いでしたので、彼のことをまったく知らないのですが、彼の出自などの資料はございますか?」

 急なお願いの部分に嫌味が込められている。

 そもそも初対面で車のガラス越しとはいえ睨みつけてきた男性が、ニコニコと明らかに貼り付けた笑みをして敬語まで使っている。怒っていると見て間違いないだろう。


「いいえ、彼は2時間前ほどに此方で保護したばかりですから名前以外の情報は此方も知りえません」

 嘘ではあるが、真実でもある。

 玲華が言っていたことは全て推測にしか過ぎない。だから本人が名乗った名前しか真実ではない。

 だから、目の前の男性が「はぁ?」と睨みつけたとしてもそれは仕方が無いことなのだ。


「失礼。当施設は様々な子どもが入居していますが、名前以外情報が無いということは初めてなもので……」

 ニコリと、男性は謝罪を述べたが失礼とも思ってないだろうことがありありと伝わってくる。

 名前以外の情報が皆無の状態がおかしいのだから、嫌味も全て受け入れる。もう少し彼について情報を得てから入れても良かったのではとは思うが、その間に館に置くのも問題がある。玲華の判断を疑うことはない。


「前例が無いとはいえ六宮議会の方からのお願いです。喜んでお受けいたしましょう」

「ありがとうございます」

「それに、彼のことはこれから知っていけば良いでしょう」


 男性がリュウに初めて視線を投げたのを見た。

 その視線は優しいもので、先ほどの貼り付けた笑みではなく親が子を見るような笑顔だった。

 リュウに関して言えば、どんな施設に入ろうと夏柳の知る範囲ではなかった。

 どんな劣悪な環境だろうと、リュウの中身が化け物だろうと、玲華が望んだことを遂行してさえくれれば良かった。そう思っていたものの、男性の目から見える人の良さからほっと一安心する自分がいた。

 リュウとは碌な会話もしていないが、それでも心配するぐらい他人を想う善性が自分にもあったのだと。


 その後、互いにやっていなかった自己紹介を済ませる。

 連絡先の書かれた名刺を渡すついでに、

 リュウに度々連絡を入れること、またリュウが探しものをするために出歩くが良いかと聞く。

 後者に関して男性は渋い顔をしたが、誰かと共になら良いと了承をした。

 椅子から立ち上がり、リュウに一言「あまり迷惑をかけないように」と伝えれば、

 男性が口を大きく開けて笑った。


「此処には大変迷惑をかけるやつがいるので、余程のことをやらなければ迷惑とは思いません」


 リュウは迷惑という言葉の意味が分からないのか首を傾げた。その様子があまりにも平凡としたもので思わず笑みがこぼれた。


「リュウのこと、よろしくお願いします」

 一礼して、去る。

 男性は「あぁ」と頷きを返した。


「夏柳」

 声に振り返れば、リュウが手を振っている。

 さよならやまた今度と言葉にしないのは知らないのか、はたまた玲華の予測通り、永久の別れとなることを理解しているからか。リュウ自身が持つ優しさが呼んだ名前に込められているような気がして、ようやく彼が人間らしいと思った。

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