第2話
後ろを振り向けば、洗濯籠を抱えた
「タオルか、何か拭くもの持ってるか?」
「ありますけどその腕と足、どうしたんですか?」
言うか言わないか悩んだ末に先ほど起きたことを依代へ伝えた。炎馬鹿を止めるためとは言え、自分がやったことは思い返すと恥ずかしくなる。それでも、普段から口煩く「風邪を引くから靴下を履け」と言っている自分が言い訳できるわけではない。
「なるほど……空炉ちゃんは相変わらずですけど、ピポラちゃんもそういうことするんですね」
「あぁ、俺も聞いたときは驚いた」
受け取ったタオルで足を拭きながら、相槌を打つ。
「
「……そういえば、青悟は?」
「お昼ご飯から青悟君は見てないですけど、この時間なら勉強してるはずですよ」
「あいつも真面目だな。空炉も見習えばいいのに」
「空炉ちゃんは……成績はいいですし、いいんじゃないですか?」
「いいわけあるか」
「社会に出るんだぞ」と出かかった言葉を飲み込む。
この施設の子どもたちの将来はまだ”決まっていない”
選ぶ自由があるというわけではなく、特殊な理由がゆえに選ぶのは上の人間。
だから社会に出るのかも分からない。
立ち去った依代の背を見ながら、タオルを握り締める。
所詮下の人間である自分は何も出来ないことを知っている。知っているため、大人でありながら何も出来ない自分に歯がゆさを感じていた。
それは、いつか感じたことのあるような。
目を閉じて、思考を止める。”今は考えても仕方が無い”と。
ぐっしょり濡れた袖から、水が滴っていた。
**********
着替え終わってから、男はある個室に入る。
個室といっても人が一人が丁度入れるぐらいの狭さで、半分を埋めている机の中心には不自然に受話器が埋め込まれる形で設置されている。男が受話器を取ると、自動的にコール音が鳴り響く。コール音が途切れると同時に話し始める。
「すいません、報告です。また空炉のやつが火遊びをしました」
受話器先の声は「そうか、誰か怪我はしたかい? 」と報告だけで3桁になるというのに、また同じように怪我を案じた。
「いい加減貴方から上にきちんと報告を行って、空炉の今後について考えたほうがいいですよ。我々だと、どうしても甘くなりますから」
受話器先の上司が、子ども達を孫のように可愛がっているのを知っている。
「彼らには普通に生きて幸せになって欲しい」と、どうあがいても普通にはなれない子ども達に願っていた。
だから、上にきちんとした報告をしてけなければ、問題を起こす子ども達を厳しく罰することも無い。
その甘さでいつかその身を滅ぼしかねないと、常々思う。
そう思う男もまた、子ども達には甘い自覚があるから、どうしようもない。
一拍置いた後に、耳に届いたのは悲しそうに告げた肯定の一言だけだった。
「夕飯の時間なので、そろそろ失礼します」
切り上げようとすると、向こう側の声が引き止めた。
曰く、また数週間後に例の研究所から子どもを引き取るらしい。そのときは、上司もこちらに来るとのことだった。
連絡事項が終わり、受話器を置くと、盛大にため息をつく。
「研究所の子ども、ねえ……」
先ほどのピポラを思い出す。人殺しの瞳は変わず、男を見ていた。研究所から子どもが来るということはピポラと同じような来歴持ちか、同じような終わった子どもだ。そんな子どもを放置するでも殺すでもなく、この施設へ押し込む研究所とやらは一体なにがやりたいのか。
男の中で研究所に対しての疑問が一つ増えた。
**********
晩御飯。
刃物を子ども達に渡せば何をするか分からないので、ご飯を作るのは男の役目であった。男が此処へやって来る前に上司に飯は作れるか聞かれたが、まさか料理を朝昼晩三食全員分作るとは思わなかった。来た当初は今よりも人数が少なかったから、料理本を睨みつけながら必死に分量も一つずつ計算しながら作っていた。
現在の料理の手際は、男自身が定食屋でも開けるのではないかと自画自賛できるほど上達していた。
男が人数分を皿に盛り付ける頃には、子ども達がダイニングへ集まってきていた。
時計を見れば、いつもと変わらない晩御飯の時間である。時間通りに集まるのは良いことだと思って子ども達を見れば、一人足りない。
「
「……知らない」
他の子ども達は皆テレビの前にいるというのに、一人食卓についている雪に声をかける。
雪はこちらを一瞥もしないまま、何も置かれていない机をただ眺めている。
「俺が見てこようか? 」
名乗り上げたのは、青悟であった。
テレビを見ている他の子ども達の視線は一斉にこちらへ向いた。
雪の視線は変わらず、机上に固定されたままであった。
「……あぁ頼む」
「了解! 少し遅れるかもしれないから先に食べてて」
青悟が部屋を立ち去ると、再びテレビに視線を戻す子ども達。戻ってくるまで食卓に着かないつもりかと思うと、彼の人望がよく分かる。青悟が遅れるかもしれないと言ったのは、此処にいない一人を呼びに行くときの常套句であった。
自傷癖が酷く、何度も阻止しているものの自殺未遂を起こしたことがある。それでも壊れていないのは、男の上司の存在と気にかける青悟がいるからだろう。
善性だけで形成されたような人間達だ。
無理をすることを強いず、いつでも待ってくれて、道を誤りそうなら手を取って叱るような正しく優しい人間達。
きっとどんな人間もあいつらの聖人度合いには罪悪感が芽生えるだろうと男は思った。
十数分ぐらい経った後、青悟は湊をつれて戻ってきた。
湊の長い前髪から除く瞳は申し訳なさそうに下を向いている。
他の子ども達もぞろぞろと食卓に着き始め、男は盛り付けた晩御飯を並べていく。
子ども達と男が合わせて6名。
今一度、全員が揃っているか確認した後、手のひらを合わせる。それに習って子ども達も手のひらを合わせる。
「いただきます」
声をかけたのを合図に揃って「いただきます」と子ども達が声を合わせ、それぞれ食事に手をつけ始めた。
**********
首都某所。
児童養護施設で食事が行われているとき、時を同じく食事を取る少女の姿があった。複数の画面を見ながら、食事をする様子はお世辞にも上品とは言えないが、
その燐とした背筋や、一片も溢さない洗練された食べ方は、少女に美しさを感じさせた。財閥の業務を滞り無く展開していく以外にも、少女にはある目的がありその為には情報が必要だった。だから、食事の時間を活用して情報収集を行っている。 少女の後ろで護衛として立つ青年は、「情報収集なら自分達がやります」と伝えたことがあるが、「それは助かる。でも私は一つも可能性を取りこぼしたくは無い」と言って少女は情報収集をやめなかった。
少女の手が止まる。
「どうかしましたか?
青年が声をかけると、少女はある一画面を指差す。
そこには一目で常人ではないと分かる子どもがいる。
粗い画質のため、顔立ちははっきりしないが美しい子どもだということは分かる。
そして、その子どもの周りにはやけに大勢の人間が倒れている。子どもの細腕では絶対敵わない大男もその中にはいた。子どもが此方を見たと思ったら、ブツリと画面は暗くなった。
一瞬のことで青年の理解は追いついていなかった。
「この少年には何かがある」
「鍵になるかもしれない。会いに行こう」
矢継ぎ早に告げる少女の微笑みは、複数の画面を背にしているということもあり、
後光が差しているように見えた。
**********
パキリと、ヒビが入るカメラを見上げる。
見られているような気配がしたから、「見ないでくれ」と念じたが、まさか機械が壊れるとは。
視線を通すものなのだろうかと一通り思考する。
時間にして1分経過した後、思考を強制的に終了させて歩を進める。
歩を進めるといっても、倒れている人間の上を踏みつけて進んでいるのだから、普通ではない。
それでも、彼はただ歩きにくいと思っただけである。
「……此処は神の声が聞きにくい。早く還らねば」
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