多摩センター 2022〈初夏〉

渡邊思音

多摩センター 2022〈初夏〉

 がさがさがさ……。

 音がする。大学生らしき男性がムービーを撮っていた。またか、と私は独りごちる。三日前にもいた。一体なんなのだ。この生き物は。時は「夕焼け小焼け」が流れる午後五時。駅前のコインパーキング脇の草むらから、得たいのしれない小動物が現れたり隠れたりしている。ねずみ……ではない。ねずみより大きく、動きが少々愚鈍である。また、ねずみなら大学生も、ムービーは撮らないに違いない。色は全体的に濃い栗色だが、顔周りには白い毛がところどころ生えている。短足で、ころころしていてかわいらしく、元気がいいやつだ。つらつらと、そんなことを考えながら、私もスマホのシャッターを切った。

「すみません」

 突然話しかけられて、びっくりする。白いワンピースが涼しげな若い女性だ。

「この動物、なんですか」

 いや、私も知らないのだ。これから撮った写真を画像検索し、解明しようと思っていたのだ。

「すみません。私もわからないんですよ。でも最近、突然現れました」

 うら若き乙女をがっかりさせてしまった。心が、少し傷つく。……まずい。早くこの栗毛の小動物の正体をはっきりさせないと。私は、今さっき撮った画像を、同じ職場に勤める理科教諭のA先生に送ろうと決意した。A先生は、齢三十三歳の未婚男性である。個人的なやり取りをしたことはないが、同じ職場なので連絡先は知っている。その程度の仲である。仕事の業務にまったく関係ない連絡。一歩間違えば、セクハラ案件だ。一瞬迷ったが、先ほどの小動物の画像を添付し、えいやっと、A先生に送った。

「タヌキです。まだ子どもですね。かわいいです」

 間髪入れずに、返信があった。ありがとう。A先生。そうか。タヌキか。そういえば、ジブリの『平成狸合戦ぽんぽこ』は、多摩ニュータウン開発による自然破壊で行き場を失ったタヌキの話だ。そう思うと、なんだか、コインパーキング脇の草むらにねぐらに構えるタヌキは、「かわいい」だけの問題ではないのだなぁ。

        

 その週の土曜日。自宅から駅に向かう途中、コインパーキング脇の階段に七、八人の人が集まっていた。いそいそと近づいてみる。案の定、タヌキだ。おや、一匹じゃない。たくさんいる。しかも、みんな寄り集まり、丸まって寝ている。かわいい! 写真が撮りたくてスマホを出した。はやる気持ちを抑えながら順番を待つ。待っている人たち同士、手持ちぶさたで会話をし始めた。「かわいいですね」「六匹いますよ」「いつからいるんですかね」……などなど。「少なくとも五日前からいますよ」と私が言うと、「そうなんですね」「親ダヌキはどこにいるの?」「見たことない」「あぁ、重なって寝てる。かわいい~!」という声。周囲を見渡せば、コインパーキング周辺にロープが張られ、そこに「六匹の子ダヌキにエサをあげないで」の警告文が取りつけられている。思っていた以上に、多摩市役所は環境保護に迅速な対応をする役所なのだ。

 やっと私の番が来た。

「かわいいですね」。隣にいる男性が声をかけてきた。「かわいいです」、シャッターを切りながら私も返す。「絶対タヌキちゃんたちにエサをあげちゃダメなのよ」列に並んだばかりのお母さんが、子どもたちに諭している。「はーい。わかったー」と子どもたち。「こっち持ってるから、写真撮りなさい。ほら、きれいに撮れますよ」とすぐ後ろに並んでいるおじさまがロープを持ってくれる。「次の人がいるから、よく見えるここの場所、あけてあげよう。さぁ、どうぞ」と、前に並んでいたお父さんが場所を譲ってくれる。

 タヌキを介したあたたかな交流が、ほわほわとゆっくりひろがっていき、心が満ちていく。この感覚は、コロナ禍となって三年。われわれが、少し、忘れていた感覚だ。できるだけ長く、このあたたかな空間にいたいと思った。そんな気持ちを知ってか知らずか、六匹のタヌキたちは、ぬくぬくと丸まり、その場を動かない。そこには、夏というにはまだ少し早い、なめらかな金色の陽の光が、ふんわりと漂っていた。


 しかし次の日、その六匹のタヌキは忽然と消えてしまった。Twitterでは「落合の方に母ダヌキらしきものがいた」という情報があった。みんなで、お母さんのところにいったのだろうか。そうだったら、うれしいのだが。

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多摩センター 2022〈初夏〉 渡邊思音 @monetwatanabe

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