私の先生 〜春風〜

茶々丸

春風


しんっと静まり返った昇降口。


靴箱の木の香りと、上履きのなんともいえない匂いが入り混じっていて、学校だなぁって実感させてくれる。



私以外に子供はいない。


だって、春休みだし。



じゃあ、なんで私はここにいるのかって?



学童の子供達が部屋に行くために、春休みも昇降口は解放されているのです。



まあ私、学童には通ってないんだけど。




じゃあ、なんで私はここにいるのかって?



うん、質問に答えてないもんね。ごめんなさい。


はぐらかしたわけじゃないんだけど……

あんまり誇れることじゃないから、みんなには言わないでね。



私がここにいる理由はね……




「あっ、あった。1組だ。


やった!」




14 桜井 春風さくらい はるか




嬉しい、本当に本当に。

これから1年間、あの人と一緒にいられるんだ。




実をいうと、1組だってことは、4月1日に分かってたんだけど、

こうやって靴箱のシールを見ると、本当なんだって実感する。



もう一度じっと見返して、すぅっと指で人撫ですると、私は昇降口の扉を勢いよく開けて、外に飛び出した。



春の風に吹かれて、桜の花びらが舞い上がった。



〜〜〜〜〜〜




「先生、ごめんね。」



パステルカラーに彩られた部屋の、桜色で統一されたベッドの上で。


私はゆっくり目をつぶる。

鼻から息を吸って……ゆっくり口から出す。


世間で騒がれている花粉症とは、あいにく縁がないので、春の心地よい空気を存分に味わうことができるの。



徐々に意識が薄れていく。



もう慣れたもので、こうやってベッドの上だったらものの数十秒で準備完了。




しばらくすると、声が聞こえてくる。

時代遅れの、でも学校ではずっと使われているCDプレイヤーの音量つまみを、少しずつ右側に回すように。



「……ということで、新井先生、よろしくね。」



今度は意識がはっきりとしてくる。

目を開けると、そこはよく知っている、でもあんまり入ったことはない大きな部屋。



床にも棚にも物が燦然と積まれていて、これまた物が積まれた机がぎゅうぎゅうに詰め込まれている先生達の本拠地。




職員室。




目の前の机には、他の先生たちとは比べ物にならない量の資料や、教科書の類が、634mの電波塔のように高々と積み上げられている。



あぁ、また先生散らかしてる……

相変わらず片付けは苦手みたいね。



まっ、そんなことで私の先生に対する想いはは揺るがないけど。



先生たちの会話に耳を傾ける。

でも難しい話ばっかりで全然わかんない。

研修の申請がどうのとか、研究の分担とか、会議の資料ができてないとか、4月の学年便りを誰が作るかとか……謎。



先生たちはいろんなところにせかせか、せかせか。

それは私の先生も例外じゃなくって、目線があっちこっちどっちそっち。

こんな状態がもう3日目。



先生たちの春休みって……


私たちが来る前からこんなに忙しい日々を送っていたなんて……


全然知らなかったけど、

当たり前のように 貼られていた靴箱やロッカー、椅子や机の名前シールも、当たり前のように準備されていた教科書やドリル、テストや教材、名簿も時間割も……



感謝しなきゃなぁって思うわけで。




「じゃあ、新井先生、そろそろ引き継ぎしましょうか!」



元担任……ゴリラのような体つきの剛田先生が私の先生に声をかける。


先生は、今まさに食べ始めようとしていた唐揚げ棒にちらっと視線を移すと、紙の袋の中にそっと戻して笑顔で席を立つ。



教室の準備をしていたら食べ損なってしまったお昼ご飯。


確かにもう14時だけど……ちょっと待ってくれてもいいのに!!



こういうところが剛田先生の良くないところ。

自分勝手というか、空気が読めないというか。

あと体育会系。あんまり好きじゃなかったんだ、この人。


男子にはとっても人気だったけどね。



引き継ぎが始まる。

手短に、でもなかなか辛辣な言葉がバンバン飛び交う。


いつも落ち着きがなく、小さなトラブルを起こす男子はチョロ助。

いじめっ子、ギャル、親モンスターなどなど。


とてもじゃないけど、本人たちには教えられない。問題児のあの子たちも、さすがに落ち込むと思う内容。



でも、改めて先生ってすごいと思う。

だって、こんなに思ってることがあっても、一切それを顔に出さないんだから。


ゴリラ……じゃなかった、剛田先生も、そこはしっかりしてたからなぁ。



ちなみに、学級委員とかで活躍してる子や、勉強が抜群にできて発表もできる子は、べた褒めだ。


当たり前だ、それだけこの子たちは頑張ってる。

周りからいい子ぶってるとか、調子乗ってるとか言われながらも、こうやって大変な役を引き受けたり、しっかり勉強したりしてるんだから。



「次、桜井ですね。」


ドキッ。

心臓が大きく跳ねる。

今までは友達のことだったから落ち着いて聞けていたけど、これがいざ自分となると……


私は剛田先生のこと苦手だったけど、剛田先生は私のことはどう思ってたんだろう。



あと、私の先生に、始まる前から変なことを知られるのは嫌だなぁ……



クルッと剛田先生がペンを回す。


「良い子でしたよ。勉強面も問題ないし、提出物や宿題もしっかり出せる。父母共に特に何も言ってこないですし。」



ほっと一息。

とりあえず褒められてるので、嫌われてはなかったみたい。


私のパパとママ、仕事が忙しくて私のことは二の次だからね。特に何も言ってこないって言うのも納得。


「友達関係も、まあそんなに仲の良い子が多いわけではないけど、それなりに上手に関わっていると思いますよ。」



こやつ、意外と見てるな。


ちゃんと自分のことを理解してくれていたことに驚きと少しの嬉しさを覚える。


ゴリラなんて言って申し訳なかったな。

こんなことならもう少し関われば良かったなぁなんて。

まあ、後の祭りだけど。




と思えるのもここまでだった。




「ただ……4年生の時のことが……ねぇ。」




さーっと音が聞こえるほど血の気が引く。

正確には、ここに体があるわけじゃないから、そんなわけないんだけど……

でも明らかに自分の心がマイナスの方向に振り切れたのが分かる。




やっぱり、そうやって見られてたんだ。


あれだけのことをしちゃったんだから、仕方がないのは分かる。

でも、それを少しでも払拭できるように、自分なりに頑張ってたつもりだったんだけど……


現実はそう甘くない。





「えぇ、もちろん知ってますよ。僕がその時ちょうどその場に出くわして、指導しましたからね。」


私の先生の体重が、先ほどよりも背もたれ側にかかったのを感じる。

ギシギシと鳴る椅子の音にすら、私の心は掻き乱される。




あの日のこと。


11年間の人生で最も大きな出来事。


人生の汚点、消したい過去……




と同時に、私が私の先生を好きになった日。





これ以上は聞きたくないから、私はこの場から立ち去ろうと意識を手放そうとする。



「まあでも、2年も前のことですしね。僕は春風さんが全て悪いとは今でも思っていませんし……」


えっ?

今なんて?


担任の先生も、友達も、親も……みんな私のせいだって言って、私の言葉なんて全然聞いてくれなかったのに……




私の先生は……私のこと信じてくれてるの?




「それから、たまにあの子を見かけますが、先生の言う通り、とっても良い子に成長してくれたと私も思っています。

だから、あんまり先入観は持たずに関わっていきたいですね。」








目を開けると、そこはいつもの部屋。

桜色の布団に、雫が1つ、2つ……



「よし!月曜日の準備しよっ!」





今日は金曜日。

あと3日で、私は6年生になる。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私の先生 〜春風〜 茶々丸 @Haruno-Kaze

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ