第28話 手負いのはぐれ

 ――甘かった。

 というか、こいつの常識の無さが想定外だった。


 招かれるままに部屋に入ったは良いが、誰もいない。

 手前のテーブルには自動小銃と弾。それにあれは爆薬か。まあこいつらしい。

 奥のベッドルームの電気は消えている。

 しかし寝ているのなら開けはしない。

 起きてはいるけど、電気は付けられないという事か? 下着姿?

 布団は被っているだろうが、ちょっとドキドキしちゃうね。


 ――なんて考えは、本当に甘すぎた。


 声を掛けようとベッドルームに行こうとすると、背後の扉が開く。

 あれ? あそこはトイレと物置と――そんな事を考えて振り向くと、産まれたままの姿で肩にかけたタオルを両手で握った来栖くるすが風呂から出て来たところだった。


「体を洗っていたのよ」


 その言葉と、俺の絶叫が重なる。

 爆発にも耐える完全防音で良かった。

 普通の部屋だったら、誰かが来て収拾がつかなくなるところだったぞ。


「び、びっくりした。どうしたのよ、いきなり」


「びっくりしたのはこっちだ! 良いからとっとと服を着ろ!」


「私はこのまま寝るから良いのよ。それより用件は?」


「いやいや髪とかほら、身だしなみは大切だろ」


 俺は一体何を言っているんだ。


「だからこうして汚れを落としたんでしょ。それに髪はもう乾いているわよ。群馬にもマイクロファイバータオルはあるでしょ」


 イチイチ群馬を引き合いに出すなと言ってやりたいが、目のやりどころに困って言葉が詰まる。


「せめてタオルくらい巻いてくれ」


「また妙な要求ね。構わないけど。はい」


 ――早いな?


 と思って振り向いたら、さっきの普通のタオルを頭に巻いていただけだった。

 もういい! 急いで寝室に行って、ベッドからシーツを引っぺがす。

 さすがに服や下着が何処にあるかは知らんしな。


「ほら、とりあえずこれを巻け」


「随分とマニアックな趣味ね」


 クスリと面白そうに微笑むが、こちらはそれどころじゃない。


「全裸でうろついている奴には絶対に言われたくないわ」


「戦場では男も女も無いから。お湯も貴重だったし、わざわざ仕切りを作る余裕も無いもの。別にいつもの事よ」


 言っている事は分かるが、ここは戦場じゃないんだからもう少し考えて欲しい。

 それにそれよりも、なんかシュルシュルと布を巻く音が気になってしょうがない。


「はい、これで良いの?」


 どれ――と思いながら振り向いてドキッとした。

 白いシーツを巻きつけたその姿は、まるで真っ白なドレスを着ているようにも見えたのだから。


「それで、何か用だったんでしょ?」


「あ、ああ」


 そうだ。本題を忘れちゃいかん。


「例の赤くて角が片方のアラルゴスだよ」


「ああ、確かに見るからに強敵だったわね」


「それもそうなんだが、あの時に手負いのはぐれって言っていただろ? 何か知っているなら教えて欲しいんだ」


 アラルゴスの生態は群馬でも習っていた。

 だけど、現実は俺の知識とはまるで違う。

 群れるだの同士討ちだの聞いた事もない。


「手負いって言うのは見ての通りだけど、気付いた? 角が片方無かったでしょう?」


「ああ、確かに右側の角が無かったな」


 今更言うまでもない。あれはじいさんが仕留め損ねた獲物だ。

 奴の角は、今もまだ俺が持っている。

 ただ余計な口を挟むのは野暮ってものだ。今はとにかく聞こう。


「アラルゴスは成長した個体が小さな群れを率いるのよ。あ、成長したって言うのは赤くなって体も大きくなった奴ね」


「ふむふむ」


 赤くなったのは突然変異の個体じゃなくて成長途中だったのか。

 群馬での資料にはそんなの一行もなかったぞ。

 ただ何となく察しはついていた。あの群れを率いていた奴は、横に微かに角のような物が生えていた。

 おそらく成長すると、赤兜の様になるのだろう。


「ところがなんか変なプライドというか習性があるらしくってね、怪我をした個体は群れを追い出されるのよ」


「それが群れを率いるボスでもか?」


「そうよ。例外は無いわね。案外、あれにはまだ更に上位の存在がいて、人間相手に遅れを取るものなんて群れを率いるには相応しくないと思っているのかもね」


「なるほどね、そいつに追い出されたと」


「他にも率いられている方が見限って離れたとか色々と説はあるけど、結局のところは誰も知らないわね。ただ確実なのは、手負いのはぐれは手ごわいわよ。特に先日であった相手。あそこまで鮮やかな赤であの大きさ。相当な数を率いるボスだったでしょうに」


 ふむ……だが群馬に来た時には、アイツは一匹だけだった。

 少なくとも、手負いではなかったと思う。爺さんが角を折るまでは。

 そう言えば爺さんはあの時にどの位の弾を持っていた?

 何発くらい残っていた?

 ……だめだ。ショックで思い出せん。


「手負いとはぐれを分けている様だけど、片方だけって事はあるのか?」


「そりゃあ、あるわよ。ただ種類にもよるわね。海岸で見たビーンや空を大量に飛んでいたギラントなんかは手負いを守ろうとする習性があるわ」


 あの飛んでいた翼竜、ギラントって名前だったのか。

 そういえば資料にあったな。さすがに全部は覚えきれなかったけど。


「ただ多かれ少なかれ、手負いは狂暴になるの」


「その辺りは大抵の野生動物がそうだな。自分が弱っている事を知っているから、襲われる前になりふり構わず襲うんだ」


「そうね。でもその中でも、アラルゴスなんかは2つのパターンではぐれになるわ」


「どんなふうに?」


「1つは、群れの中に赤い個体が2匹になった時。その時は、若い方がはぐれになるって報告があるの。個体で行動して――後は分からないわね。普通の虫なら繁殖とか群れの乗っ取りとかあるのでしょうけど、ハッキリとしたことは言えないの。ごめんね」


「いや、良いよ。もう1つは?」


「最初に話した通り、手負いになった個体よ。それが率いられている個体でもボスであろうとも、手負いになったら群れから追い出されるわ」


「ボスを追い出してどうするんだろうな」


「そうね。彼らの思考が読み取れれば、少しは楽になるのでしょうけど。どのみち群れからは赤い個体が出るのよ。それまでどうしているかは知らないわ。茶色だけに率いられている群れって話は聞かないから、大方巣にでも戻っているんじゃないかしら。まあ、私たちには結局何も分かっていないんだけどね」


 ここでこの話は終わり。

 そう、来栖の態度が告げていた。

 実際、彼女もそれ以外の事は知らないのだろう。

 俺は礼を言うと、彼女の部屋を去った。

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