【 群馬から静岡へ 】

第1話 佐々森勇誠

 2107年X月X日。

 10メートルを超す巨大な――それでいて見る者を魅了する鮮やかな真紅の体を輝かせる奴が、今目の前に浮いている。

 その複眼には、何が映るのか。

 感じるのはただただ殺気。他に何の表現も思い浮かばない。

 怪我のせいじゃない。俺もまた、奴に対しては同じ感情しか浮かばない。


 もう海岸から邪魔者は出てこない。

 尽きたか? それとも手を出す事をためらったか?

 どちらにしてもありがたい。

 以前の俺なら、そうは思わなかっただろう。

 相打ちは望むところ。例え俺が殺されたとしても、奴さえ倒せばそれ良かったのだから。

 だけど今は違う。


「悪いがさっさと倒して戻らせてもらう。仲間がまだ頑張っているんでね」


 背後では三保半島自体が燃え盛っているのをひしひしと感じる。

 サンダース教官のトラックは大破炎上中。

 セスナも1機落とされた。

 作戦の半分以上は失敗だ。

 だが断続的に聞こえてくる爆発音は、皆がまだ奮戦している証。俺にはまだ、やるべき事がある。

 まさかこいつを前に、他の事を考える日が来るなど思わなかった。


 こちらの言葉に対し、それは無言にして無音。だが言葉よりも雄弁な、圧力だけで死に至らしめるような殺気を纏った突撃が来る。

 そう、来るんだ。


 どう動いても進路から外れることは出来ない。

 こちらは当たれば即死。だけどお前もまた、そろそろヤバいんだろう?

 あと何発耐えられるか、試そうじゃないか。


 俺は奴が動き出したその瞬間、迷わず”神弾”を撃ち込んだ。





 ◆     ◆     ◆




 2026年3月18日。

 まだ肌寒さの残る中、俺は3年間通い続けた渋川市立子持こもち商業高等学校に来ていた。

 卒業式はとっくに終わっている。本来なら、俺の様な卒業生が来る事は無い。

 ただ俺の場合は少し特殊でね。

 自分で役所に提出する書類は出し終えていたが、どうしても学校側から提出してもらう書類が遅れていた。

 そんな訳で、卒業後もこうして学校に来ていた訳だ。


「さて、これで書類は全部終わりかな……しかしねえ、後悔はしないのかね?」


 初老の教頭が改めて確認をしてくるが――、


「全くありません」


 即答であった。

 今更変わる決心なら、そもそもこの高校に入学すらしていない。


佐々森勇誠ささもりゆうせいくん。君の成績は確かに優秀だ。書類審査も全て問題無いだろう。だがねえ、君の家族はどう思っているのかね?」


「本当の家族なら、俺を祝福するでしょう。そして今の家族は、俺の背を押してくれました」


「……そうかね。まあ将来というものは本人が決める事だ。我々教師はその為の手助けと、生徒の門出を見送るまでが仕事だからねえ。ああそれと、ここの書類ね、間違っていたから最初から書き直してね」


「それも仕事ですか……」


「こういった間違いに気づかせる事こそ、大切な仕事なのだよ」


 めんどうくせえ。

 だがこれは人生が掛かった大切な書類だ。仕方がない。





 ◆     ◆     ◆






 結局昼前には到着したのに帰るのは夕方になってしまった。

 田畑が柔らかな夕日に染まり、新緑とはまだ言えないが、強い草の香気が備考をくすぐる。


「綺麗な場所だったし、住みやすかったな」


 ここは群馬県渋川市。高校の周りは田畑と山くらいしかないド田舎だ。

 見える範囲で大きな建物は学校くらい。当然大きなビルなどどこにも無い。

 ただそれはこの周辺だけであって、街の方に行けばコンビニもスーパーもドラッグストアもある。

 生活に不便はなかった……と思う。

 ちゃんとガンショップもあったしな。

 それに田舎といっても、道路は整備され、橋もあり、交番や消防署、それに病院だってあった。

 まあ実際行くには車で――いや、考えていて虚しくなった。やめよう。


 そう、俺がここに住むのは今日までだ。

 ここに通うのがという訳ではない。とっくに卒業したのだから当然だ。

 俺は明日、ここを離れ静岡に行く。

 大都会にして日本の首都。無数のビルが立ち並び、数えきれないほどの人がいる。

 映像では何度も見たが、俺にとっての現実は今目の前のここにある。

 実際に都会と言っても、何の実感も無いというのが本音だ。

 これが郷愁きょうしゅうというものだろうか……いやいや、まだ出発もしてねーよ。

 我ながら情けないな。


 特に何もない――ただ田畑があるだけの道を通り、敷島橋を通って利根川を渡る。

 そのままひたすら県道70号を歩いた先。ここからは山があるが、その手前まで来ると風に乗って料理の香しさが漂ってくる。

 元々暗かったが、この周辺は高い木があるのでなお暗い。

 そんな中、ポツンと一つの明かりがある。

 俺の家だ。そして――。


「ただいま」


 裏口から入り、今まさに料理中の姉に小声で挨拶をして入る。

 自分の家なのにどうして裏から?

 それにどうしていきなり厨房?


 ……と言われそうだが、外を見ればよく分かる。

 2階建ての木造建築。俺の爺さんの遺産にして店。

 そう、ここは小料理屋花藤はなふじ。まあ半分は飲み屋だけどな。

 爺さんと両親、それに姉が他界してから、ここは新しい家族が管理している。


「おかえり、ゆうくん。すぐにお夕飯作るわね」


 お客さんもいるから良いよと言いたいが、実際腹が減って仕方がない。

 幸いまだお客さんも少ない。ここは少し待たせてもらおう。


 今、お店の厨房に立っているのは藤垣あずさふじがきあずさ

 茶色い長髪をポニーテイルに結び、いつも普段着に着ているポロシャツの上からエプロンというラフな服装だ。

 着物とか割烹着とかは着ていない。

 着物を着る様な料亭ではないし、割烹着は常連さんにあまり評判が良くなかった。

 というのも、身内びいきでも邪な目で見るわけではないが姉は結構胸が大きくスタイルもいい。それに美人だ。

 そんな訳で、常連のじいさんたちはそれを見にやってくるわけだよ。


「けいとみねは、もう上で食べているわ」


「だよね」


 仕事の関係で、俺たちの夕食は早い。

 まあ学校がある間は今の俺のような感じだが、休みの日は5時には夕飯を食べるのが基本だな。


 姉であるあずささん。それに妹のけいとみね。

 俺たちの間に血のつながりは一切ない。

 だからあずささんも心の中ではあず姉と呼んでいるが、口に出す時は少し恥ずかしくてあずささんと呼んでいる。

 それに本当の姉さんは、もうこの世にはいない。


 出会ったのは3年前。

 あの日の事は、今でもよく覚えている。


「出来たわよ。はい」


 御膳には今日の献立であるアズパラガスの豚肉巻き。焼き鳥3種。上げたポテト。イカとワサビの和え物それにサラダに漬物、味噌汁。それに別個のおひつには米が入ってる。

 基本的に、料亭……というより小さな飲み屋だからな。

 これらの料理も、お客さんが注文した時に少しづつ多めに作ってこちらに回してくれたものだ。


「ありがとう」


 そう言った時には、もう常連さんと掴まって世間話を始めていた。

 見た目には楽しそうではあるが、大変だなと思う。

 こんなに気立ての良い美人の姉さんがいなければ、こんな辺鄙へんぴな料亭は3年も持たなかっただろう。





 2回に上ると二女のけいと三女のみねがとっくに食事を終えていた。


「おかえり……」


「おかえり、おにいちゃん!」


 6畳の和室に姉妹二人ともそろっていた。

 けいはラフなシャツとホットパンツに着替えて、ちゃぶ台で勉強中だ。

 もうすぐ中学3年生。来年からはもう受験だしな。

 黒髪のサイドテール。背は年齢相当というか、もろ平均に近い156センチ。

 スポーツ万能で勉強も出来る。俺の自慢の妹だ。

 俺がいなくなった後も、きっと姉妹を支えてくれるだろう。

 俺と違って南の方にある普通科高校を目指すそうだ。

 確かにそれが一番良いと思う。


 3女のみねはまだ10歳。あずささんよりも薄い茶色のショートカットにくりくりとした瞳。

 身長は141センチ。まだまだこれからだ。

 今はロングのTシャツ一枚で下には何も履いていないように見えるが、まあいつものスパッツだろう。

 というか何を履いていても気にはならないが。


 邪魔をしないように隅にお膳を置いて食事を始めようとすると――、


「ねえ、勇兄さん。もう明日なのよね」


 参考書に目をやったまま、けいが淡々と話しかけてきた。


「ああ。こっちじゃ免許を取れないからな」


「やっぱり普通の生活は出来ないの?」


「……ああ」


「やだー! いっちゃいやだー!」


 後ろからみねがしがみ付いてくるが、もう何度も話し合った結果だ。


「ごめんな、みね。向こうに付いても、必ず手紙は出すし電話もするよ。それにスマホだってあるんだ。メールもしよう」


「みね持ってないもん!」


「すぐに買ってもらえるよ」


 ふくれっ面になっているが、そんな所も可愛らしい。

 正直に言えば、ここは居心地がいい。過去形にはしたくないが、本当に良かったんだ。

 もしこの三姉妹がいなかったら、この家はもっと殺風景で、俺にとってはただただ苦しみを思い出すだけの場所になっていただろう。

 まあそれ以前に手放していたと思うが。


 だけど、いつまでも此処で平和に暮らすことは出来ない。

 俺の内で渦巻く恨み、憎しみ、怒り、悲しみ……全部を忘れて生きるなんて、誰が許しても俺自身が許さない。

 だから明日、ここを出なくちゃいけないんだ。

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