第3話 櫛の約束

「あたしってば最低だぁ」

 苦しい。つらい。痛い。痛い。

 だけど、この感覚になるのも、もう慣れてる。

 そう。おボケは慣れていた。

 約束を破ったときの、人を裏切ったときの痛さに。

 ――ごめんね。サチ。

 何が最低だったか、わかってる。

 働きに行くフリをして一人で遊びほうけていたのだ。家でそのことを母に怒られたこともそうなのだが。

 でも、そのときまでに現実逃避していたことが、もう一つあった。

「泣かないで。サチのためにお姉ちゃんが稼いで、あの櫛(くし)を買ってあげるから」

「嬉しい!頑張ってね」

 うん。

 うん。

 うん。

 ううん。もう頑張れない。無理だよ。無理。

 いたくない。あの場所に。仕事なんてできない。

 気力の糸が切れちゃった。

 弱いなぁ、もう意地も張れない。

 サチが言った。

「ボケ姉のバカ!約束しといてお金稼いでなかったなんて、ひどいよぉっ」

 こうなる気がしてた。

 こんな日がくるの、わかってた。

 無理だったの。

 何も守れる気がしなくて、つらいよぉ。

 そこからずっと心がとまったまま。

 あたしのときは、いつ流れるの。

 でもまた、サチはおボケに欲しいものをねだった。

 お金はそのとき、なかった。

 無理だってば、無理なの。

 約束なんて、無理よ。

「あ。ううん。やっぱいい。おっかぁに頼む。安心してよ。もうボケ姉には何も思わないから」

「――……」

 そのときの表情と来たら。

 痛いよ。

 あたしのせい。

 ぜーんぶ、あたしのせい。


 ◇


「ぜーんぶ、あたしのせい」

「――水がまた戻ってきた」

 滝壺に水が戻ってきても、しばしおボケはぼうっとしていた。

「あんたさ、助けることないって。あたしがかつぐから、あんたは滝壺から出て。ほら、あたし、ここに死にに来たんだんだよ。今すごく、そのことを思い出して。なんで大声あげちゃったんだかだよね」

「お前、名前は」

「聞いてどうするの。お墓にでも書いてくれようの」

「まぁ」

「ありがとう。あたしは、ボケ。おボケって呼ばれてるけど」

「いかにもだな」

 おボケが立った瞬間に、童子(どうじ)はおボケの腹を加減して殴った。

 そしておボケの意識が遠ざかるのを見計らっておんぶをし、滝口の方から降りてきた竜の尾をつかんだ。その尾はスルスルと二人を釣りあげた。

「悲観的でしたね。おボケさん」

「どうでもいい」

「まーたまたー」

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