第2話 稲

「こいつぁすごい。道が星空にめりこんでらぁ」

 そこは夜の泥水湿地だった。遠くまで広がっている泥水に星空がうつりこみ、まるで木道(もくどう)がめりこんでいるような景色になっているのだ。

 しばらくすると野生味(やせいみ)のある自然の音が、あたりからすぅっと消え失せた。

 しゃん、しゃん、しゃん。

 どこからともなく、そんな鈴の音がしはじめたかと思えば、湿地に一本だけ稲がはえた。

 遠目からではあったものの、偶然にもそいつを見つけた男は、近くにいた女を呼んだ。

 続いて響く音が太鼓へと切り替わる。その音は最初こそゆっくりであったが、だんだんと激しさを増していった。

 やがてお面をつけた白い衣(ころも)の舞人(まいにん)が二人ほど現れ、一本の稲の周りをくるりと舞いはじめたので、男と女は何が何やらと怖気づいた。

「おいおい。なんなんだ。あれは」

「あやかし。ううん。神のたぐいかしら。私にもさっぱりだよ」

「見ろ。あの足元、幽霊みたいだ。それに水鏡にすらうつっとらん」

 二人は互いに目くばせをし森林の中に身をひそめた。

 鼓動をあおるような太鼓の音が消え、今度は澄んだ笛の音がした。強張った体を解きほぐすような不思議な響きだ。

 その後も二人は近くの低木(ていぼく)などに隠れたりしながら、妙な仕草を続ける舞人と豊かになっていく音に注意をはらい続けた。

 けれど、その甲斐もむなしく二人はあっけなく死んでしまう。

 その要因は――奇妙な舞人のせいか。雅やかな音色であったか。はたまた、付近から飛び去ったカラスか。いいや、どれも違う。

 稲だ。一本の稲が二つに裂け、二人の額(ひたい)を矢のごとく刺し貫いたのだ。

 額を貫いているその稲が奇妙にも脈をうちはじめたのは、二人が死んですぐだった。血を吸っているのか、みるみると色が濃くなっていく。

 やがてそれは臓器のような形になり、さらに、より人間に近い姿にもなり、かと思えばまた稲に戻った。くり返しながらも、徐々に二つの稲同士が引かれ合い、ようやっと結びつくと、それは神々しくもまだ幼さの残る童子(どうじ)の姿となったのだった。

 森林をぬけ、切り立った崖から童子は迷いもなく飛びおりた。

 驚くべきことはまだ続く。なんと童子の眼下(がんか)にある泥水湿地の水のすべてが枯れ、それとひきかえに一匹の白い竜が現れたのである。

 竜は飛び立つと童子を背に乗せた。

 童子は表情一つ変えずに、竜にたずねた。

「今度はあの女、ただの人間となったようだ。あやかしじみた人間は泣いても笑っても嫌われると聞くが」

「はい。化け物のような娘とウワサされておりました」

「やはりか。そうだ。我の名前はどうする」

「私が決めても怒るでしょう」

 この童子と竜が降りたった先は、ヒヅメ滝のそばだった。すなわち、おボケのいる場所である。

 そのおボケはと言えば落とし穴の罠にかかったかのように、枯れた滝壷の中で諦めきった風にじぃっとしていた。

 ――ォオ。

 風が巻きおこったのを察して、おボケは声をあげた。

「だ、誰かぁ!」

「落ちつけ。今助ける」

「えぇっ?こ、子供っ?!あんた、夜中だよ。こんなところで」

 カチンと来たのか童子はおボケのいる滝壺まで降りた。

「誰が子供だ」

「いやいやいやいや!どうして降りて来るの!もぉおおっ!信じらんない――誰かぁあああ‼」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る