第5話 気付くのが遅れた王妃の告白 (2/3)
「こちら本日分です」
「…ありがとう」
蟄居房に監禁されはや一週間、フィルバドールの持ってきてくれる本と、その中に入っている手紙がわたくしの生きるモチベーションとなっていました。
人間とは現金なものです。
わたくしがフィルバドールに抱いていた軽薄な笑顔を振りまく嫌な男、というイメージは全て消え去り、好意的な笑顔を振りまく男性にしか見えなくなってしまいました。
その手紙も、真面目な状況報告が大半でしたが、書くことがなかったのかとにかくわたくしとリンを励ますようなものがあったりと、書き手の善性が滲み出る内容でわたくしの生きるモチベーションとなっていました。
ただ、嬉しい事ばかりではありません。
最初の取り巻き…わたくしの夫と息子、乳母兄弟と枢機卿の息子の魅了深度が取り返しのつかない所まで来ている、との報告には流石に堪えました。
フィルバドールの采配がうまくいったとしても、2人を元に戻すのは難しいかもしれない、と…。
覚悟はしておりました、涙も流しました。
ただこの涙には、思ったよりもショックを受けていない自身が知らなかった自分の浅ましさ、冷酷さに対するショックの涙も混じっていました。
そして、そのような色々なものが綯い交ぜになった複雑な心理状態から脱する為に、燃やすように言われていた手紙を隠し持ち、辛く、挫けそうになったらそれを読んで気持ちを持ち直す、という事を続けていたわたくしは、監禁生活が3週間を過ぎる頃には手紙、というよりもフィルバドールの顔を見るのが何よりの喜びとなっており、ほぼ毎日決まった時間に来る彼の到着を心待ちにしていました。
年が10歳以上下の男性にはしたなく、このような状況で抱く感情としては全くの筋違いで批判もされそうですが、わたくしは初めて男性に恋をしてしまったのかもしれません。
それを自覚したのはリンの「バレバレですよ…」という一言で、わたくしは言われた時は必死に否定したのですが、考えれば考えるほどそうなのかもしれない、と思うようになりました。
そしてそれを一旦自覚してしまうと、フィルバドールが来る前に顔や髪をできる限り入念にセットしてみたり、「ありがたき幸せ、マリーの為に役目を全うさせて頂きます」とフィルバドールに言われていたマリーを非常に腹立たしく、羨ましく思うようになったり。
リンが言う「完全にハマった10代の女の子」状態になっていました。
最初にフィルバドールからもらった恋愛小説の短編集に、秘密の手紙をやり取りする男女の話がありました。
最近のわたくしは自身とフィルバドールをそれの登場人物になぞらえ、寝物語として自分の心を慰める日々を送っています。
リンの言うように年端も行かぬ少女のようで恥ずかしくもありますが、このような気持ちになったのは本当に初めてで、どうすればいいかわからなかったのです。
リンにも相談しましたが、元気が無いよりは全然良いです、と言われしまい。
からかわれているような感じがしてそれ以上は聞けませんでした。
「近日中に我が領へご案内することが決まりましたので準備をお願いします」
「そう、ですか」
この異常な監禁生活の終わり。
そうフィルバドールが告げてきました。
辺境にて静養、と言ってもエニュオ領…フィルバドールの出身地であればここよりは自由にできましょう、本来ならば喜ぶべきなのでしょうが、わたくしはこの生活が終わる事を「残念」と感じており、その気持ちが声に出てしまいました。
「…ご安心を、私が付いて行きますし、お二人共ご一緒にご案内させていただきます…それともう1人、送る相手もいますので」
そう言ってフィルバドールは足早に去っていきました。
フィルバドールも一緒に来る。
ついに故郷へ戻り、憎らしいマリーに他の者と協力して反旗を翻す決心をしたのだと。
わたくしはそう勝手に思い込んでしまいました。
「王妃様、フィルと呼んではいかがですか?」
「え?」
移動の準備をしている時に、リンがそう言って来ました。
「フィルバドールの事です、彼は学校では普段フィルと呼ばれていたのですよ」
「フィル…フィル…」
ああ、わたくしはもうダメかもしれません。
フィル、と口に出してしまう度に顔が赤くなり、幸福感に体が支配されてしまう。
まだ彼が本当に魅了に抵抗しているかどうかも分かっていないのに。
「…考えておきます」
そんなわたくしの状態を知ってか知らずか、リンはそのままにっこりと笑うのみでした。
ついにエニュオ領への移送されるの日がやってきました。
しかし非常に違和感があります。
城内で馬車に載せられた為全容は把握していませんが馬車はわたくしの乗ったもの一台、見送りは1人、御者はフィル…これは好ましい事ですが…。
周りには護衛すら見当たりません。
更に、フィルの隣にはミュレスちゃんが。
わたくしが移動する時は護衛の馬車だけで最低でも4台はいたのですが…。
そんなことを考えているうちに、ミュレスちゃんがわたくしたちの檻付き馬車の後方に乗り、そのまま護衛もなしで出発してしまいました。
「ティア王妃、今お時間よろしいでしょうか」
王都から出てしばらくすると、フィルからふいに声をかけられました。
「はい」
ティア王妃。
そう呼ばれたわたくしは顔が真っ赤になってしまい、うつむきながら返事をしました。
「向こうに付いたら、やっていただきたい事がいくつかございます」
「わたくしにできることでしたら、何でも」
これは紛れもない本心です、国のため…愛する男性の為に今まで何もできなかった分を返すのだと。
力こそ封印されていますが、わたくしの立場はまだまだ利用できるはずです。
「…そう難しい訳ではありません。恐らく僕と入れ違い…2日後か3日後に父が戻ってくるはずです、そこで父に洗いざらいを告白し、現王の打倒するようそそのかして欲しいのです」
入れ違い、という言葉が一瞬頭に引っかかったのですが、後半の現王の打倒、という言葉と、何よりもフィルがわたくしに話かけてくれたという事実に気を取られ頭から抜けてしまいました。
「しかしそれは…」
しかしわたくしとて惚けている訳ではありません。
魔法使いとして前線に立った事もありますから、有力貴族や王家の戦力はざっと把握はしています。
そして辺境伯領の動かせる兵だけでは人が足りない事も。
「大丈夫です、暫くすればサイオン王子がある程度の兵力を率いて我が領を訪れます…そのように差配しましたので」
「サイオンが…?」
手紙にもサイオンとマリーを合わせない為に危害を加えて遠ざけてしまった、と言っていたので、魅了を回避できているのは知っていましたが、まさか辺境伯領に戦力が集中するように仕向けていたとは。
「はい、ですのでご安心いただければと思います…サイオン王子とティア王妃を御旗とすれば確実に父は乗ってきます…恐らく父は王との会談で頭に血が登っているでしょうし、ね…」
聞けば、今回を受け渡しの円滑に終える為とバトラス辺境伯に現王打倒に説得力を持たせるために王都へ来るように仕向けたのだそうです。
自分の父がこの場にいると殺し合いになってしまうだろうから、と。
「…本来であればわたくしが貴方のように動いて処理すべき事態ですのに、本当に申し訳ありません」
「気にしないでください…と言っても無理ですよね、ご家族の問題ですし」
そう、わたくしとサイオンは、夫と息子…サイオンから見れば父と兄の打倒を主導しなければなりません。
仕方がない、とは心の中でわかっていても、実際にそうなった時にわたくしの心がどうなってしまうかは正直わかりません。
そして今更ながら、フィルは最初から魅了されることはなく、あえて汚名を被って動いてくれていたのだと確信が持て、わたくしの心はこんな状況であるのに更に湧き上がってしまいました。
こんな人とこの先一緒にいれたら。
全ての差配が上手くいけば、もしかしたら。
そんな下世話な事を考えてしまって。
そして1つ、どうしても聞いておかなければならない事がありました。
「何故、フィルバドール…フィル殿は自ら汚名を被ってでもこのようなことをされているのですか…?」
彼ぐらいの知恵と魔法の腕があれば、国外に逃げる事も可能な事ぐらいはわたくしも分かっています。
そしてどさくさでついにフィル、と口に出してしまいました。
自分の顔が真っ赤になっているのがわかります。
リンはずっとニヤニヤしています。
「まあ、できそうだったからですね」
「できそうだった?」
「はい、手紙で書いた通り最初にあの逆ハーレムに遭遇した時、こう思ったんですよ…この国詰んだなって」
詰んだな。
改めて口に出されると非常に辛く、重い言葉。
ただ考えとしてはわたくしも現状、そうなっていることが否定できず。
リンも口には出さないがそう思っている事でしょう。
「で、僕って自分で言うのもあれですが結構頭回るので…詰んだなって思ったと同時に、まだなんとかなるんじゃないか?とも思ったんです、正確にはサイオン王子とティア王妃がいればなんとかなるんじゃないか?と…でまあ、弟と引き離しつつ調査するとお二人はまだ大丈夫そうだったので、これならいけるな、と…」
最初の発端はフィルの弟が魅了されたことから始まったことは手紙に書いてありました、そして最終的に物理的に学校に通えなくするために両の足を叩き折った事も。
未だにそれが正しかったのかは分かりません、と同時に書き添えて。
そして、わたくしとサイオンがいればなんとかなると考えて最初から動いていたこともわかり、フィルはこんなことは毛ほども思ってはいないでしょうが、愛しい男性に必要とされていた、守られたという事実がとても嬉しい。
「それと、もう1つ…一緒に乗っているミュレス嬢のフォローをお願いします…恐らく魅了がそろそろ切れて、混乱されると思うので…」
「わかりました」
ミュレスちゃんにも酷いことをしました。
マリーはミュレスちゃんを存外に気に入っていて、丁重に扱っていたと聞いた時には凄く驚きましたが、フィルが言っていたマリーは浅はかで短慮である、という事を考えると本当に何も考えてない、魅了の力を持ってしまっただけのただの女なのかもしれない、と少しだけ彼女が哀れに思いました。
そして、ここまで聞いて最初に感じた違和感が酷く大きくなって戻ってきました。
ここまでの頼みごとの中に彼、フィルの存在がまるでないのです。
まさか
まさか
「フィル殿…まさかとは思いますが、王都に戻るおつもりですか?」
「ええ、お三方を送ったらすぐに」
この言葉を聞かされたわたくしは足元が崩れるような、心が引き裂かれるような、夫と息子に拒絶されたときの何倍ものショックを受けてしまいました。
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