第14話 マーブル模様の日常


ヒステリックな声がぐちゃぐちゃに散らかった部屋に響く。


僕は気がめいって、つい唇を噛んだ。


ここでは冷静に処置しなければいけない。


「なあに? お母様?」


 小夜子らしい、か弱い声で相手を振ろうとした。


 なかなかのセンスだと思ったのだが、母親の勘というのは案外鋭い。


 打算はそこまでだった。


女はガタガタと震えながら声を荒げた。


「やっぱり、小夜子はいない。いないんだわ。小夜子は私のことを普通にお母さんと言っていたもの。磯崎先生も病気が回復の兆しです、と言っていたのにまだ小夜子には化け物がいる。いるんだわ、小夜子を壊した化け物が」


 母親の狂乱ぶりを見て、ああ、やはり小夜子とこの女は親子なのだな、と僕はある意味で感心した。


 僕は冷淡かつスピーディーに小夜子の殻をかぶった。


「なあに、お母さん。悪かったね。私は平気よ。私は私しかいないじゃない。私にお化けなんて棲んでなんかいないわ」


 女には演技はムダだったようだ。


「何を言っているのよ。最近あんたおかしいじゃない。化け物がいるせいで小夜子が死んでしまうわ、死んでしまう!」


 僕は本音が出ようとしたが、一歩のところで我慢した。


 女はまだうわごとを繰り返した。


 僕はむっとしてつい口が滑った。



「そこのおばさん、交代人格の意思も尊重するのが解離性障害の基本治療なんだろう。第一、自分の娘が父親から犯されていて平気な母親なんかいないさ。小夜子がもうひとりの人格を作り上げた本当の理由は何さ。本当につらいことがあったからこんなことになったんだろう。誰が原因を作ったんだ。お前が小夜子を蔑ろにしたからこうなったんだろう」


 低い声が母親の神経を逆撫でにしたようで、母親は涙をポロポロと流しながら言葉を連ねる。



「あのね、あなたが小夜子の心の中に生まれたのもあのことが原因よ。ごめんね、私が悪かったのよ。私が、母親の私が小さい小夜子を置き去りにしたから」


 あのこと? 


 小夜子は実の父親からいたずらされたのではないのか。


 それが原因でトラウマになったのではないのか。


 すべての悪はあのお父様だと思っていたのは間違いなのか? 


 この女も僕を騙している。


 


 だまして僕を翻弄させようとしている。


 この女の駄弁に騙されてはいけない。


 手をきつく掴まれたのか、手が痺れる。


 僕は手を振り払い、女をきつく睨みつけた。


 


 頭が真っ白になる。


 女の余計な情報のせいで今までの計画が台無しだ。


 小夜子の心の傷までをも粉々に否定されたようで、寒々しい。


 僕は忌まわしいものを感じながらぞっとなった。


 女はその場を立ち去ろうとした僕を阻止した。



「今すぐにでも病院へ行くのよ! いい、小夜子!」


 女はまたもや腕をつかんだ。嫌悪感と気味悪さが混ざりながら、視界はマーブル模様と化した。


 紫色の落陽は毒々しく、ところどころに生えるレモン色は余計に痛々しい。


 女の顔面が歪み、僕は鏡の底に突き落とされる。


 自分が気を失ったなんて考えもつかなかった。


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