第21話 何やってるんだよ
「本当に、イチフサなの?」
目の前のことが信じられなくて、もう一度名前を呼ぶ。
イチフサは全力で飛んできたのか、大きな羽を広げ、肩で息をしている。それでも、私を見ると、少しだけ安堵したように、小さく息をついた。
「当たり前じゃないか。なんだよ、幽霊でも見たような顔して」
「いや、妖怪のあんたがそれ言うと微妙だから」
こんな時にくだらない話をして、だけどそのおかげで、ようやくこのイチフサが本物だって実感が湧いてくる。
「いくらなんでも、来るタイミングよすぎない?」
「言っただろ。これをつけている時もし結衣がピンチになったら、俺にもそれがわかるようになるって」
そう言ってイチフサは、私の肩を抱いたまま、もう片方の手で私の腕を掴む。
そこには、イチフサがくれたあの妖怪避けの腕輪があった。
そういえば、そんなことも言っていたっけ。
すると、それを見ていた鹿王の声が飛んでくる。
「やれやれ。つまりそれがなければ、君が来ることもなかったわけか。まったく、余計なものを持たせたものだね」
鹿王は、私とイチフサを会わせたくなくて、こんなことまでした。
なら会ってしまった今、私達をどうするつもりなんだろう。
警戒心から身を固くするけど、そこでイチフサが、少しだけ私から離れ、庇うように前に出る。
「結衣に何をした!」
辺りに声が響き、空気が震える。ワナワナと肩を震わせ、その怒りようは、顔の見えない後ろからでもわかるくらいだ。イチフサがこんなに怒っているところなんて、今まで一度だって見たことが無い。
だけどそれだけ怒りをぶつけられても、鹿王に動揺する様子はなかった。
「君こそ何しに来たんだい? たしか今は、里の者達と大事な話をしている最中じゃなかったのかな?」
「結衣が危ないってのに、放っておけるわけないだろ。こんなことをして、俺が黙っているとでも思ったか!」
怒鳴るイチフサ。その途端、再び突風が巻き起こり、まるで弾丸のように、鹿王の顔のすぐそばをかすめた。
僅かに頬が裂け、ポタリと一滴、血が流れ落ちる。
鹿王は黙ってそれを拭うと、キッと目を細くした。
「僕と戦うつもりかい? それは感心しないな。いくら君が里の一員でも、将来有望でも、そうなるとそれなりの対処をせざるを得ないからね」
鹿王の威圧的な態度や張り詰めた声に、思わず身がすくむ。
相手は鹿王だけでなく、何体もの妖怪も一緒だ。いくらイチフサが来てくれても、力じゃどうにもなりそうにないのは、今までと同じだ。
イチフサも、それは十分わかっているんだろう。人吉くんやお煎餅に目を向け、言う。
「二人とも、ここは俺が何とかするから、結衣を連れて逃げて!」
そんなこと言うなんて、やっぱり勝ち目は薄いんだ。
「お前は大丈夫なのかよ!」
「俺なら平気だって。それより、結衣のこと頼んだよ」
もう一度、念を押すように言うイチフサ。
確かに、私達が助かるにはその方がいいのかもしれない。
だけど、私はそれに頷くことができなかった。
「私は残る! だから、人吉くんとお煎餅だけ逃げて!」
「なっ──!?」
イチフサが、驚いた顔で私を見る。驚いているのは、人吉くんやお煎餅も同じ。みんな、信じられないといった様子だ。
「なに言ってるんだよ! 俺がどうにかしている間に、みんなは逃げるんだよ!」
「逃げて、その後はどうなるの? あんたは無事でいられるの?」
「それは……」
言葉につまるイチフサ。やっぱり、無事でいられる保証なんてどこにもないんだ。
イチフサが危ない目にあうかもしれないのに、それを放って逃げるなんて、できるわけない。
それに、全員が助かる方法なら、一つある。
「ねえ、鹿王。さっき、私がイチフサに会うのを諦めたら、見逃してもいいって言ってたわよね。その話、まだ生きてる?」
元々、人吉くん達を巻き込まないため、そうするしかないって思ってたんだ。それが今は、イチフサが無事でいられるかまでかかってる。なら、やるべきことは決まってる。
「そうだね。予想外のことは起きたけど、君がその約束を守るって言うなら、今からでも認めてあげてもいいよ」
よかった。これで、全員助かるんだ。
イチフサと会えなくなることに、未練がないわけじゃない。けどそのイチフサを助けるためなら、迷いはない。それに、最後に少しだけだけど、会うことができた。ならもう、これ以上は望まなくていい。
そう思って、自分を納得させようとする。
だけど、それに納得できないやつがいた。
「ちょっと待って! 俺と会うのを諦めるって、どういうことだよ!」
さっきまでの話を知らないイチフサにとっては、何のことだかわからないんだろう。怒ったように、私に詰め寄ってくる。
「さっき、この鹿王って人に言われたのよ。そうすれば、見逃してくれるって」
「それで、本当に俺とはもう会わないつもり? いや、結衣の命が危ないのはわかるけどさ、ここは俺が何とかするって言ったじゃないか!」
「そしたら今度は、イチフサが危なくなるでしょ。それなら、こうした方がいいじゃない」
全員を助けるためには、こうするのが一番いい。
なのに、それでもイチフサは納得してくれない。
「なに言ってるんだよ。だいたい、そんな大事なこと一人で勝手に決めるなよ!」
「勝手って、私はあんたも助けようと──」
「俺がいつそんなこと頼んだんだよ!」
イチフサ不満はますます強くなっていき、声も荒くなっていく。
だけど、だけどね──そんなイチフサの言葉を聞いて、私も私で、納得できない思いが込み上げてきた。
「なによそれ。だいたい、勝手なんて言ってるけど、何も言わずに急に連絡よこさなくなったのはそっちじゃない!」
「今はそんなこと関係ないだろ!」
「ある! おかげでどれだけ心配したと思ってるのよ。さっき聞いたけど、あんたお役目ってのについて、そうなったらもう私と会えなくなるんでしょ。そんな大事なこと、どうしてずっと黙ってたのよ!」
例えここを切り抜けられたとしても、その問題がある以上、これから私達が会うのは、どのみち難しくなる。
そんな大事なこと、こいつはずっとそれを隠してて、何も言わずに姿を消したんだ。そんな奴に、勝手なんて言われる筋合いはない。
「それは、俺にも色々考えがあったんだよ」
「その考えを、私には一言も話さずに?」
「それは、……その方が、結衣のためになるかなって思って」
「はぁっ? 私のためって、そんなのいつ私が頼んだのよ!」
言い合ってるうちに、だんだん腹が立ってきた。そういえば、イチフサと会ったら文句を言うって決めてたっけ。
「何でもかんでも勝手に決めて、何も話さなくて、それで私のためなんて、どこのマンガの俺様キャラよ!」
「そんな言い方ないだろ。俺だって……」
「俺だって、なによ。最低! 横暴! 俺様野郎!」
もう文句というか、ただの悪口。こうなったら、勢いの強い方が勝つ。イチフサの反論もだんだんと言葉が少なくなっていって、いつの間にか言われるがままになっている。
だけどそんな時だった。
「──あの、ちょっといいかな?」
私がまくしたてるのを遮るように、新たな声が割って入った。ハッとして声のした方へと振り向く。
「二人とも、僕のことちゃんと覚えているかな?」
そこには呆れた顔で私達を見る鹿王がいた。
「お前達、何やってるんだよ」
「そんなことやってる場合じゃないニャ……」
人吉くんとお煎餅もまた、心底呆れたように私達を見ていた。
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