第15話 湯前さんとお煎餅
その日の放課後、湯前さんは、一人でそそくさと教室を出ていく。きっと、またお煎餅を探しに行くんだろう。
それを見て、私はすぐにその後を追いかける。そしてその隣には、人吉くんも一緒だ。
「あの、湯前さん。ちょっといい?」
「えっ?──錦さん、それに瞬も。どうしたの?」
「えっと、その……」
自分から話しかけたってのに、なかなか言葉が出てこない。けど、ここで躊躇ってちゃいけない。これは言わなきゃいけないこと。言うって、自分で決めたことなんだから。
私を助けるように、人吉くんも会話に入ってくる。
「お煎餅のこと、こいつも気にしてたみたいだから、連れてきた」
「そ、そうなの。まだ見つかってないのよね」
「うん。錦さんに教えてもらって、学校の周りを探してみたんだけどね。ごめんね、せっかく教えてもらったのに」
「ううん。もしかしたら、全然違う猫を勘違いしただけだったのかも」
お煎餅が見つかってないなんて、わざわざ聞かなくても、本当はわかってる。
そもそも学校の近くで見かけたなんて、全くのでたらめ。なのにそれを信じて探したんだと思うと、罪悪感が湧いてくる。だけど、今大事なのはそれじゃない。
「それで、その……他の人から聞いたんだけどさ、その猫って、もうずいぶん長い間飼ってるのよね」
「ええ。うちにきたのは十年以上前だったかな。元は野良猫だったから、年はいくつかはからないけど、結構なお爺さんのはずよ」
お煎餅の、ちょこまか動き回って落ち着きの無い様子を思い出す。あの子がお爺さんとはとても思えないんだけど、もしかして猫又になった時に、若返ったりでもしたのかな。
なんて、どうでもいいことを考えてる場合じゃない。私の話は、これからが本番だ。
「あ、あのさ。その……そんなに高齢なら、お煎餅はもう……」
「──っ!」
死んでいるとは、さすがにハッキリとは言えなかった。だけど湯前さんも、私が何を言いたいかはわかったんだろう。一瞬、くしゃりと顔がゆがむ。
私だって、本当はこんなこと言いたくない。だけど、事実お煎餅は一度亡くなっている。
そしてこのままじゃ、湯前さんはいつまでも見つからないお煎餅のことを探し続けることになる。
じっと黙ったまま、顔を伏せる湯前さん。
私のこと、無神経なやつだって怒ってる? それとも、お煎餅のことを思って悲しんでる?
「ご、ごめん……」
耐えられなくなって謝と、湯前さんは一度フーッと大きく息を吐き、顔を上げた。
「ううん。私も、本当はそうじゃないかって思ってた。実はお煎餅、いなくなる少し前から、すっごく具合が悪かったの。猫って、死期を悟ると姿を消すって言うでしょ。それでも、探せば最後にまた会えるんじゃないかって思ってたんだけど、さすがにもう無理かな」
いつの間にか、湯前さんの目に涙が浮かんでいた。お煎餅のこと、すっごく好きだったんだろう。そしてそれは、お煎餅も同じ。
「泣かないでご主人様!ボク、猫又になって生きてるニャ。ほら、こんなに元気だニャ!」
私の隣で、お煎餅が言う。そしてそんなお煎餅を、イチフサが抱いていた。
実は私が話している途中から、この二人もやってきていたんだ。
だけどやっぱり、湯前さんはそれに気づかない。気づけない。
こんなに近くにいるのに、こんなに相手の事を思っているのに、見ることも声を聞くこともできない。
だけど、だけどね、私なら、その思いを伝えることはできる。
「あのさ、湯前さん。お煎餅のことだけど……」
そう切り出したところで、一瞬だけお煎餅に視線を向ける。
これが、事前に決めていた合図だった。その途端、お煎餅が再び喋りだす。
「ボクはとても幸せだったニャ」
そして私は、それをほとんどそのまま口にした。
「お煎餅はきっと、とても幸せだったと思うよ」
湯前さんは、何か返事をするわけでもなく、黙ってそれを聞いている。
そして、お煎餅の言葉はまだ終わらない。
「初めて家に来た時、お腹が空いていたボクに温かいミルクをくれたニャ。ボクは嬉しかったニャ」
「初めて会った時、お煎餅にミルクをあげたよね。お煎餅、凄く嬉しかったに違いないよ」
「冬の寒い時は一緒に寝たニャ。ポカポカした春には、一緒にお散歩明日ニャ。そのどれもが、ボクにとってかけがえの無い宝物だったニャ」
「冬は一緒に寝て、春は一緒にお散歩して、きっと全部、大切な宝物だったんじゃないかなあ?って、ちょと……」
どうしよう。勢いに任せて喋ったけど、なんだか私が知ってるはずのないことを色々言っちゃった気がする。
「あ、あれ? 私、お煎餅と初めて会った時のことや、一緒に寝たりしてたことって、言ったっけ?」
湯前さんも、変に思ったみたい。不思議そうに聞いてくるけど、そこで人吉くんがフォローを入れる。
「俺が話した。お前とお煎餅のこと、聞かせてほしいって言ってたからな」
こんなんで、どこまでごまかせるかはわかんない。だけどここまで来たら、もうあとには引けない。
あとは、お煎餅からの最後の言葉を告げるだけだ。
「ボクは、悲しんでいるご主人様を見たくないニャ。ご主人様の笑顔が大好きだニャご。だから主人様には、いつまでも笑っていてほしいニャ。」
「お煎餅は、悲しんでいる湯前さんのことは見たくないわよ。湯前さんの笑顔が大好きだから。陣内さんには、いつまでも笑っていてほしいって思ってるわ!」
ついに言い切った。こんな事を言って、変だって思われてないかな?
だけど、どうせ私は陰キャのボッチ。そんなの全然平気……ってわけじゃないけど、それでも、なんとかしてお煎餅の気持ちを伝えたかった。湯前さんがお煎餅を大好きなように、お煎餅も湯前のことが大好きだって、少しでも知ってほしかった。
少しの間、湯前さんはポカンとしながら私を見る。
だけどそれから、急に何かが弾けたみたいに笑いだした。
「──ふふっ、あははははっ!」
ビックリして、今度は私がポカンとする。
湯前さんはひとしきり笑った後、目に貯めていた涙を拭った。
「なにそれ? 錦さん、必死すぎ。けど、ありがとね。お煎餅も、本当にそう思ってくれていたらいいな」
そう言った湯前さんは、さっきまでとは違って、どこか吹っ切れたようだった。
「おかげで、元気が出た。そうだよね、悲しいけど、いつまでもウジウジしてたら、きっとお煎餅だって嫌だもの」
これって、上手くいったってことでいいのかな?
隣を見ると、湯前さんを見ながら、お煎餅も笑ってた。
実はと言うと、こんなことして本当によかったのか、余計なことをしてるんじゃないかって、ずっと不安だった。
だけど、二人が笑顔になったんだから、きっと間違ってなかったよね。
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