第10話 いなくなった猫

 言葉だけ聞くとおかしいけど、その声はどこか不安そうで、本当必死で探しているような気がして、なんとなく気になった。


 だからって、普段の私なら、じゃあ声をかけてみようなんてならない。コミュ障にとって、見知らぬ人に声をかけるなんて、ものすごく難易度が高いことなの。


 だからこれは、本当に気の迷い。私も誰かに話しかけられることができたら、少しは何かが変わるかも。今朝、そんなことを考えていたせいで、実にらしくないことをしてしまった。


「あ、あの〜。少しいいですか?」


 勇気を出して、声をかけてみる。たった一言だけど、これだけでも私にとっては快挙だ。


 すると、それを聞いて、屈んでいた女の子はこっちに向き直る。


「ゆ、湯前さん?」


 さっきまでは顔が見えなくて気づかなかったけど、そこにいたのは我がクラスのリア充女子、湯前歩美さんだった。

 そして彼女も、私を見てあれっといった感じの顔をする。


「あれっ、錦さん?」

「えっ? 私のこと知ってるの?」

「いや、同じクラスなんだし、名前くらいわかるでしょ」


 私、まだクラスメイト全員の名前なんて、覚えてないんだけどな。


 それはさておき、今の湯前さんはなんだか表情が暗く、焦りや不安で、持ち前の可愛らしさを打ち消しているかのようだ。今朝教室も、一瞬だけそんな顔になっていたのを思い出す。


「えっと、こんなところで何をしてるの? もしかして探し物?」

「うん、そうなの。ねえ錦さん、この辺でお煎餅見なかった?」

「お、お煎餅ね……」


 さっきまでは、もしかしたら私の聞き間違いかもってちょっとは思ってたけど、やっぱりお煎餅で間違いないのね。

 そんなのスーパーやコンビニに行けばあると思うんだけど。それとも、探しているお煎餅って、そんなにおいしいの?


 なんて思っていると、湯前さんは、ハッとしたように言葉を続けた。


「あっごめん。お煎餅って言うのは、猫のことなの」

「へっ? ね、猫?」

「そう。うちで飼ってる猫の名前」


 それを聞いて、ようやく納得する。動物に食べ物の名前をつける人って、けっこういいるわよね。

 かくいう私も、昔近所で見かけた黒猫二匹に、勝手にぼた餅とおはぎって名前をつけたことがあるから、その気持ちはよくわかる。


 そしてお煎餅ってのが猫の名前だとわかって、彼女が必死になって探している理由が見えてきた。


「もしかして、いなくなっちゃったの?」

「そうなの。もう何年も前から飼ってるから、最近体が弱くなってきたんだけど、何日か前に、突然いなくなっちゃったの。瞬やクラスのみんなにも頼んで探してもらってるんだけと、見つからないの。ねえ、錦さんは見かけてない?」


 瞬っていうのは、人吉瞬くんのことよね。名前で呼ぶような仲なんだ。

 一瞬そんなことを考えたけど、だいじなのはそこじゃない。


 大事な猫がいなくなったんなら、心配なのも当然だ。だけど私は、彼女の質問にすぐには答えられなかった。


 心当たりがなかったからじゃない。むしろ、その逆だ。


「猫……猫ねえ……」


 呟きながら、少しずつ視線を下に落とす。そこには、一匹の焦げ茶色猫がいた。

 実はこの猫、さっきからずっとここにいた。なのに湯前さんは、それに一切気づいた様子はない。


 だけど、それも無理はない。


「ご主人さまー、ボクはここ。ここにいるニャー!」


 可愛らしい声で叫ぶ猫ちゃん。もちろん普通の猫は、人間の言葉を喋ったりしない。しかも、よくよく見るとこの猫、尻尾が二本ある。


 こういうやつをなんて言うかは知っている。猫の妖怪、猫又だ。


 だけど普通の人間には妖怪の姿なんて見えないし声も聞こえないから、猫又が何しようと、湯前さんは全く気づかない。気づけないんだ。


 なのに、猫又はめげずに湯前さんに話しかけている。


「お煎餅、今頃どこかでお腹を空かせてなければいいけど……」

「大丈夫ニャ。お魚屋さんに行って、残り物を漁ったからお腹いっぱいだニャ!」

「もしかして、事故に遭ったとか……」

「車が来ても、ひらりとかわすニャ。僕はとっても身軽なんだニャ」


 ここまで湯前さんになつくなんて、その理由は、ひとつしか考えられない。


「ねえ湯前さん。探してる猫って、やっぱりお煎餅みたいに焦げ茶色なの?」

「うん。ちょっとだけ白いところもあるけど、だいたいはお煎餅みたいな色してる」

「白いところって、もしかして、額とか?」


 湯前さんと話しながら、猫又の顔を見る。その額には、見事にちょっとだけ白い部分があった。これはもう、間違いない。この子がお煎餅だ。

 けど、どうして飼っていたはずの猫が猫又になっちゃったの?


 すると、私の言葉を聞いた湯前は、急にカッと目を見開いて、私の肩をがっしりと掴んできた。


「それ、間違いない。お煎餅だ! 知ってるの? どこで見たの⁉」

「ふぇっ!?」


 湯前さんからすれば、やっと見つけた愛猫の手がかり。気になるのは当然だ。


 けどどうしよう。あなたのすぐ後ろにいますなんて言っても、見えないからわからないわよね。妖怪になってるんだなんて言っても、信じてくれるはずがない。


 そんなことを考えてる間も、湯前さんはなおも食い下がってくる。


「お願い錦さん、教えて!」


 よっぽどお煎餅のことが心配なんだろう。何か答えるまで、とても諦めそうにない。

 ええい、こうなったら仕方が無い!


「が、学校」

「学校?」

「うん。さっき学校を出てすぐのところで、そんな感じの猫を見かけたわ。まだいるかどうかわからないけど……」

「学校ね、すぐ行ってみる!朝霧さん、ありがとう!」


 そう言うと、湯前さんは大急ぎで学校の方に向かっていく。お煎餅を探すため、本当に必死なんだろうな。


 だけど、そんな彼女の後ろ姿を見てると、罪悪感が出てくる。

 お煎餅、本当は学校になんていないのに。ここにいるのに。


 すると、私たちのやり取りを見ていたお煎餅。走り去って行った湯前さんにはついて行かず、怨めしそうな目でこっちを見ていた。


「……嘘つきニャ」


 うっ。そんな目で見ないでよ!


だけど、お煎餅は納得なんてしてくれない。


「酷いニャ酷いニャ!どうして嘘なんてついたニャ! 君、ボクの事が見えているニャ。なのにデタラメ教えるなんて何を考えてるニャ!ご主人様は、あんなに必死になってボクの事を探しているのに。君は酷いニャ、怨むニャ、化けて出てやるニャーッ! 猫の怨みは怖いんだニャッ!七代先まで祟って──グニャ⁉」

「ああ、もう、うるさい! しかたないでしょ。湯前さん、アンタのこと見えないんだから」


 ニャーニャー文句を言ってくるお煎餅の口を塞いで、無理やり黙らせる。そりゃあこの子の気持ちもわかるけどさ、本当のこと話しても信じてもらえるわけないでしょ。

 だけどお煎餅はよほどショックだったのか、しくしくと泣き始める。


「悲しいニャ。どうしてご主人様は、ボクの事が見えないのかニャ?」

「ええとね。それはアンタが妖怪だからよ。普通の人間は妖怪が見えないの。私は例外なんだけどね」

「あ、それ知ってるニャ。ご主人様の読んでいた漫画であったニャ。心の綺麗な人にしか見えないものがあるって。あれ、でもそれじゃあ、どうしてご主人様には見えなくて、嘘つきでイジワルの君には見えるのニャ?とても心が綺麗には見えないニャ」

「……皮剥いで三味線にするわよ」

「ぎゃっ! やっぱり綺麗な心の持ち主じゃないニャ!」


私のことはどうでもいい。

だいたい、妖怪が見えるのに心が綺麗かなんてのは関係なくて、持って生まれた才能みたいなもの。そう、イチフサに聞いたことがある。


それより、重要なのはお煎餅のことだ。


「湯前さんの家の飼い猫だったってことは、前は湯前さんにもアンタの姿が見えていたのよね」

「そうだニャ。ご主人様達みーんなボクのこと見えて、平和に暮らしてたニャ。けど、突然見えなくなったニャ」

「妙な話しね。そうなる前に、変なことってなかった?」

「うーん。実は少し前に、すっごく疲れて寝込んだんだニャ。それで、起きたのが今日だったニャ。すっかり元気になっていて、しかも尻尾が二本になってたニャ。ご主人様、いつもボクの尻尾がラブリーだってほめてくれてたから、二本になったら喜ぶと思ったニャ。だけどいくらアピールしても、ご主人様はボクに気付いてくれなかったニャ」


 よよよと泣き崩れるお煎餅。尻尾が二本になって湯前さんが喜ぶかはわからないけど、どう考えでも普通じゃない。寝込んだって言ってるけど、その時に、普通の猫から妖怪になったってこと?

けど、そんなことってあるの?


 考えてみたけど、私は妖怪が見えるってだけで、妖怪について特別詳しいってわけじゃない。

となると、ここは詳しい奴に聞いてみた方がいいのかも。


「アンタ、どうせ暇でしょ。だったら私につき合わない? もしかしたら、どうしてこうなったのか、わかるかもしれないわよ」

「え、いいのかニャ!」


さすがに、ここまで話を聞いて知らん顔するのも嫌だからね。

湯前さんに気づかれなくて悲しむお煎餅も、お煎餅を探す湯前さんも、どちらも必死で、放っておくなんてできなかった。


「ありがとニャ。君、意外と優しいんだニャ。イジワルな奴って思ってて、ごめんニャ」

「一言多い。アンタと喋ってるところを人に見られたら、変な奴だって思われそうだから、ちょっと黙ってなさい」


 何しろお煎餅の姿は、私以外には見えないんだ。今の私の姿を他の人が見たら、何もないところに向かって喋る怪しいやつって思われる。


それにしても、なんともおかしなことに関わってしまったもんだ。いつもクラスの中心にいる湯前さん。私とは住む世界が違うように思ってたけど、まさかこんな形で接点ができるとは思わなかった。


 お煎餅がこうなった原因、ちゃんとわかればいいんだけどな。そう思いながら、私はイチフサのいる山へと向かうのだった。

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