第5話 なんてことさせるのよ!

 人間の世界に興味のあるイチフサは、どこからかマンガの存在を知って、見たいって言ってきた。


「私が持ってる中から、適当に選んでおいたから」

「ありがとう。さっそく読ませてもらうよ」


 言うが早いか、イチフサはマンガを手に取ると、パラパラとめくり始めた。


 だけど彼は知らない。私が持っているマンガはそのほとんどが少女マンガ。しかも甘くてキュンキュンする話が好きなのよね。


 こういうのって女子には人気だけど、男子は恥ずかしくって読めないって子もけっこういるみたいなの。


 そんなのを読んでイチフサがどんな反応をみせるか。顔を赤くしてくらたら面白いかも。

 なんて思っていたけど……


「う~ん」


 小さく唸って本を閉じるイチフサ。その顔は全然赤くなっていないし、何だか困ってる感じだった。


「面白くなかった?」


 期待していた反応がなくて、少しがっかりしながら聞いてみる。

 だけどそれは、面白いかどうか以前の問題だった


「字が読めない。考えてみれば、俺達と人間じゃ使う文字が違ったんだ」

「えっ?」


 驚く私の前で、イチフサは近くに落ちてた小枝を拾って、地面に何かを書きはじめる。


「これが、俺達妖怪の使ってる字。全然違うだろ」

「確かに……」


 イチフサが書いた妖怪の字ってのは、私からすると不思議な模様みたいで、もちろん全然読めない。

 イチフサからすると私達の字がそんな感じだろうから、これじゃマンガも楽しめるわけがない。


「じゃあ、わざわざ持ってきたのにムダだったわね」


 面白い反応を期待していたから、ちょっと残念。ところがイチフサは、少し考えた後にこう言った。


「ねえ結衣。読んでくれない?」

「えっ……」

「結衣が読んでくれたら、何が書いてあるかわかるだろ」


 イチフサは、純真な目で私を見る。だけど私は、返事に困った。


「いや、それはちょっと……」


 そりゃ確かにそうすれば、イチフサだってマンガを楽しめるかもしれない。

 だけどこれを読むのは、ちょっと難しいというか、ハードルが高いというか、できない事情があるの。


 けれど、そんな私の心の内なんて知らないイチフサは、なかなか頷かないのをみて、悲しそうにする。


「だめ?」


 うん、だめ。

 イチフサには悪いけど、やるって言うわけにはいかない。そう、思っているのに。


「……わかったわよ」


 残念がるイチフサの顔を見ていると、気がつけばそんなことを言っていた。

 そして──




『どうして今まで気づかなかったんだろう本当は、もうずっと前から思っていたはずなのに。─────私、あなたが好き!』




「おぉーっ」


 私が読んだセリフに反応して、イチフサが声を上げる。


 今読んでいるのは、主人公の女の子が、ヒーローポジションの男の子に告白するシーン。私の好きなシーンで、何度もキュンキュンさせられたかわからない。

 だけど……




『自分の気持ちが分かって、凄く嬉しくて、ずっと一緒にいたいって思って……胸の奥がポカポカしたり、訳もなく涙が出そうになったり……』




 もう一度言う。私は、このシーンが好きだ。

 けどだからと言って、人前でこれを音読できるかっていうと、話は別。

 何しろ、胸キュン満載の甘〜いラブシーン。声に出してセリフを言うの、ものすごく恥ずかしいのよ!


 きっと、今私の顔は、耳まで真っ赤になっているだろう。


「それで、次は何て書いてあるの?」


 だというのに、イチフサは早く続きをとせかしてくる。どうやら内容も気に入ってくれたみたいだ。


 何でコイツの前で甘々な言葉を延々繰り返さなきゃいけないのよ。何度もそう思いながら、やっとの思いで最後のページをめくった。


「いやー面白かった。また今度持ってきて」


 全てが終わって、ニコニコ笑いながらイチフサが言う。だけど私の答えはこうだ。


「二度と持って来るかーっ」

「えぇーっ、面白かったのに」


 イチフサは残念そうにするけど、いくらそんな顔をしても、こんな恥ずかしい思いは二度とごめんだ。


「そんなに見たきゃ、誰か他にあんたが見える人を探しなさい。暇潰しの遊び相手も、その子にやってもらって!」


 ほとんど八つ当たりのように言葉をぶつける。

 それを聞いて、イチフサは勢いに圧倒されるけど、それでもこう言ってくる。


「もし結衣以外に俺を見える人間がいたといても、やっぱり結衣に頼むと思うな」

「はぁ、何よそれ!」


 そんなに私を恥ずかしがらせるのが楽しいの?

 そう思っていたその時だった。


「俺が一緒にいてほしいと思うのは、やっぱり結衣なんだ」


 突然放たれたその台詞に、言おうとしていた文句が引っ込む。

 さらに、イチフサの言葉は続く。


「他の誰でもない。俺にとって結衣は、たった一人の、特別な女の子だから」

「なっ……なっ……」


 なによそれ。急な言葉に、さっき告白シーンを音読した時と同じか、それ以上に体中が熱くなる。


(イチフサ、いったいどうしたのよ。そんなそんな事いうなんて、アンタそんなキャラじゃないでしょ。これじゃまるで……)


 そこまで考えた時、熱くなっていた体が、一気に冷めていった気がした。


「……アンタが、それってさっきのマンガのセリフでしょ」

「そうだよ」


 こいつ、あっさり言いったな。


「アホか―――――っ!」


 持てる全ての力を使って叫ぶ。至近距離でそんな大声を聞かせされ、耳を押さえるイチフサを背に、さっさと山を下りようと歩き出す。


「待ってよ結衣。ふざけて悪かったって」

「うるさい、何であんなこと言ったのよ!」

「ごめんって。だって、何だか恥ずかしかったんだよ」

「恥ずかしいって何が? 私の方がよっぽど恥ずかしいわよ」


 慌てて追いかけてくるイチフサだけど、私はそれを強引に振り払いながら再び怒鳴りつける。

 だけど、イチフサもめげなかった。


「だってあんな言葉でも借りないと、俺が結衣をどう思ってるかなんて、なかなか言えないからね」

「──なっ!?」


 踏み出していた足が、ピタリと止まる。


「俺にとって結衣は特別だよ。でもいざ言うとなると恥ずかしいから、さっきのマンガにあったセリフを借りてみました」


 イチフサがいたずらっぽく言うと、私はしばらくの間黙り込んだ。そして沈黙の後言った言葉は……


「……もう夕方だし、暗くなってきたから帰るわね」


 それだけだ。

 イチフサの言葉に対する返事なんてなく、また背を向けて歩き出す。だって、それ以上は言葉が出てこなかった。

 心臓が、今にも破裂しそうなくらいに高鳴って、とても声なんて出せなかった。


 イチフサは、そんな私の態度に落胆も憤慨もした様子は無く、にこやかに隣に駆け寄ってくる。


「麓まで送って行くよ」

「いいわよ別に」

「暗くなってきたんだろ? 一人じゃ危ないって」


 この会話の間、私はずっとイチフサから目を逸らしていた。なぜか今は、こいつの顔をまともに見る事が出来なかった。


 イチフサの言う特別が、いったいどういう意味なのかは分からない。だけど、そう言われて、とても嬉しがる自分がいた。



 特別って言うなら、イチフサだって、私には特別だ。なんたって、初めての友達なんだから。


 まだ知り合ってから、ほんの少し。だけどその間に、私の中でイチフサは、間違いなく大切なやつになっていた。


 そんなこと、恥ずかしいから絶対に言ってやらないけど。


 私とイチフサは、それからも、たまに会ってはこんなケンカやじゃれ合いを続けた。


 そして、それから三年。中学生になった私の側には、今も変わらずイチフサがいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る