第5話『弟子、お背中流すのを断られ心砕ける』
間も無く到着した宿屋の浴場は、入り口からして大きく立派な様相だった。
男湯と女湯とに分かれている感じではなく、どうやら時間帯によって切り替えているらしい。今は男女どちらの札も床に置かれ、代わりに貸し切りと書かれたものがぶら下げられている……俺以外にも、普段から貸し切るようなことがあるのか。
「お待たせしました師匠、足元お気をつけて」
「は、ハイ……」
膝を突き、抱えていた師匠にゆっくり床へと降りて頂く。
俺とそう変わらない身長の師匠に降りて頂くのにも、そう難儀することはない。こんなこともあろうかと師匠を抱きかかえるイメージトレーニングも欠かさなかった成果が出せたというものだ。
「それじゃ私はここで。どうぞごゆっくり"お楽しみ"くださいねぇ」
「は? 何を……」
「げへへ、失礼しますぅ〜〜」
俺が怪訝に上げた声に返すことなく、店主はひょこひょこと浴場を後にして行った。ここまで俺に急かされて走らされたせいか、身体の動きが少しぎごちない。
俺はともかく、師匠に対して下衆な勘違いを向けたのは許しがたいが……今日のところはその働きに免じて許そう。
それに、ヤツの言う"お楽しみ"などは論外だが、元より風呂はお供させていただくつもではあるからな。
師匠と過ごしていた一年前までは、風呂を共にしたことなど珍しくなかった。
共に暮らしていた山の家に風呂は一つしかなかったし、風呂好きの師匠は一度入られると非常に長い。
師匠のお身体が癒されているであろうことを考えながら自分の番を待つ時間はそれはそれで有意義だったが、ある時師匠は長く待つ俺を不憫に思って湯を共にすることを許してくださったのだ。
ああ、何という優しさ……その思い出だけで癒される……。
っと、いかんいかん。俺が癒されてどうする。
今この時この場において癒されるべきは師匠であり、そしてそんな師匠を癒すべき使命を帯びているのはこの俺をおいて他ならないのだ。
故に、俺は口にする。口にしなければならない。
かつても遥かなる精神力でもって紡がなければなかったそれを……1年という空白の時で更なる至難となったそれ……。
即ち、「お背中流させていただきます」の言葉を……っ!!
「し、し、し、師匠! よ、よろしければ不肖カザク、おおおおお背中流させて頂かしゃせ――」
「……ダメ、です」
「え"」
ズガンっ、と石で頭を打ちつけたような衝撃に襲われた。
今の師匠の言葉……誰よりも長く聞き続け、ここ一年焦がれ続けた俺には分かる。分かってしまう。
今のお言葉は、遠慮ではない。戸惑いでもない。明白なまでの……"拒絶"だった。
「え、あ、そう……ですか……そ、そですよね……おひとりで、ゆっくり、されたいですよね……」
「…………」
”ダメです”、”ダメです”、”ダメです”…………。
師匠の拒絶が頭の中をぐるぐる回る。
客室でも似たような言葉は向けられた。しかしアレは"風呂に入る"という"行為"に対するもの。
今の拒絶は、紛れもなく俺への拒絶だった。
"俺に"背中を流されるということへの拒絶なのだと、理解させられるほどに意識が遠のいていく。
そして、遠のく意識で俺は見た。
今の師匠のお顔に宿る感情……唇を固く結び、目を伏せている。
それはまるで、自分自身を責めているような、そんな表情――
(――――ッ!!)
そこで気づく。ようやく、考えが至る。
なぜ、師匠は俺と再会した時に走り去ろうとしたのか。
なぜ、師匠は大好きだったはずの風呂を拒んだのか。
それは……弟子である俺に、今の姿を見せたくなかったからではないのか――?
(俺は……バカだ……ッ!! 今更ようやく気付くなど……ッ!!)
遅い。遅い。あまりに遅い。なぜ気づけなかった? 俺が自分本位だったからだ。
俺が今の師匠をどう思うか、そんな独りよがりの思考にとらわれて、師匠のお気持ちに気づけなかった。
師として今の姿を見られることをどう感じるか、そんな当たり前のことに思い至ることすらしなかった。
師匠のお姿への衝撃、会えたことへの喜び、それらばかりにかまけて師匠のお気持ちに気を回さない馬鹿弟子だったからに他ならない。
ああ、自身の愚かしさに殺意すら覚える。許されるのであればこの場で自らの腹を裂いてやりたいほどに!
師匠が大切だとよく嘯く! とんだ馬鹿弟子! どうしようもない!
これでは師匠の御身に関わらず、そのお背中を流させていただく資格などあるはずがない――ッ!!
「……大変失礼しました、師匠。俺は、他の者が来ないよう見張りをさせていただきます……!!」
「あ……」
脱衣所を後にすべく、師匠に背を向ける。背後で小さな声が聞こえた気がするが、今の俺には振り向くことも許されないだろう。
俺に出来ることは、師匠に安心してご入浴していただけるよう、何人もこの浴場に近づけない鉄壁の守り人になること。
そして、そのお役目に従事にしながら自らの愚かさを深く心に刻み込むことだけだ……。
そう考えて、足を一歩踏み出す。
悔やむ思いが頭を垂れさせる。
体が前へと傾く。
だが――手だけが、元居た位置から、動かなかった。
「え――」
許されないという想いを、アマい想像が上書いて、半ば無意識に振り返っていた。
動かなかった手は、繋ぎ止められていた。
師匠が、俺へと伸ばして下さった手で。
遠慮からか手ではなく裾を掴んで。
「ま、ま、待って……くだ……ん”、んん”っ……」
今日まで長きに渡り声を発していなかったと想像してしまう、どもる声と咳払い。
そんな喉を必死に震わせて、師匠はゆっくり、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「お、お風呂……は、い、嫌……ダメ……です、けど……でも……」
掴んで頂けている手から、小さな震えが伝わってくる。
再会して初めて、視線を俺へと真っすぐ向けて下さっている。
その瞳は、変わらず深い闇に染め上がっている。
だが、俺の目に留まったのは、その闇のすぐそばの光。
師匠ご自身お気づきになられていないほど、うっすら浮かぶ目じりの涙――
「……離れるのは、もっと嫌……なの……カザク……独りに、しないで……っ」
……見たことのない師匠のお姿。
そうなった理由を分からない。そのお気持ちを全てを察することもできない。
そんな俺に、この涙を拭う資格はないのかもしれない。
だが、それでも……
「はい、師匠っ、居ます。俺、居ますから、ここに……独りになんて、しません、絶対、絶対に……っ!」
その涙を止めるために全てを捧げることは、どうか許してほしいと、そう願った。
そのために取るべき手段が、俺自身の願いと重なっていたことに幸福を感じてしまった自らの不徳を恥じながらも、それでも――だ。
「では師匠っ! 自分は目隠しでお背中を頂きますっ!! ご安心くださいっ!!」
「そ、そんな……危ないことは……」
「できますっ!! 今再び肌で覚えた師匠の気! 目も耳も感じ取りその位置を把握できますゆえっ!!」
「…………つけなくても、いいです……目隠し……」
(ん”っ!? 今、お引きになられた……ッ!?)
――――――――――
第4話読了ありがとうございます!!
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