第4話『弟子、師匠を抱えて風呂へと走る』

 「いやぁーお客さん困りますよ、昼間ったってそんな無茶を言われてもねぇ……」


 「頼むっ! 今すぐ部屋と食事を用意して浴場を貸し切りにすることぐらい、大したことじゃないだろう!?」


 「いやアンタ自分で言っててどうかしてるって思わんかい? そんなの出来る訳――」


 「金ならあるッ!! 全部やるッ!!!!」


 「――ありまぁ~すっ!! 今すぐご用意いたします!! おいそこのお前っ!! 風呂入ってる連中全員叩き出してこいっ!!!!」


 「旦那様!!?」



 冒険者ギルドの集会所前で、変わり果てた師匠……ルヲ・スオウ師匠と再会した俺――カザク・トザマは、彼女の手を引いて走った果てに、目についた宿屋へと駆けこんだ。


 他の利用者からの向けられる白い目線から師匠を庇いつつ、宿屋の店主に持ち金を叩きつければ快く部屋と風呂とを用意してくれた。結果的に、マッドコアトルの骸を換金していてよかったのかもしれない。元を辿れば師匠に見せるための試練突破の証拠が、こういう形で俺と師匠を助けるとは。


 そして宿屋の従業員が浴場の準備をしている間、空いている客室に通されて……そこで改めて、俺は師匠と向き合った。



 「師匠……」


 「…………」



 師匠は最初に再会したときのように、急にお逃げになることはなくなった

 師匠はどんな声を掛けても、言葉を返して下さることもなかった。

 ただ俯いてこちらを伺って、視線が交わることがあればすぐに逸らしてしまう。


 だが仮に……師匠が応えてくださったとしても、俺から何か尋ねることもできなかっただろう。


 改めて師匠のお姿を見れば、1年前に勇者どもに連れられて旅立つ前の……俺の知る師匠の姿とは、あまりにも違っていた。


 腰まで真っすぐ伸びていた美しい黒髪は、育ち過ぎた草木の如くボサボサと乱れ、地面に付きそうな程に伸び散らかっている。

 常に力強さと気高さを湛えていた瞳も、伏し目がちになって何かを恐れるように怯えを宿し続ける。


 そして何より、その身体。

 武闘家としては、かつての師匠も確かに細身だったろう。だが、今の師匠はその比ではない。

 細いを通り越し、脆いという言葉が第一に過るほどに、目に見えて痩せ衰えている。

 手足は痛々しいほどに細く、肌は病的なまでに白く、まるで枯れ枝のように風が吹けば容易く折れてしまいそうな――




(師匠、いったい何が……)



 数秒ごとにそう口にしたくなる衝動に駆られる。

 だが、それを訊いてしまえば……今の師匠に、問うてしまえば……。


 ……今度こそ、二度とそのお姿を見ることが叶わなくなってしまうのではないか……。


 そんな考えが頭を過ってしまって、俺もまた、押し黙る以外に何も出来なかった。



 「失礼しますお客様ぁ~? お風呂の”お掃除”が完了いたしましたぁ~」



 部屋の重苦しい空気など意に介さず、宿の店主が能天気な声と共に入室してくる。

 どうやら風呂に残っていた他の客の”掃除”が終わったらしい。


 店主の調子に乗っかかるようにして、俺も可能な限り軽い調子で師匠に声を掛けた。

 1年前まで師匠と過ごしていた時と変わらない、いつもの調子で。



 「だ、そうです師匠。さぁ参りましょ――」


 「あっ、お、お風呂は……嫌……」


 「えっ」


 「あっ、えっ、と、い、いや、じゃなくて……だ、ダメ……で……」



 対して師匠は、今まで聞いたこともないような、今にも消え入りそうな声で、辛うじて聞き取れるような言葉を発するのが精一杯といった様子で。

 全身を覆うボロ布を、ご自身のお身体を隠すようにキュっと握りこむ。


 ……俺の知る師匠は、お風呂に入るのが大好きだった。

 一日の修行を終えれば、必ずと言っていいほど真っ先に浴場へと向かう人だった。


 なのに目の前のこの人は、見るからに何日と……いや、何ヶ月と塗れ続けているであろう汚れをその身に纏いながら、「お風呂は嫌」と、そう言ったのだ。



(……このお方は師匠だ。間違いない。間違えるはずがない……だが……)



 目の前の女性が、再会を待ち望み続けた人だと……その姿を目蓋の裏に映さなかった日のない師匠だと確信するかるこそ……胸が締め付けられた。


 痩せ細った身体、怯えた瞳、あんなに好きだったお風呂も拒んで……。


 何があったのかは分からない。

 しかし、何かがなければ有り得ない。


 そんな絶対的な変化を、俺と離れていた一年の間に、師匠は、迎えてしまったのか。

 俺の知る師匠では……もう、ないというのかーー



 ーーで、あれば、何だというのか?



 「……師匠、失礼いたします!」


 「え……きゃっ!?」



 ボロ布ごと掬い上げるように、背と腰とを支えるようにして師匠のお身体を抱え上げた。



 「あ、だ、ダメ……降ろし……っ」


 「聞けません!今の師匠に必要なのはまず何よりもお風呂と食事です!そのためならばこのカザク、師匠の意にも背く覚悟です!」



 修行で背負って走った時とはまるで違う軽さ、腕に骨が直に当たるような固さ……だから何だと言わせてもらう。


 このお方はルヲ・スオウだ。俺の敬愛する師匠だ。その一点において、俺の中に迷いは一欠片として存在しない。


 そうであれば、そのお姿がどうであろうと、そのお心がいかに弱っていようと、俺の何が変わろうものか。

 俺はカザク・トザマ……ルヲ・スオウと7つの時に出会ってから、10年以上の歳月をかけてその教えを叩き込まれてきた生粋の弟子だ。

 人生の半分以上を師匠と過ごしてきた俺が、何を今更迷うことがあるというのか!



 「さぁ店主、風呂場まで案内しろ!拳聖の身を清める場だ、生半な湯であれば許しはせんぞ!!」


「えっ、は、ハハハ……当宿自慢の大浴場ですので、ご期待には応えられるかと……」



 師匠の入浴の舞台を用意する重圧に耐えかねてか笑みを引き攣らせる店主の後を、師匠を抱えたまま動き出す。


 平時であれば師匠に対してこのような無礼、俺自身であろうと許せるはずもない。

 だが、集会所前で再会し、宿に入って、部屋に向かう……その間に師匠へと向けられ続けた群衆どもの視線。

 あのような下賤極まる視線をこれ以上師匠へと向けられるのは、どうしても耐えがたかった。

 連中の目を潰すか、俺が師匠の盾となるか、効率的に後者を選ぶ他なかったのだ。



 「か、カザク……お風呂には、は、入ります、から……お、降ろし、て……やだ……っ」


 「すみません師匠、少しの間だけ、辛抱してください……!」



 師匠の言葉に背くだけで胸が捻じ切れそうほどに痛む。

 師匠のためにも、俺のためにも、1秒でも早く浴場まで向かわなければならない……そんな俺の圧を察してか、店主もかなり足早になってくれた。助かる。


 だが、師匠は何やら首を振り、そして恥ずかしそうに俯いた。



 「ち、ちが、くて……そ、その、私、きっと、絶対……に、"におって"……る、から……だから……」


 「ハッ!? す、すみません師匠! 俺、今朝1番にボノロコ村から走ってきてそのままだから……!?」


 「えっ? い、いや、えと、カザクじゃ……なくて……」


 「ええい!これ以上俺の穢れを師匠のお身体に収めるわけにはいかん! 急げ店主! それでも一等地にある宿屋の主か貴様!?」


 「あ、足の速さを買われて店主やってる訳ではないもので……」



 店主を更に急かし、とにかく風呂場へと急いだ。

 ……その間、1年ぶりに感じる師匠の温もりに、心が満たされていたのは、口が裂けても吐露できない事実である。


――――――――――


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