3 その文、恋文につき――


 名の知れた大商会の蝋印が施された封を切り、レイラはさっと中身に目を通す。

 未だ流通し始めたばかりであり、羊皮紙よりも高級品扱いされている上質紙で認められた手紙の内容を再度吟味したレイラは大きくため息を吐く。


「誰も彼も妄想たくましいというかなんというか、小説家にでもなれば良いんじゃないかしらね……」


 宮廷語と呼ばれる一般的に使われる文字とは綴りも文法も違うもので書かれ、神々の名や詩的な言い回しで迂遠に表現された中身を要約すればこうだ。


『貴女のような麗しく知的な女性が冒険者のような野蛮な職に就いているのはなにかの間違い、あるいは神を呪わざるを得ないほどの悲運によるものであり、私なら貴女にそんな苦労を掛けることのない生活を送らせることができる。だから私の妻となって欲しい』


 要約してしまえば、たったこれだけ。

 それを伝えるためだけに、決して安くはない上質紙三枚も使って書かれた恋文を読み終えたレイラは躊躇いなく破り捨てる。

 何度も破って細かく裁断された紙片を元の封筒へ戻したレイラは似たような事が書かれた手紙たちへと手を掛け、それら全てに同じ運命を辿らせる。


「まったく、返事を書くのも無料タダではないし面倒なのだけれど……まぁ、それを考慮できるなら、そもそもこんな手紙を贈ってくる訳もないわよね」


 ちり紙の詰まった封筒を並べたレイラはそれ等に施された蝋印を見渡し、こめかみを指先で軽く叩く。

 そうしてレイラが記憶から引きずり出すのはここ数年で知り得た貴族たちの家名、そしてその家系図である。

 その記憶は実際に見て記憶した物ではなく、市井で暮らす市民や商人達が交わす噂話からレイラが独自に作り上げたものだった。



 ここバルセット城塞都市はアルムグラード辺境伯が治める領地の中心地であり、辺境伯配下の領地を持たぬ下級貴族達が居を構える街でもあり、多くの貴族が暮らす地でもある。


 そんな下級貴族達の役目は蝸牛の歩みではあれど、日々の開拓で少しずつ拡がっているアルムグラード辺境伯領を治めること。


 元来一つの領地に一門衆以外の複数の貴族家が関わるなどそうそうあることではない。

 しかし元々有していた領地を含めば辺境伯領はあまりにも広大であり、アルブドル大陸開拓の要所でもあることからアルムグラード辺境伯家は多忙を極め、日々問題が噴出する開拓地の管理までとなると到底一つの家で治めきれるものではなかった。


 そのためアルムグラード辺境伯は各地にある程度の裁量を持たせた下級貴族を代官や紋章官として派遣し、更に一代限りで名誉称号に近い準男爵や騎士位――――男爵以上は国王から叙勲されるが、騎士位は子爵以上、準男爵なら伯爵以上の貴族なら誰でも叙勲できるからだ――――の者達を多く抱え込んで領地経営に努めている。

 故に末端の貴族家を含めれば両手足を使っても足りないほどおり、近隣の領地や有力な商会へ降家した傍流の者も含めれば数えるのも馬鹿らしくなる。



 しかし末端傍流といえども貴族は貴族。

 権威と権力によって民衆を統治しているこの階級社会において、彼等彼女等の機嫌を損ねれば無位無冠の平民――――特に根無し草扱いされる冒険者にとっては抗しきれない災害に等しい。

 だから貴族と縁戚関係のある商会には、例え手紙の返信をするだけでも気を使わねばならない。


 今回送られてきた恋文の送り主と家系図を照らし合わせ、貴族と血縁関係にあったのは二通。

 籐籠から羽ペンとインク壺を取り出し――――万年筆のようなものもあるが一本銀貨数枚数バーツは必須なためレイラは持っていない――――ついでに便箋も広げてペンをインク壺に放り込む。




 今の生活は自身の意志と決断で送っていること。

 冒険者として居ることに不満はないこと。

 当面は誰かと結ばれるつもりがないこと。



 それらを定型文や神々への賛辞を織り交ぜながら迂遠に表現し、貴族的な言い回しで失礼に当たらないよう心掛けつつ、平民のくせに口幅ったいと思われない程度には俗物的な文面を考える。


 レイラはインクを吸い上げた羽ペンを紙面の上で滑らせる。

 飾り文字のように普段使いしている文字とは違い、一文字一文字がやや複雑な文字を便箋数枚に渡って書く作業は相当な集中を要するものであり、全てを書き上げるのには相応の時間がかかる。

 それを二通、しかも同じ文面にならないようにするとなればなおさらだ。


「あらエッタ、そんな所で突っ立ってどうかしたの?」

「あ、いえ、黒茶が出来たのでお持ちしたんですけど、集中してたので声を掛けていいのかわからなくて……その、今、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ、丁度書き終わったところだから。しかしそんなに時間が経ってたのね、やっぱり偉い人相手に手紙を書くのは疲れるわ」


 書き上げた手紙に誤りがないか読み返そうと顔を上げて初めてレイラはすぐ傍に立つ蜘蛛人の少女に気付き、その手には盆に載せられたカップがあるのにも目が向いた。

 レイラはさっさと手紙を始末すべく、軽く文面に目を通して香の薫りを染み込ませた吸い取り砂でインクが滲まないように処置をする。

 そして蝋封は後ででも良いかと、不精を起こして封筒へ仕舞う。

 そして用済みとなった文具を片付ければ、漸く黒茶で満たされたカップが卓に置かれた。


 レイラが凝ったように感じる首を回しながら白い湯気の登るカップに口をつければ、重厚なコクとほろ苦さが舌の上を撫で、シナモンのような独特な甘い薫りと紅茶に似た僅かな風味が鼻へと抜けていく。

 前世で愛飲していたマンデリンに似ていながら、何処か違う風味の黒茶を堪能していると、人知れず溜め息がこぼれ出る。


「ふぅ……この黒茶を飲むと落ち着くわ。ありがとね、エッタ」

「いえ、これが私の仕事ですから! あ、あとこちらも使われると思って持ってきました!!」


 そう言ってマリエッタが卓の上に置いたのは一つの木箱。

 両の手を広げてやっと収まるサイズのそれにレイラが手を伸ばそうとするよりも早く、先んじてマリエッタによって蓋が開けられる。


 木箱の中には煙管と陶磁器の小さな壺が一つずつ。

 この世界にも煙草という嗜好品は存在した。

 ただし前世と違ってナス科タバコ属の葉を主としてニコチンを摂取するものではなく、香草や薬草、木の実などの果汁を染み込ませた葉などをブレンドしたものが使われている。

 当然、嗜好品である以上はこの煙草を楽しんでいるのは貴種や大店の商人たちがほとんどであったが、市井で暮らす者の中にも愛用している者はいた。


 なにせ今世の煙草は薬草を使用しているため魔法薬ほどの効果はないものの、使用する物によっては微力ながら体調を整え、消費した魔力を補充することも叶うのだ。

 故に冒険者や仕事中に魔力を使う者にも愛好者は居る。


 ただ市井では貴種のように薬草などを手間暇かけて煙草用に仕立てた葉を使うのではなく、専ら香草などの成分を抽出した薬液を煙石――――珪石に似た吸水性のある石だ――――に染み込ませ、それに火をつけて吸うのが主流となっている。


 自分好みに調整した煙石――魔力回復と体力賦活の効能があり、キイチゴの酸味と紅茶の風味を持たせたものだ――を壺の中から取り出し、外蓋と網目状の内蓋のある独特な形状の煙管の火皿に落とせば、精霊魔法で作り出した火種が空かさず差し出された。


「今日は気が利くわね。なにか良いことでもあったのかしら?」

「えへへ、分かりますか? 実はこの間、ずっと寝たきりだったお母さんが歩けるようになったんです!!」


 紫煙を咥内で燻らせれば喉の調子が整う不思議な感覚。

 吸い始めて一年は経つというのに未だに違和感を拭いきれないでいるレイラが問いかければ、花が咲いたような明るさに溢れる笑顔が返された。


 もう一口紫煙を口に含み、転がしながらレイラが見た限りマリエッタの表情や態度には嘘や誇張は見られず、本当に母親の快復を心の底から喜んでいるのが見て取れる。


 しかしその喜びを一人で噛み締めているのではなく、レイラへ感謝しているような指向性のある態度になる理由が分からなかった。


「あら、それは目出度いことね。なら何かお祝いの品でも用意したほうが良いかしら?」

「い、いえ! そんな!!わざわざレイラさんに祝ってもらうようなことでもないですよ!!」

「あらそう? まぁ、貴女がそういうのなら無理強いするつもりはないのだけど、本当にいらないの?」

「はい! レイラさんには今までも一杯貰ってますからそれだけで十分です!!」


 煙管を置き、代わりに黒茶を口にしながら伺ったマリエッタの反応は本気の遠慮。

 祝いの品を期待しての反応でもないとすると、なぜこうもレイラに尽くそうとしているのか理解できないとばかりに肩を竦めたレイラは黒茶を更に啜る。

 舌に馴染む黒茶を転がしながら自分に不都合がなければ些細な問題だと割り切り、黒茶の御代わりを求めつつマリエッタに今日の予定を告げる。


「今日は幾つか回るつもりだから、私のいない間はいつも通り汚れ物の洗濯をお願いしても良いかしら? それと後でメモを書いておくから、幾つか魔法薬とかも買い足して置いて頂戴。こっちは別に急ぎじゃないから、手が空いた時にでも構わないわ」

「分かりました! それといつも通り武具の手入れもしといた方がいいですか?」

「防具の方はお願い、でも手斧はやらなくていいわ。後で職人の所に持っていくから」

「分かりました!!」


 黒茶の御代わりを注いだマリエッタは煙管盆と火種を灯す魔道具を置き、元気の良い返事と共に厨房の奥へと身を翻して行く。

 そして今度は入れ替わるように一枚の皿を手にしたハロルドがフロアに現れるのだった。

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