4 その少女、丁稚につき――

 

 レイラが紫煙が僅かに立ち昇る煙管の蓋を閉じて火を消す――――煙石は火が消えても何度か使い回しできるのだ――――のと、ハロルドが卓の傍に立つのはほぼ同時だった。


「本人から聞いたけど、エッタのお母様が快復したんですってね」

「一週間ぐらい前だったかな? その時からお前さんが帰ってきたら恩を返すんだって張り切ってたぞ」

「私に恩? あの娘に何かしてあげた覚えはないのだけど……」

「給金で薬を買えるようになって、それで母親が元気になったからお前さんは恩人なんだとさ」

「そうなの? ふむ、ならやっぱり何か祝いの品でもあげた方が良いのかしら」


 そんな会話を挟んで卓に置かれたのは、上下に切られて炙られた黒パンに野菜と燻製肉を挟んだ簡素な朝食。

 見た目の割に手の込んでいそうな一皿からは麦の焼ける香ばしい香り、そして僅かに塩気の乗った乳の臭いがすることから贅沢に乾酪でも使っているのだろう。


「お前さんは少し、エッタに甘いんじゃないか?」

「そうかしら? 言われるほど甘くしているつもりはないのだけど……」


 やや訝し気な様子のハロルドへチラりと視線を送り、食欲をそそる匂いに誘われるまま黒パンのバケットに口を着ける。

 しっかりと火の通された黒パンに歯を立てれば、サクッという気持ち良い音と共に口内に香ばしさが溢れ、溶けた牛酪を焼く前に沁み込ませてあったのか、中身は表面に反してしっとりしていて柔らかい。


 鮮度の良い野菜たちもパリパリと子気味良い音を立て、溶ろけた乾酪と燻製肉の塩気が良い具合に味付けとなっている。

 前世の身体であれば朝食としてやや重く思っていただろうが、冒険者となってからというもの、これぐらいのものであればレイラはぺろりと平らげられるようになっていた。

 半分ほど瞬く間に平らげたレイラの鼓膜を揺らすハロルドの大きなため息。


「衣食を整えてやれば十分なのに、普通は丁稚に金をやったり祝いの品なんかをそうホイホイやったりしないもんだ。それも縁故ならともかく、貧民区で拾ってきた子供となれば猶更だ」


 ハロルドが言ったように、マリエッタは一年ほど前にレイラが貧民区から丁稚として拾ってきた子供だった。



 ここバルセット城塞都市には上下水道が敷かれ、故郷の村と比べて精霊魔法を扱えないレイラ一人でも暮らすのに支障はない。

 だが何処まで行ってもこの世界の生活は精霊魔法があることが基軸となっている。

 故に精霊魔法を扱えなければ、どうしても日々の中に不便さを思うことが多々あった。


 例えば服の洗濯がある。

 街へ張り巡らされた上水道は各家に配管が通されているわけではなく、各家々に設けられた共用スペース――〝羊の踊る丘亭〟で言えば裏にある中庭がそれだ――にバルブのような栓の設けられた水管が幾つか設置され、複数ある家が融通し合いながら使っているのだ。


 長時間占有することが出来ず、洗濯をする際には水を桶に貯め、他の利用者の邪魔にならない所へ運ばなければならない。

 少量の洗濯なら大した労はないのだが、冒険者として長旅に出れば汚れ物の量はどうしても多くなる。


 その上、前世のように洗濯機のような便利な道具があるわけもなく、手洗いで洗濯するというのは多大な労力と時間を要することになる。

 ただでさえ時間の掛かる行為に、レイラは徒人と比べて工程を付け加えなければならないのだから、無駄の極みと言ってもいいだろう。

 一つ一つは小さな無駄だが、それが積み重なれば馬鹿にならない時間を浪費していることになる。


 そんな非効率極まる生活に対してどうしたものかと考えながら冒険稼業に勤しんでいた折、最早馴染みとなった〝夜鷹の爪〟からの帰り道で物乞いをしている子供を見て思いついたのだ。





 何も自分一人でする必要はないのだ、と。





 最初は顔見知りとなった神殿が営んでいる孤児院から人を見繕おうかとも考えたが、何かがあった際に縁故のある人物では面倒なことになると判断して貧民区の子供を選ぶことにした。

 それに貧民区の子供であれば、縁故で来てもらう丁稚のように人付き合いに煩わされることもなく、何より安く済む。


 屍術事件の報酬や真っ当な依頼で得た報酬、野盗などを始末した報奨金などで懐には随分と余裕はあったが、明日の見えない冒険者稼業に身を置く以上は固定出費は少ない方が良いのだ。

 とはいえただの思い付きだったせいか、万事が上手くいったわけではなかった。


「別に小遣い程度のお金しか渡していないし、言い方は悪いけれど、そんな端金で真面目に働いてくれるようになら安いものでしょう?」

「前の二人みたいになるよりはマシ、か……」

「そういうこと」


 貧民区の子供は普通に暮らす子供たちと比べて躾がなされておらず、教養のない者もまた多い。

 元とより喰うに困った者たちが何も考えずにこさえた子供であるだけに生きるのに必死で、躾などなされる筈もないのだ。

 しかしそのせいで、少し考えれば自身の首を締めると分かるようなことも眼前の欲に目が眩み、子供たちは問題を起こすことが間々あった。


 マリエッタを拾う前、丁稚として拾った子供は二人いた。


 しかし一人目の人種の少女はお使いとして渡した金の釣銭を掠め、挙句〝羊の踊る丘亭〟の売り上げすら盗もうとし、二人目に拾った狼人の少年はレイラが洗っておくようにと渡した洗濯物でとした所を見つかっていた。


 周囲は甘いと言って衛兵に突き出すようにとレイラへ勧めてきたが、その度にレイラは子供を街の外へと叩きだしていた。

 実際衛兵の元へ突き出し――丁稚として拾う前に犯していた余罪を告発したという形である――、刑を受けさせるより甘い処罰に思われるが、レイラからしてみればやや違う。


 なにせバルセットは出入りする際には税を取られるのだ。


 そんな中、ろくに金子も持たない子供を着の身着のまま外へ放り出せば中へ戻ることはできる筈もない。

 その上、街の外で金を稼ぐ術も生きる方法も知らない子供にとってレイラの行為は死刑に等しい。


 子供たちには事前に悪事を働けばどうなるかは説いていたのだが、それでも子供たちは悪事を行った。

 そして数日後には骸姿となって自身の愚かな行いとレイラの冷酷さを身をもって知った事だろう。




 その点、マリエッタは教養はなくとも利口だった。




 自分がどういった立場にあり、どういう扱いを受け、どうすれば自身の評価が上がり、あるいは下がるのかを理解していた。


「エッタは何もなくても真面目に働いてくれてるし、頭の回転も悪くない。そんなエッタが真っ当に働くとご褒美があると分かればもっと真面目に働いてくれるでしょ?」

「〝餌付ければ|丸猪牛(ファンゴール)も荷車を牽く〟、か」

「そう言うこと」

「まぁ、お前さんがそれでいいなら俺がとやかく言う事でもないか……」

「まぁ、手癖の悪い貧民区の子を信用できないって皆の気持ちも分かってるつもりよ。だから前の子たちと同じように何かあった言ってね、始末は私がつけるから」

「お前さんがそこまで言うなら、俺からも他の連中に伝えとくよ」

「エッタのあの様子なら大丈夫だと思うけど、お願い」


 未だ納得しかねている様子のハロルドを尻目に残りの朝食も平らげ、やや冷めた黒茶を飲み干したレイラは手早く卓の上を片づける。

 そして今日の予定を組み立てながら煙管を口に咥えたレイラはふと気が付いた。

 普段ならばハロルドと共に開店準備に勤しんでいるエレナの姿が見えないことに。


「そう言えば叔母さまは? 昨日、帰って来た時は居たと思うのだけど?」

「ん? あぁ、エレナなら今日は会合のために朝一で出掛けたよ。いつも通りなら昼頃には帰ってくるんじゃないか?」

「そう。今日は少し出掛けようと思っていたのだけど、叔母さまが帰ってくるまでは店番してた方が良いわよね……」


 現在〝羊の踊る丘亭〟にやってくる客たちの勘定を行っているのは店主であるエレナと、その親族であるレイラしかいない。

 その為、エレナが店を空けているのならば、帰ってくるまではレイラが店に残らねばならない。

 早急に片づけねばならない用事はないが、出来れば早めに済ませておきたいものが幾つかあるのだが。

 そう考えながら脳裏で組み立てた予定を変更しようとしていると、ハロルドの優し気な声がそれを否定する。


「ハハハ、そこら辺はお前さんは気にしなくていいんじゃないか。エレナもそこら辺は理解してるだろうし、仮に店を開けるころになって帰ってこなくても、店を開けるのが遅れても少しぐらいなら大丈夫だろ。お前さんが来る前はこういう事は間々あったしな」

「ふふ、そう? ならお言葉に甘えて出掛けさせてもらおうかしら」

「おう。今日ぐらいは好きに過ごすといいさ。その代わり、明日からはしっかり仕事をして貰うからな」


 ハロルドの言葉を借りて予定を組み立て直したレイラは、使い終わった食器や手紙をいれていた籠を持って立ち上がる。

 足の悪いハロルドを置いて先に厨房へ入ったレイラは皿を水の張られた桶の中に放り込み、丁度二階からレイラの託け通りに汚れ物の入った籐籠を抱えておりてくるマリエッタを見てふと思いつく。


「エッタ」

「はい! え!? あっ!!」


 そして手にしていた籠を所定の位置に戻し、傍に置いてある財布代わりの布袋から一枚の銅貨を取り出したレイラは手の中にあるそれを指で弾く。

 対して両手を塞がれ、真面に掴むことが出来ない状態であたふたとしながらも器用に籠を使って宙を舞う硬貨を受け止めるマリエッタ。

 そして籠の中に軟着陸した硬貨を見て、ポカンとした表情を浮かべるのだった。


「レイラさん、あの、これって」

「お母様の快復祝いよ。何か物を、とも考えたのだけどお金の方が使い勝手が良いでしょう?」

「え、でも、これって大銅貨じゃ……」

「そうよ。まぁ、快復祝いには少し少ないかも知れないけれど、今はそれで我慢しておいて頂戴。丁稚にあげるにはそれでも多いんですって。だけど、これからも真面目に働いてくれればまた〝良いこと〟があるかもね」


 厨房の入り口で苦笑いを浮かべているハロルドをチラりと確認してから、未だに事態を飲み込めていない様子のマリエッタへ流し目を送り、その頭を優しく撫でつける。


「じゃあ私は出掛けてくるから、さっき伝えたことはやっておいてね。あと手が空いた時で良いから、寝具とかも冬物に変えておいてもらっていいかしら?」

「あ、はい!! 私、頑張ります!!」

「ふふ、よろしくね」


 元気よく返事をするマリエッタに微笑み返し、外出する準備の為に二階へ上がっていく。

 レイラが渡した大銅貨――今回渡したのは額面の半分の価値もないラスル大銅貨だ――は前世で言えば、凡そ一万円程度の価値があるかどうかと言った程度のもの。

 この世界で快気祝いとして贈るには少なく、しかし貧民区ではその程度の金銭を得るのも容易ではない。

 財貨に余裕のあるレイラからしてみれば端金だが、それで人に好印象を与えられるのであれば本当に安上がりだ。

 しかも付加効果としてマリエッタが更に仕事へ精を出すともなれば猶のこと。


「……ホント、良い拾い物をしたわね」


 人気のない階段を登りながらほくそ笑み、レイラは出掛ける準備に取り掛かるのだった。

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