閑話 レイラの憂鬱②
珈琲を手に入れると決めたレイラがまずしたのは聞き込みだった。
ここバルセットを有するアルブドル大陸において、よく飲まれているのは〝香茶〟と呼ばれているハーブティーに近いもの。乾燥させた薬草や香草などの葉や花を煮出して淹れられ、基本的には珈琲のように酸味や苦味等はない代物だ。
故にレイラが最初に疑ったのは珈琲自体はあれど市井で飲まれていないか、高価なため一部の者ぐらいしか飲んでいない可能性だ。
幸いにしてレイラが暮らしている場所は飲食物を提供している〝羊の踊る丘亭〟。店主たるエレナは勿論、その他に雇っている女給や料理人を含め料理や食材関係に詳しい者は何人もいる。
「誰も知らない、か……となると代用珈琲のような何かを探したほうが良いかしらね」
そうして聞き込みをしたレイラだったが、結果は空振り。
従業員だけでなく客としてやってきていた冒険者達にまで聞き込み範囲を拡大させたレイラだったが、誰一人として珈琲に近しい物を知る人物はいなかった。
そもそも珈琲の特徴を説明した際に苦味や酸味のある飲み物と言った時点で顔を顰められ、色がほぼ黒に見える赤茶色だと説明するとそんな奇特な物を飲む奴がいるのかと正気を疑われた。
更に聞き込み対象をちょっとした雑用で縁のできた商人にまで広げてみたものの、異口同音の答えが返ってくるだけに終わるのだった。
食材に精通した人物、そして商人すら覚えがないとなるとバルセットに珈琲は存在しないとみて間違いなかった。
未だ好事家にほんの僅かに流通している可能性もなくはないが、そこまで行ってしまうと最早レイラでは入手不可能だ。
そういった相手を対象に商いをしている商人は誰かしらの紹介がなくば縁を結ぶ事ができず、今のレイラは駆け出しの冒険者で繋がりを得るための伝も権威も未だに持ち合わせていないのだから。
共に依頼を受けていたガランドとダッカは共に名の知れた冒険者であり、特に
そのため詳細を知らない市井の間ではあの事件を解決したのはガランドとダッカの二人だと思われており、レイラはたまたまその場に居合わせた駆け出しの冒険者と言う扱いだった。
仮にレイラの功績が知られていたとて必要なのは権威であって武勇ではない。その武勇でもって商人の元へ向かったところで門前払いを食らってそれで終わりだ。
「……はぁ、珈琲一つ飲むのにこんなに苦労するなんて思ってもいなかったわ」
仕方なく珈琲そのものから代用珈琲や珈琲に近しい味の物を探し出すと言う目標へ切り替えたレイラ。しかし対象の範囲を広げてから一月近く経っても手掛かり一つ見つけられずにいた。
そして捜索の傍らで自ら代用珈琲の制作に手を出したものの、及第点には遠く及ばないものしかできずにいた。
近場にある雑木林で拾った木の実や蒲公英に似た植物を焙煎してみたものの珈琲とは程遠く、もうそろそろ見切りをつけるべきかと考慮し始めた。
そんな時だった。
芳しい成果もなく、気晴らしに立ち寄った陽光神を祀る聖堂で説法をなんともなしに聞いていたレイラ。
そこへ説法を終えたばかりのバルディーク司祭――――あの事件の際、武僧にならないかと熱心に勧誘してきた司祭だ――――が人好きのする笑みと共にやってきた。
「何か悩み事ですかな?」
「……そんなに分かりやすかったですか?」
「伊達に長年司祭として人々と接しておりませんからな。それに悩みを抱えてる方というのは雰囲気で分かるものですよ」
バルセットにある神殿勢力の中でも過激派筆頭とも言われる人物とは思えないほど柔和な笑みに促され、レイラは諦めたようなため息を吐いてから事情を語り出す。
かつて暮らしていた開拓村で一人の旅人が持ち込んだ飲み物を探しているのだ、と。
それは黒に近い茶色をした独特な飲み物。
深煎りした豆のような香ばしい香り、僅かな酸味とコクのある苦味があり、自身の若い舌では美味しいとは思えないものだった。
だが同じ物を口にしながら顔を歪める自身の姿を見た父は「コレが大人の味だ」と朗らかに微笑んでいたのが印象に残っている。
そして自身もかつての父と同じ冒険者となり、生活も落ち着くと不意にその味を再び飲みたくなったのだ。
然れどもその飲み物がどういった名の物なのかも、どうやって手に入れた物なのかも分からない。手掛かりとなる旅人の来歴も今や記憶の海に沈んで思い出せずにいる。
「うーむ、黒い飲み物ですか……」
そんな事を自嘲気味の笑みと共に伝えて俯けば、バルディーク司祭の真剣みを孕んだ唸る声が漏れ聞こえる。
勿論、レイラが口にしたことはまるっきりの嘘だ。
そんな体験も感想も思い出すらもない。しかし前世がある事を告げずに誰一人として知らない物を探すのには、探すにたる動機とそれを知り得た状況が必須なのだ。
「……確かアルトゥル子爵領の一部の地域で苦く、黒い色をした薬湯が飲まれていると聞いたことがありますな」
「本当ですか?!」
駄目で元々、大した期待もせずに考え込むバルディーク司祭の様子を伺っていると間をおいてから思わぬ反応が帰ってきた。
期待していなかっただけに思わず柄にもない反応をしてから恥ずかしげに俯くレイラにバルディーク司祭は微笑ましげにしながら詳細を語り出す。
曰く、その薬湯はアルトゥル子爵領に自生する樹木から取れる〝ティルスの実〟が鮮やかな赤色に染まる前に摘んだ物を煎り、粉状に砕いてから煮出した薬湯なのだという。
効能は眠気覚ましと僅かばかり夜目が効くようになること。
〝ティルスの実〟自体は市場にも保存食として出回っている木の実の一種だが、色づく前の早摘みの物は見かけたことがない。
そもそも〝ティルスの実〟は色づいてからでなければ甘みも酸味もない木の実で需要がないため、その薬湯は自生地近辺、しかも一部地域でしか飲まれていないのだとか。
「……しかしアルトゥル子爵領ですか」
アルトゥル子爵家と言えばバルセットを有する辺境伯領の西隣に領地を持つ新興貴族家だ。
領都までは獣車で二日、徒歩で向かえば三日から四日ほどでたどり着くことができる比較的近い位置にある。
ただしアルトゥル子爵領はバルセットから北西に存在する〝
現状、エレナからは日帰りできる距離の依頼しか受けさせてもらえていないレイラが彼女から長旅の許可が取れるとは思えず、また金銭的な問題もあった。
この時代、人々の流動はあまりない。
道中の危険や移動手段が限られているのは勿論だが、長距離の移動となると非常に金が掛かるのだ。
と言うのも機械化が進んでいない現在において、食料を供給するため一次産業を支える農夫などが他職種へ移らないように規制されており、余程のコネか幸運にでも恵まれなければその日の糧を得るのすら困難だ。
それこそ傭兵や冒険者のような荒事か、常に死が隣で手ぐすね引いて待ってる開拓民にでもならない限りは。
そんな訳で市井の人間が郷里から出るメリットは殆どない。
故に街道沿いに点在する旅籠屋などの需要は少なく、少ない需要で利益を得ようとすれば当然の如く価格は跳ね上がる。
それこそ素泊まりで一泊するだけでも銀貨が四、五枚は必要になる。
よって多くの旅人は旅費を減らすために野営などをするのだが、野営をするためには当然寝具などの道具を持ち運ばねばならず、道中の食料も欠かすことはできない。
更に身を守るための武具を持てば荷物は嵩む。
けれども人一人が持ち運べる荷物の量はたかが知れており、道のりの長い旅をしようと思えば複数人で固まって移動した方が効率が良くなる。
ただそう簡単に同じ目的地を持った旅人が集まるはずもなく、旅人は決まった順路を持つ隊商に身を寄せるのだ。
しかしこれで一件落着、とならないのが世の常だ。
悲しいかな、隊商に組み込んで貰うのにも金がいるのだ。
隊商であるため隊商の発起人は商人であり、彼等は金を稼ぐために危険を犯していることを思えば参加するのに金を求められるのは必定だろう。
ただし、これには彼等なりにも事情があった。
参加金は隊商主に対する担保であり、身元保証金でもあるのだ。
もし参加者に不届き物がいれば隊商は確実に被害を被る。その際に少しでも損害を補填できるようにするためでの金である。
また一定額を支払える程度には懐に余裕があるので隊商内で問題を――盗みや喧嘩、野盗の手引きなど――起こしませんよと隊商主に保証する意味合いもあるのだ。
だから旅籠などを使う旅路よりは安いが、それでも隊商に身を寄せようと思えば諸々込みで二、三ヶ月分の月収相当の大金が財布より飛んでいく。
レイラも地下水路事件――屍術師が起こした先日の騒動はそう呼ばれている――のお陰で長期の旅が可能なだけの金はある。
だが可能なのと実際にやれるかは別の話だ。
確かに今のレイラなら旅に出れるだけの貯蓄はあるが、一度出ればその大半を食い尽くす。
未だ駆け出しで健全とは言いにくい収入しかないレイラにとって、貯金を食い潰す旅に出るのは現実的ではない。
それにそれほどまでのリスクと労力を掛けてまで珈琲を飲みたいかと考えたとき、レイラは首を横に振らざるを得なかった。
折角見えた光明が遠退いていくさまに、レイラは大きな溜め息を吐き出すしかなかった。
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