閑話 レイラの憂鬱③

 

 自身の口から溢れ出た吐息が思いの外大きく、それに後になってから気付いたレイラは力の抜けた苦笑を浮かべた。

 自身が思っていた以上に珈琲が飲みたかったらしい、と。


 前世の身体と比べ、今世の身体は刺激について感受性が豊かだった。いや、前世の身体が非常に鈍感だったというべきか。

 ともあれあらゆる刺激を鮮明に感じるようになったということは、当然味覚についても鋭敏になっている。

 そのことをレイラが自覚したのはつい最近のことだった。


 珈琲を求めてから様々なものを口にするようになり、はたと気づいたのだ。


 自分の舌はこんなに違いの分かるものだったか、と。


 かつての自分であれば僅かな苦味と酸味、それと微かに感じる香りを覚え、見た目で物を識別して好みに合うものを見つけていたが、今では朧げとなりつつある前世の記憶と符合するかを舌で吟味し、少しでも近づけようと努力していた。


 診断を受けたわけでもなく、また当のレイラ自身が自覚していなかったため真実は判然としないが、おそらく前世の身体は先天的な感覚障害を患っていたのだろう。

 替わってその精神性を除けば、今世のレイラは誰がどう見ても健康優良児だ。

 本物の少女レイラちゃんの精神を取り込み、身体の支配権をすべて手中に収めたレイラがその変化を享受できたとしてもなんらおかしなことはない。


 今までそれに気付けなかったのは〝夢〝の実現という何にも変えがたい欲求があったためだったが、今では恒常的に欲求を満たす目処が立ったことで他の生理的欲求が我欲への飢餓感を上回ったのだろう。

 さらにそれを後押しするように、豊かになった味覚が珈琲を求める心を本人が知らぬ間に強くさせていた。それこそ、レイラの制御から外れた感情が表に出てしまうほどに。


「……レイラ殿、少々お時間を頂けますかな?」


 期待に輝く瞳、落胆の溜め息、そして即座に納得したような表情を浮かべたレイラを見てバルディークは何を思ったのか、それだけ言い残して聖堂の奥へと歩いていってしまった。

 そんなバルディーク司祭の背をレイラは首をかしげながら見送り、言われるがまま待つことしばし。

 十分もしない内に戻ってきたバルディークの手には、何やら封筒のようなものが握られていた。


「東区の木炭通りを南へ抜けた先に〝宿木屋〝という比較的珍しい物を扱っている薬屋があるのですが、そこの薬師がアルトゥル子爵領の出身でしてな。もしかしたら彼女のところであれば、件の薬湯の材料が手に入るやもしれません。少々偏屈な所のある薬師ですが、それを見せれば協力を取り付けられるでしょう」


 お力になれず申し訳ないと続く言葉と共に、バルディーク司祭は手に持っていた封筒を渡してくる。恐縮しながら礼を言い、受け取った封筒を確かめたレイラは思わず目を見開いた。


 封筒自体は何ら変哲のない一般的なもの。

 問題は封筒の口――――市井であれば簡単に差し込むだけのそこには、陽光神の聖印と同じ紋様の封蝋が施されていたのだ。

 それが意味することは封の中身を陽光神殿が保証するというものであり、前後の会話から封筒の中身が紹介状であることも簡単に想像が付いた。

 だがそれだけに、封蝋と紹介状の持つ意味を知るレイラは驚かざるを得なかった。


 前世のように明確に身分を保証する制度が確立していないため、個々人の間で身元を保証し合うのはよくあることであり、紹介状もその手立ての一つだ。

 だから紹介状というもの自体は差して珍しい物ではない。


 しかし問題は、その紹介状を書いた人物だ。

 陽光神をはじめ、各神々を祀る神殿とその教徒たちは政から距離をおいている。

 国境を越えて各地に神殿や聖堂があること、そもそも神々の意志が国家の方針と違えることが間々あるなど理由は様々だが、とにかく神殿勢力は政から距離をとっている。



 しかれどもそれは権威がないこととは直結しない。

 バルセットを含めたクゥイスラ王国では規模の大きな街に聖堂を構え、そこを預かる司祭は等しく貴族位と同等の扱いを受ける。下手な扱いをして信徒に背を向かれては統治がままならないからだ。

 細かい扱いまでは今のレイラの知るところではないが、最も信徒の多い陽光神殿の司祭ともなれば、騎士位の者よりも丁重に扱われるのは間違いないだろう。


 そんな人物のしたためた紹介状ともなれば効果は絶大だ。

 例えばバルディークの紹介状一枚あれば、バルセットの市民権を得るのに必要な市民五人と自身の所属する職人組合の推薦状、補償金の金貨三枚が不要となるだろう。

 またこの紹介状を持って他領の都市に向かえば、入市に必要な身体検査などは一切免除、もしかしたら都市の貴重な外貨獲得手段でもある入出市税の免除すらもあり得る。


 だが絶大な効果と比例するように、紹介状を書いた人物が負う責任も大きくなる。


 もし紹介状に書かれた人物が罪を犯せば、書いた人物にも多少とは言え累が及ぶ。また神殿関係者が政から距離を置いているとはいっても、権力闘争と無縁ではない。

 神々は「人はそう在るものであり、人の在り方を否定することは人を神の家畜と為すことである」として神殿内の権力闘争も認めているのだ。

 レイラがなにか失態を犯せば、紹介状を書いたバルディークはこれ幸いと今の地位から引きずり降ろさんとする者たちに狙われることとなろう。

 とは言え、大都市の司祭であると同時に武僧としても上位に位置する権中僧正ごんのちゅうじょうそうの位――ややこしい事に各神殿と武僧をまとめる武僧会は別組織であり、位階や扱いが異なるのだ――となって十年以上その地位にある人物であり、そう簡単に今の地位を失うとはレイラには思えなかったが。





 閑話休題。




 貴種や司祭のように大きな権威や権力を持つ者には相応の責任が伴い、その重責を知るが故に彼らは自身の力の使い方に注意を払う。特に悪用しやすく、証拠としても残る証文や紹介状などは軽々に書きはしない。

 だというのにレイラの手にはバルディーク司祭直筆の――――それも陽光神殿の封蝋まで施された紹介状が収まっている。少しでも事情に通じるものであればその軽率さに眉を顰め、求める者からすれば喉から手が出るほど欲しいものが。

 それが今は自身の手の内にあるのだと思えばレイラが驚くのも無理はなかった。なにせ、レイラとバルディークの付き合いは両手で数えられる月日しか経っていないのだから。


「……あの、これ、いいんですか?」

「ははは。なに、私の名など大したことのないもの。逆に私の名で迷える魂が新たな道筋を見つけられるのなら本望と言うものです」


 柔和な微笑みと共に事も無げに告げられた言葉にレイラは引きつった笑みを浮かべた。

 大した者の名前でないから驚いてるんだよと言う悪態を内心で吐き捨て、深々と頭を下げて礼節の作法に則った謝意の言葉を述べ上げる。

 しかしその言葉はすぐにバルディークによって遮られた。


「元よりその紹介状はお力になれなかったことのお詫びのようなもの。ですから気にされなくても大丈夫ですよ。まぁ、それでも気が咎めるというのなら、そうですね、今後我々が困ったときに冒険者として手を貸していただくというのはどうでしょう?」

「それでいいのなら私の方は構わないのですが……」


 青田買い、という事なのだろう。

 出会った当初は武僧にならないかという勧誘が多かったが、断り続けたせいなのか、ここ最近は顔を合わせても勧誘されることはなかった。

 だが武僧への勧誘を諦める代わりに、将来的に有力な協力者となりえそうな者との繋がりを強める形に方針を変えたらしい。

 直截な言葉であれば断るのも容易であったが、今回のように搦め手で接点を作られてしまうと断り切れず、そうして依頼を受けていけばどんどんと深い付き合いになって行ってしまうだろう。


 にっこりとした柔和な笑みでいながら有無を言わせないバルディークの圧に押され、返し損ねた紹介状を渋々懐に仕舞いながら厄介な人物に目を付けられたものだとレイラは思うのだった。


 その後、軽く雑談を挟んでから紹介状を手に件の薬屋に向かったレイラ。


 幸いなことに、需要が少ないせいか量は多くないものの件の薬屋に目的の物はあった。

 そしてバルディークの紹介状の御蔭か、かなり不愛想ではあるものの薬師の老婆は特に渋る様子もなく、早摘みの〝ティルスの実〟を売ってくれたのだ。

 薬師の老婆は売るついでに――紹介状に訳でも書いてあったのか――薬湯の作り方も親切に教えてくれたのだが、一通り教えた後に訝し気にしていたのがいやにレイラの記憶に残っていた。

 とはいえ目的の物を手に入れたレイラの足取りは軽く、老婆の様子など記憶の片隅に追いやったレイラは〝羊の踊る丘亭〟へと戻ると早速とばかりに薬湯作りに取り掛かった。


「またアンタ、懲りずにあの変な飲みモン作ってんのかい?」


 〝羊の踊る丘亭〟の奥にある厨房で薬師に教わった通りに早摘みの〝ティルスの実〟を鉄鍋で炒っていると、呆れた表情を隠しもしないエレナが顔を覗かせる。


「えぇ、バレディーク司祭に教えて貰ったの。なんでもアルトゥール子爵領の何処かで飲まれてる薬湯で、私が探してる飲み物に似てるんですって」

「薬湯ねぇ、今度こそまともなものになればいいんだけどねぇ……」


 ここ数日に渡って〝羊の踊る丘亭〟が開くまで厨房の一角を占拠し、挑戦していた代用珈琲作りは全て不発に終っている。

 それを傍らで見守り続けたエレナは当初こそ手が空けば手伝ってくれていたのだが、余りに不味いものしか出来上がらないため何時しか珈琲作りから距離を置き、それでも一向に成果の上がらないことに固執するレイラに呆れるに至ったのだ。

 とはいえ止められる事もなければ、求めれば適宜助言は貰えるのだが。


 大して期待していないと分かる言葉を残し、開店の準備を他の従業員たちと進めているエレナを横目にレイラは時間を掛けて薬湯の準備を進めていく。

 炒っている実が焦げ付かないように薪の位置に気を付けて火力を調整し、他に使用する薬草の類も炒りぐわいに合わせて刻んでから同じ鉄鍋に放り込む。


 実が焦げ付かないように鉄鍋を振り続けること約一時間。


 厨房の木窓から差し込む陽の光は赤みを帯び、店の方からは気の早い常連たちの騒がしい声が聞こえるようになっていた。

 ずっと火の前に居たせいで額に浮かんだ汗を拭ったレイラは、薄緑色をしていた“ティルスの実”が濃茶のきつね色になったのを認めて鉄鍋を竈から外す。

 そして予め用意していたすり鉢に移して今度はある程度の粒度になるまで磨り潰していく。その最中、たまたま近くを通りかかったエレナが意外そうな表情をした。


「おや、随分と良い匂いをさせるじゃないか。これはアンタが探してた奴っぽいのかい?」

「……そうね、確かにこんな感じの匂いだったと思うわ」


 すり棒を動かし始めて早々、レイラの鼻腔をカラメルに似て甘く、それでいてアーモンドのような香ばしい匂いが擽り始めていた。エレナもその匂いを嗅ぎとった故の反応なのだが、レイラの反応は些か鈍かった。

 確かにすり鉢から漂う香りはレイラが探し求めた珈琲に限りなく近しいものなのは間違いないが、ほんの僅かに引っ掛かりを覚えるものが混じっていた。

 しかしその正体を言語化できず、レイラは自身の思い違いの可能性も考慮して薬湯作りを進めていくことにした。

 砕いた実を一度篩に掛けてすり残しを選別し、全てが均一になるようにもう一度磨り潰す作業を繰り返す。そして二度三度と繰り返していると、気付けば作業を見守る見物人が増えていた。

 従業員を始め、ガランドなどレイラが珈琲探しや代用珈琲作りの際に聞き取りをした常連たちが揃ってレイラの作業を見ていたのだ。

 エレナか、あるいは女給の誰かが上手くいっているらしいと常連の誰かに漏らしたのだろう。そしてなんだかんだと言いつつ好奇心旺盛な彼らが――もとより冒険者になるような者はそう言った性質の者がほとんどだ――見知らぬものに対する興味を抑えられず集まってきたのだ。


「……これが探してた奴なのかどうか、もとより味の保証もしないわよ?」

「なァに、元よりそこまで期待しちゃいねェよ。ちょっとした好奇心って奴だ」


 ニヤリと嫌味のように見える笑みを浮かべたガランドに胡乱な瞳を向けてからレイラは溜め息を吐き出し、もう見物人たちのことは気にしても仕方ないと割り切ったレイラは最後の仕上げに取り掛かる。

 ガラス製のティーサーバーに香茶を淹れるのと同じ要領でお湯を注ぎ、後は蒸れるのを待つだけ。

 薬師に教わった時間通りに待ってからカップに向けて傾ければ、レイラが待ち望んだ色味が注ぎ口から溢れ出る。

 カップを中心により強くなったキャラメルの甘い匂いとアーモンドに似た香ばしい香りが周囲へ解き放たれた。


「ほォう」

「匂いは悪くないな」


 あまり期待していなかったらしい見物人たちは予想外な香りに感嘆の声を漏らす者や思い思いに感想をこぼしているが、反してレイラは眉間に皺を刻み込んだ。

 そして周囲の期待を一心に受けながらは意を決して口を付けると、盛大に顔を歪めるのだった。


「お、おい、どうした嬢ちゃん?!」


 口に含んでから飲み込むでもなく、顔を歪めたまま動かないレイラに常連たちが慌てだす。強面の男たちがあたふたしている姿をチラリと見てからレイラは舌を撫でる味に意識を集中させた。


 匂いと同じ味は確かにあった。

 それは珈琲と言えば確かに珈琲だろう。しかしかつての記憶を上回る苦み、そして香ばしい匂いを覆い隠して鼻へと抜けていく青臭さ。

 〝ティルスの実〟を磨り潰している時点で嫌な予感は既にしていたのだ。珈琲っぽい匂いに混じって僅かに感じた違和感の正体、それはどこか青草のような生臭ささだったのだ。

 そして成分を抽出されたことで生臭さも引き立てられたのか、薬湯は魔法薬ほど酷い味ではないが、飲料としては落第も良い所であり、飲み込みたいとは露程も思えない代物に仕上がった。


 レイラは騒ぐ面々を無視して中庭に出ると薬湯を吐き捨ててから乱雑に口元を拭い、早摘みの〝ティルスの実〟を買った時の薬師の表情に納得していた。

 これほどの苦味であれば眠気覚ましとしては十分だが、好んで口にしたいものでは決してなく、ごく一部でしか飲まれていないというのにも説明が付く。


「おぇぇぇええ」

「なんだこれ、飲めたもんじゃねェぞ」

「匂いは良いだけに落差があり過ぎるだろ、コレ」


 失望の溜め息を吐きながら厨房へと入れば、銘々に薬湯の感想を漏らして悶えるものが多数。

 勝手に人の物を飲んでいることを咎める気にもならなかったレイラは、本来なら従業員以外は立ち入り禁止の厨房から常連どもを蹴り出し、湯気を立てて多量に残っている薬湯を睨みつける。


「これも駄目だったから諦める、って見切りを付けるには惜しいと言うのが腹立たしいのよね……」


 確かに薬湯の味はお世辞にも飲めるものではなかったが、今まで飲んできたものの中で最も珈琲に近い代物でもあるのだ。

 故に切り捨てるには惜しく、かと言って鋭敏になった味覚で試行錯誤するたびに試飲するには辛い。更になまじっか匂いが珈琲に限りなく近かったせいで、珈琲を求める欲求が刺激されて後ろ髪を強く引かれてしまっている。


「…………取り合えず色々試してみて、それでも駄目だったら諦めるって形にしましょうか」


 一先ずティーサーバーに溜まったままの薬湯を処分しながら今後の行動を決めたレイラに再び試行の日々がやって来た。漸く見えてきた珈琲を掴むために手を伸ばして。


















 が、だめ。

 試作を作る日々が始まってはやくも十日。

 早摘みの〝ティルスの実〟を使った珈琲作りは遅々として進んでいなかった。

 〝ティルスの実〟を炒る前に水に漬けてあく抜きしてみたり、一緒に炒る薬草の種類を変えてみたりと様々な試行錯誤をしてみたものの、あの酷い苦味と青臭さが消えることはなかった。

 さらにこの十日間は毎日薬湯を飲み続けたせいで常に舌に苦味が残り、前世の悲願に執念と執着から人格を保ってみせたレイラの心は折れかけていた。


「もうホントに諦めようかしら……」


 そして麗らかな日差しを浴びるレイラは模索を止め、職人街へと足を向けていた。

 徒労感に苛まれたレイラの足取りは重く、煤けたように見える背中を見せながらゴンドルフの営む店に足を踏み入れたレイラだったが、扉を押し開けた瞬間に足が止まった。


「この匂いは、まさか……ッ!!」


 ここ数日で嗅ぎなれてしまった独特な香ばしい香り。

 しかし今まで何十杯と飲んできた物と違って青臭さのない純粋な匂い。


 それはまさしくレイラが求めてやまないものだった。


 俯きがちだった顔を跳ね上げれば、丁度工房へと向かおうとするゴンドルフ。そしてその手には厳つい鉱鍛種ドルキンには不釣り合いな小洒落たティーカップが握られていた。



「おう、嬢ちゃんか。丁度お前さんの――――」



 挨拶の言葉も交わさず、出来得る最大限の身体賦活でもってゴンドルフに詰めよってカップを持つ手を掴んだレイラが問い詰める。


「ゴンドルフさん、これは一体なに?!」

「な、なにって、休憩にって淹れた奴だが……」

「中身が何かって聞いてるの!!」

「こ、黒茶こくちゃだよ。ここ等じゃあんまり飲む奴はいねーが、俺の故郷じゃよく飲まれてるもんだ」


 あまりにも鬼気迫ったレイラの表情に面喰ったゴンドルフは怒声を出すでもなく素直に詳細を語った。


 それは黒茶と呼ばれ、アルブドル大陸の南方にあるノルウェア大陸の中央部――――特に鉱鍛種の故郷があるアースクラ山脈近郊では割と一般的な飲み物であるそうだ。

 更にここアルブドル大陸でもメジャーではないが、黒茶の原料となる茶葉はそれなりの量が流通しているという。


「一口だけ。一口だけで良いから飲ませてくれないかしら? その代わりお礼はしっかりするし、なんなら私の身体を差し出しても良いわ」

「い、いや、まだ茶ッ葉はあるから飲むのは別に構いやしねーよ。ただ年頃の娘が高々黒茶なんかに簡単に身体を差し出すとか言うんじゃねーよ、まったく」


 冗談と受け取ったのか、軽く流したゴンドルフが戸惑いながらも差し出すカップを受け取り、レイラは震える手で持って黒々とした液体を口へと運ぶ。

 そして一口含み、レイラはその場に崩れ落ちた。


「お、おい、大丈夫か?」

「……えぇ、大丈夫。大丈夫よ。ただ、あまりの私の愚かさにバカバカしくなっただけだから」


 カラメルのように苦さを帯びた甘味、鼻へと抜けていくアーモンドに似た香ばしい香り、飲み込むのに合わせて舌を擽っていく微かな酸味。

 それは間違いようもないほど、珈琲だった。

 あれほど手間暇かけて探し、模索し、失敗し続けた物があっさりと手中に収まっている。


 なぜ今まで見つけられなかったのか、レイラは直ぐに思い至った。


 珈琲を探す際、レイラは元となる材料が豆かそれに類する木の実であると条件を絞ってしまっていたのだ。

 前世の知識、そして物理法則も似通っているのなら植生なども似た物になるだろうという勝手な思い込みのせいで、この世界でも珈琲があるのなら珈琲豆に似た物を使っていると思ってしまっていたのだ。

 しかしここは地球ではなく、魔法と言う不可思議な力が関与し、神や蛮族が明確に存在する異世界。

 珈琲と同じ味や風味の茶葉があったとしても、何ら可笑しなことはないのだ。


 あまりにも初歩的なミスだった。

 考えれば誰でも直ぐに気付くような事に、まったく気付けない自分の愚かさに笑いすら込み上げてくるような気分に陥るレイラ。


「でも、結局は見つかったのだから問題はなにもないわ。そう、そうね、良い経験になったと思うことにしましょう」


 そう自分に言い聞かせ、今まで掛けた無駄な苦労と時間を記憶の彼方へと捨て去るレイラ。

 そして訳が分からないと言わんばかりのゴンドルフへ深々と頭を下げて礼を言い、黒茶を扱っている店を聞き出すと、ゴンドルフの元を訪れた理由も忘れて今にも踊りだしそうな軽い足取りでその店へと向かっていくのだった。























 こうしてレイラの些細な欲を満たすために起きた微妙に壮大な、けれど振り返ればただただくだらない騒動は幕を下ろしたのだった。

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