閑話 レイラの憂鬱①

 

 レイラは基本、食への関心を持たない。

 それは前世を通し、食への魅力を見いだせていなかったからだ。

 どれだけ勢を凝らした名品を食しても、どんな美酒を口にしようとも味覚が擽られることもなく感動を覚えることがなかったからだ。


 では、一切の拘りを持たなかったのか。





 ――――否。





 前世の柏木 誠という男は〝食〟というものへ並々ならぬ拘りがあった。

 常に灰色にしか見えぬ景色が故に、少しでも彩を得るために美食を選び続けた。

 小さくとも感情の揺らぎを期待して、自身の好みに合ったものを探し続けた。


 しかし本人にその自覚はなかった。


 それは男にとって当たり前に――――それこそ無意識的にやっていた事だったからだ。

 そしてその行動をなんの障害もなく叶えられるだけの物流が前世は形成されていた。

 故にレイラは気付いていなかった。自身が食に対して並々ならぬ拘りがあることに。


 では今世ではどうか。

 その答えとしてレイラは周囲にとっては些細な、されど本人にとっては大きな苦悩に直面していた。




「はぁ、珈琲が飲みたい。それもサイフォンで丁寧に淹れたマンデリンが飲みたいわ……」




 冒険者としての最初の一歩を踏み出し、順調にその道を進んで半年が経とうかというとき、レイラは夕日の差し込む一室で悩まし気な溜め息と共に呟いた。


 手元には手入れを終えたばかりの短剣が一本。


 最初の最初で思わぬ事態に遭遇したが、冒険者としてはまだまだ駆け出しのレイラが受けられる依頼は簡単な雑用ばかりだ。

 やれ飼い猫が逃げたから探して欲しいだの、やれ家の前の側溝が詰まったから泥掻きしてくれだの、やれ屋根瓦を張り替えたいから手を貸してくれだの。

 ともすれば雑役人夫もかくやと言う依頼ばかりだが、元々冒険者の実態など前世で言う日雇い労働者と大差ないもの。冒険譚や英雄詩サーガに憧れる少年少女たちの夢を打ち砕くには十分つまらない仕事ばかり。

 かと言ってこの類の依頼で手を抜くこともできない。何故ならこの手の依頼は斡旋主―――〝羊の踊る丘亭〟で言えば店主のエレナだ――――が駆け出しの冒険者たちを品定めするために回されているからだ。


 幻想小説ファンタジーの定番たる組合ギルドがない以上、各冒険者の実力や能力、実績が管理されている訳もなく、全て斡旋主の裁量に任されているのが実情だ。

 だからと言って斡旋主も誰彼構わずざっくばらんに仕事を各人へ振っている訳でもない。


 例えば出稼ぎ労働者が故郷へ仕送りを贈ると言う依頼があったとする。

 前世のように郵送専門の組織がある訳でもなく、交通網が整備され物流が滅多に滞ることがないならば兎も角、この世界では手紙一つ送るのも容易ではない。

 また人を襲う存在が数多とあるため、市井では手紙を送る際には冒険者に依頼を出すか目的地を巡る隊商を見つけ出して預けるのが一般的だ。


 しかし決して安くはない依頼料を支払って仕送りを預けた冒険者が日々の生活にも苦労しているような者であればどうなるか。

 あるいは雑用に似た仕事すらまともにせず、不精ばかりする者ならばどうなるか。

 その結果を克明に綴る必要はないだろう。


 故に斡旋主は過去の仕事ぶりから必ず依頼を達成できると思った人物に依頼を振り、依頼主に対してはこの冒険者なら問題なく達成できるだろうと説明するのだ。

 そして駆け出し故に知識も経験も乏しく評価を下し難い彼等を見極めるため、斡旋主は雑用ばかりを駆け出しへ回し、その仕事ぶりから以後の依頼を冒険者たちへどう振るのかを考えている。


 また一種の判断材料としての依頼以外にも訳がある。


 冒険者としての顔を市井に売っているのだ。

 真面目に依頼を熟す、あるいは誠実で丁寧な仕事ぶりを依頼主に評価されればより難しい依頼を指名でされる事もある。

 ただし雑事で顔を売って舞い込む仕事と言えば、もっぱら働き振りを聞き付けた商人が護衛の賑やかしを求めての依頼ぐらいのもの。

 とはいえ子供の小遣い程度しか得られない雑事に比べれば報酬の額は桁違いだ。

 そんな諸々の事情もあり、レイラは自身の夢とは程遠い雑用仕事とはいえ一切手抜きをする事なく真面目に働いており、そのことに特段の不平も不満もない。

 ただ不意に、仕事に一段落つくと口寂しくなる事があったのだ。


「まさかこんなに前世を恋しく思うときが来るなんで考えてもいなかったわ……」


 前世では仕事とプライベートの切り替え、意識のオンオフを区切るために帰宅と同時に手ずから淹れた珈琲を啜っていた。

 薄い味覚と嗅覚を擽る珈琲を飲み、灰色の世界に僅かに現れる色彩を愉しむ唯一の方法。

 思索に耽り、最高の〝彩〟を味わう瞬間を夢想する優雅で虚無な一時。


 退屈で〝彩〟のない無碍な日々をやり過ごす習慣に過ぎず、今世では無用になるかと思われた。

 なれど鮮明な〝彩〟を体感し、その後に日常という灰色の世界に戻ると言う行為は〝彩〟を目撃できずに延々と灰色の世界ままで過ごした前世以上に耐え難い苦痛でしかなかった。


 開拓村時代は野心に意識が向いていた。

 冒険者となる前は期待に心が踊っていた。


 では野心も叶い、期待も現実となった今はどうなのか。

 答えは言わずもがな。

 鮮明な〝彩〟に恋い焦がれ、禁断症状のようにレイラの心は焦げ付き、急速に渇いていくばかり。

 一時凌ぎだろうと潤いを求めるのは自然の摂理だった。




「仕方ない、か。珈琲を、少なくとも代用になりそうな物を見付け出すしかないわね」




 今世において、名前や見た目に多少の差異はあれど食材にしろ文化にしろ前世と類似した物は多い。

 なれば珈琲に似た物があっても可笑しくはない。

 世界が違うのに類似点がある事に疑問が浮かばなくもないレイラだったが、そもそも人と言う形をした生物が生きられる植生となれば地球と似たものに落ち着くのだろうと気にも止めていなかった。

 そんな事よりも色彩豊かな感情を持つ生物がいて、珈琲豆と珈琲を飲む文化がある可能性が十二分にある。それだけでレイラには十分であり、それ以外の事など思考を割くに値しない些末な問題だった。



「あぁ、こうなると分かってればドングリ珈琲とか蒲公英珈琲の作り方を知っておいたのだけど、本当に人生というのはままならないわね……」



 そして不出来な前世を嘆いて盛大に顔を歪めたレイラは決死の覚悟を秘め、この問題の解決に挑むのだった。





















 他人にとっては些細な、それこそ大仰に過ぎると苦笑いを浮かべられそうな問題なのだが。

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