30 その逃走劇、終着につき――

 

 吐息の音すら聞き取れるほど至近距離にいる年嵩の魔術師――――ランベントの困惑に彩られた顔を見上げ、レイラは思わず浮かんでしまう笑みを隠すことができなかった。





 困惑、怒り、恐怖、生への執着、現状に対する危惧。





 目まぐるしく変化する瞳を彩る感情を見つめ、レイラは自分では体験し得ない激しい感情の起伏についつい見惚れてしまう。

 今世において何人もの"彩"を見てきたが、今この時ほどじっくりと観察できたことはない。

 そして観察した"彩"が消え失せる瞬間を想像しただけで甘美な疼きが駆け巡るのを感じ、実際に目の当りにしたらどれ程の悦楽が得られるのかとレイラは身を震わせる。

 そんなレイラの変化を察した訳ではないのだろうが、まるで見計らったかのように背後のレイラを振り払うようにして振り返るランベント。

 しかしその挙動は余りにも精彩を欠いたものだった。

 自身の変化に気付いたランベントは愕然と目を見開いたが、レイラから距離を取ろうとして膝から崩れ落ちる。


「貴様!!私に一体何をした!?何をやった!!」

「貴方、自分の身体のことなのに気付いてないの? だとしたら動死体(ゾンビ)と同じぐらい鈍感なのね。それとも屍術師(ネクロマンサー)になるとアンデットに近付くものなの?」


 一体何を言っているのかと言わんばかりに眉根を寄せるが、ハッと気付いたように背に手を回すランベント。そして伸ばされた指先を汚す鮮血を見つめ、レイラの目から見ても分かるほどに青褪め、その変化は時間と共に悪化していく。

 ランベントの変わりように思わず含み笑いを浮かべ、レイラは自身に"協力"してくれた者たちに謝意を贈る。


「あの人たちには感謝しなくちゃね……」


 逃げ出したランベントを追う直前、屍術の儀式に集中していてレイラの存在にすら気付いていなかった者たちを始末していた。

 あまりに集中し過ぎてトランス状態に近く、"彩"が薄くレイラの興味は彼らの姿を見た途端に消え失せた。しかし彼らが屍術を行使しているのに違いはなく、本来の役目を全うするべく彼らに向かって手斧を走らせようとした。

 そこでふと、レイラの中に疑問が生じたのだ。





 姿形は似ているけれど人体の構造は前世の世界と同じなのか、と。






 ほぼ同一の存在である以上は内部構造も似たものになるのはある種の必然と言えるが、前世と今世において無視し得ない大きな違いが存在する。


 魔力、と呼ばれる超自然的なエネルギーの存在だ。


 魔力が介在する影響でレイラが知る人体の構造とは臓器の配置が異なっている可能性もある。あるいあるべき臓器がなかったり、逆に前世の人間が持ち得ない臓器が存在する可能性すらある。

 であるならば確かめる価値は十二分にあるだろう。そう結論づけたレイラの眼前には幾人もの死んだところで問題もなく、本来のレイラの影響も受けない相手がいるのだから丁度良いとも判断した。

 儀式に集中している者たちはレイラにとって"獲物"としての魅力はなくとも、知識の補填に使う分には十二分な存在だった。


 そしてそんな彼らに"協力"してもらった結果、レイラが得た結論は人体の構造は何ら変わらないという面白みに欠けるものだった。

 内臓の位置や血管の巡る場所も殆ど前世と変わらず、強いて気になることを上げるのならば魔力を生み出すそれらしい器官もなく、魔力を巡らす役割を担っているものも見当たらなかったことだろうか。

 とは言え悠長に"腑分け"へ興じている訳にも行かず、手早く済ませたため見落としている可能性もある。

 ただ、今のレイラには臓器の位置が同じであると分かっただけで十分だった。


 臓器が同じ位置にあるという事は、人体の急所も変わらないという事なのだから。


「ふふ、その傷は見た目ほど浅いものじゃないわ。もって四半刻ってところかしら? さっき戦ってた女の人や儀式をしていた人たち――――貴方の事を師と呼んでたし、お弟子さんたちかしら? 彼らも色々とあの手この手を使って抗っていたけれど、あなたは一体どんなことを私に見せてくれるのかしらね?」


 短剣に付いた血糊を振るい落とし、手斧を構えたレイラはランベントに歩み寄る。

 土気色になり、精気が失われて行っているにも関わらず爛々とした感情に彩られた瞳にうっとりしながら、しかしレイラは慎重にランベントへと近付いていく。

 あと一歩、レイラが自身の間合いへランベントを捉える直前、即座に掌を向けられる。


「貫け! 氷塊の礫アイシクルバレット!!」


 ランベントが叫ぶや否や、その掌から複数の氷塊が放たれる。

 咄嗟にひらりと身を翻して氷塊を躱し、差し出された腕めがけて手斧を振るう。


 が、手斧は空を切る。


 ランベントの顔色は既に腕を上げるのすら億劫になるほどの出血量だと分かるにも関わらず動ける様に感心し、未だギラついている瞳と目が合ったレイラは唇を舐め揚げる。

 自然と吊り上がる口角を自覚しつつ、更に踏み込んでランベントの首元に狙いを着け――――気付く。

 差し出された右腕とは別に、何かの意図をもって地面へ押し当てられた左手に。


「隔てろ!! 焔の障壁フレイムウォール!!」


 レイラが咄嗟に跳び退がるのとほぼ同時、レイラの足元から業火が立ち昇る。更に後方へ跳び通路を埋め尽くす炎の壁から距離を取ったレイラは思案する。


「さっきの氷塊も、今の炎の壁も魔術よね。でも広間の時と違って魔法陣は出てなかったはず……魔法陣の代わりに声による代替? それとも発声することで発動までの時間を短縮した? ふむ、分からないわ。今度は魔術とかに関しても知識を得るべきね、誰か知ってそうな人は居たかしら?」


 轟々と未だに燃え盛る炎を見つめながら思案していたレイラの視線が下がり、自身の纏う装備に目が向いた。

 護衛らしき女――――ローゼとの戦闘で衝撃を殺すために幾度となく地面を転がり、その影響でついた小さな傷は幾つかあれど、目立つような大きな傷は見当たらない。

 それ自体に大きな問題はなく、逆にレイラの実力を示すには十分だろう。

 しかし成人前の少女が複数人の犯罪者、しかも魔術を行使できる相手と刃を交えてほぼ無傷と言いうのは少々異常がすぎる。

 冒険者として活動するのに当たって強さを示すのは必要なことだろうが、出る杭は打たれるのが世の常。その上、必要以上に目立つのはレイラの求める"目的"の妨げになるやもしれない。


「まぁ、丁度いいものもあるし、活用させてもらいましょうか」


 そこで思考を切ったレイラは炎の壁の向かうにランベントの気配があるのを確かめたレイラは更に後退り、大きな一歩を踏み出した。

 二歩、三歩と加速に加速を加え、最高速に達したレイラは躊躇いなく炎の壁に身を投じる。

 身を焦がすチリチリとした痛みを吟味し、鼻に伝わる肉の焼ける臭いを嗅ぎ取りながら炎の壁を突き抜けると、そこには愕然とした表情を浮かべたランベントが立っていた。


「ッ?! 貫け、氷塊の――――」

「残念、先ずは右腕」


 ニィイイと音がしそうなほど口角を吊り上げたレイラは、咄嗟に差し出されたランベントの腕目掛けて手斧を振るう。


「ぐぅッ!!」

「ふふ、次は左腕」


 歯を食いしばり、痛みに耐えようとするランベントに優しく語りかけながら返す刀で左腕を斬り飛ばす。

 両腕が宙を舞うのを背景に、鼓膜を震わせるランベントの悲鳴にレイラの脊髄が甘美に震えあがる。熱い悦楽の余韻を味わうように熟れた吐息を漏らし、レイラは一息でランベントを袈裟掛けに切り捨てる。


「ああぁああああぁあぁぁぁッ!!!」

「アハハハハ!! 良い! 好いわ!! その悲鳴!!! その瞳!! 最高よッ! なんなら私の初めてをあげても良いと思えるぐらい最高よ貴方ッ!!!!あぁ、本当に今日は最高の一日ねぇ……」


 切り開かれた懐から磨き上げられたような鏡面のように光沢のある石や、見たこともないような硬貨が零れ落ちるのを横目に、手斧を手放しながらレイラは嬌声を上げる。


「な、ぜ、ど…して……私の、悲願…が…………」


 そして膝から崩れ落ち、うわ言のように呟き続けるランベントの顔を両手で優しく包み込み、焦点の合わなくなってもなお生への渇望を感じさせる瞳を覗き込む。


「ふふ、なぜ? 何故と聞いた? それなら答えは簡単よ。貴方の運が悪くて、私の運が良かった、それだけ。たった、それだけよ」

「ばけ、も、の…め………」

「ふふふ、歳頃の娘に酷い言いようね。でも貴方達の御蔭で今日は最高の一日になったわ。だから最低に運の悪かった貴方達に最高の感謝を、そして貴方の来世に幸多からんことを願ってあげる」

「く、そ……が…………」


 粘ついた笑みを浮かべながらランベントの額に口付けを一つ押してからゆっくりと、じっくりと、その瞳から感情が消え失せ、生物から"肉の塊モノ"へと変わるその瞬間まで、レイラはランベントの瞳を覗き込み続けた。

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