29 その屍術師、逃走中につき――

 

 ろくな灯りの無い通路をただひたすらに走るランベント。

 屍術師の見本のように鬱々とした顔立ちは、屈辱によって酷く歪に顰められていた。


「クソっ、クソっ!! 何故だ、計画に問題は無かったはずだ!! なのに、何故こうなった……」


 ランベントはこの計画を実行するのに半年もの時間を費やしていた。

 バルセットに協力者を作り、拠点を作り、誰にも気付かれないように大鼠の動死体を作っては身を隠させ、今日の準備を整えてきた。

 また儀式についての研究や必要な素材を集める時間も含めれば、その時間は一〇年にも及ぶだろう。

 それだけの時間を、金を、人脈を費やし、儀式に望んでいた。

 それがたった一人、駆け出しのような恰好の少女に阻まれた。






 そんな事実を認めるわけにはいかなかった。

 そんな現実を認めたくなかった。






 だが幾ら否定しようともランベントへ突きつけられた現実は変わらない。

 一〇年も掛けて屍術ネクロマンシーの術式を構築し、半年もの日々を潜み続けて辿り着いた儀式は始まって早々呆気なく崩壊した。

 そして今、自分は儀式に集中している高弟たちを囮にして逃げ出している。

 そんな情けない状態を思うだけで、どれだけ悪態を吐いてもランベントの奥底から湧き出るどす黒い感情が晴れることはなかった。


「だがっ、私さえ、私さえ生きていればッ!!」


 しかしランベントは腐っても屍術師ネクロマンサー

 下手な犯罪組織などよりも人族全体から忌み嫌われ、そうであると分かっていながらその道を突き進む異端者。

 これまでの人生でも幾度となく衛兵や正規兵、冒険者と言った追手を放たれ、陽光神殿の武僧が隠れ家に踏み込んできたことすらある。

 それでも今日まで生き残ってきたのは生への執着と目指す目的への執念、そして失敗した時の割り切りの速さゆえだった。

 未だ儀式を邪魔した少女への憎悪が消えることはないが、既にランベントの思考は次の儀式へと向けられている。


「次の儀式に使う場所はどうするか……いや、"螺旋の宝玉"は完成しておるのだ、ほとぼりが冷めるまで潜伏するのが先決か?」


 呟きながらランベントは懐に忍ばせてある物に手を伸ばす。

 ローブの内側にはつるりとした感触をした拳大の石のようなもの。

 それはランベントの研究成果であり、今回の儀式の核となっていた自作の魔道具である。

 "螺旋の宝玉"と名付けたそれは、生み出されたアンデッドが生者を殺した際に吸収する負の力を"螺旋の宝玉"へ集め、各個体依存だった上位種への変態を管理し、また人為的な変異を容易たらしめるものである。

 何より"螺旋の宝玉"の価値は屍術で作られたアンデットならどの個体からでも負の力を蓄積でき、例え別の儀式で生み出したアンデットでも負の力は蓄積され続けることにある。


「しかし儀式が失敗したのは別に良いが、ほとんど負の力を集められなかったのが問題だな」


 儀式を執り行うのに使っていた広間から大分離れたを確認したランベントは足を止め、乱れた息を整えながら考える。

 邪教団の上層部や護衛の二人、高弟たちすら思いもしないだろうが、ランベントにとって今回の儀式においてその成否はどうでも良かった。

 ランベントの真の目的は儀式を成功させ遥か高みの不死へと至ることではなく、負の力を貯めた"螺旋の宝玉"を"あの御方"へ捧ぐことなのだから。


 元よりバルセットで儀式を行うこと自体が成功率を格段に下げている。仮に少女の妨害がなく儀式が進んだとして、最終段階まで進むことはなかっただろう。

 衛兵や領主お抱えの騎士たち、この街に集う傭兵や冒険者たちだけでなく、各神殿の武僧たちすらその実力は平均より抜きん出ているのだ。

 日夜蛮族と血で血を洗う戦いに明け暮れているのだから当然と言えば当然だが、そんなバルセットで儀式をすることにしたのはランベントが自らの死を偽装するためだった。

 自らの死を偽装し、人の世との繋がりと痕跡を断って"あの御方"へと仕える。その為だけにランベントはバルセットを選んでいた。

 そういう意味では計画が前倒しになっただけとも考えられ、事前に用意していた逃走経路と偽装用の死体を使えばバルセットからの脱出も容易だろう。


「ほとぼりを冷ましてから動くしかないが、今回の影響で大規模な儀式は出来ない。となると"螺旋の宝玉"を満たすのにどれだけ時間がかかることか……」


 息の整ったランベントは歩き出しながらも臍を噛む。

 幾ら切り替えが早いと言えど、悔しさが消え去ることはないのだから。

 ぶつぶつと呟きながら地下水路を進んでいたランベントだったが不意に足を止める。その直後、ランベントの全身をそよ風のような感触が撫でていく。


「これはッ?!」


 咄嗟に触れた感触――――魔力感知に対して意識的に受け入れる。そうすることで反発時の反応で位置を把握する魔力感知をすり抜けることが出来るのだ。

 そして魔力感知を感じた方向を振り向けば、明らかにランベントの通ってきた道だった。


「くそ! ろくに時間も稼げないクズどもめッ!!」


 今いる通路と繋がる場所はそう多くはない、それこそランベントたちが儀式を行っていた広間ぐらいのものである。そして逃げて来た時の状況を鑑みれば、魔力感知をしたのがあの少女だと自ずと導き出される。

 また走り出すランベントの背に再び魔力感知の感触が撫でる。

 今度は間断なく受け入れたが、定期的に魔力感知が行われている事を考えると、少女はランベントの居所を掴めていないのかもしれない。

 そう安堵しつつも息も絶え絶えになりながら走り続けるランベントだったが、その耳に小さな物音が届く。


「……ッ?! まさかこっちに向かってきてるのか?」


 驚きの表情と共に振り返り、ランベントが耳を澄ませると甲高い足音らしき音が近づいてきているのが分かる。小刻みに刻まれる足音はその者の駆ける速度を物語っており、そう遠くない内に追いつかれるだろう。

 苦虫を噛み潰したランベントはすくさま進路を変え、目的地から外れた通路に身体を滑り込ませる。


「淡き鏡、現世の微睡、生者の求めし儚き夢想を体現せよ。"幻の鏡ゴースト・ミラー"」


 そしてランベントは通路に入るのに合わせて振り返り、入り口に幻術を施す。

 それほど強度の高い幻術ではないが、あると分かっていなければ幻術が施されているのに気付けない程度には人の目を誤魔化せる代物である。

 もっと強度の高い幻術もあるが、今はそれを施す時間的余裕はない。それに今でもなにかを探すように定期的に放たれる魔力探知の事を考えれば、追手はランベントの位置を正確に掴めていないのだろう。

 ならば今はやり過ごすのが最適だろうと判断し、ランベントは耳を澄ませながら息を潜める。

 本来存在しない幻の壁ごしに今までいた通路の様子を伺っていると、間もなく鉄靴らしい硬質な足音が凄まじい速度で迫り、そして駆け抜けていく。


「……行った、か?」


 徐々に小さくなっていく足音に安堵の息を吐き、苦々しい表情を浮かべるランベント。

 護衛役だったローゼ、そして儀式を執り行うにあたって集中してほぼトランス状態にあったとは言え一〇人いた高弟達。彼ら全員を始末するのに相応の時間が掛かると踏み、幾つかあるうちの中から現在の逃走経路を選んだランベント。


「上の衛兵に見つかる可能性を考慮してこの道を選んだが、失敗だったか……」


 しかしランベントの予想に反して少女の追跡はあまりにも早すぎた。

 迷路のように入り組んでいるように見えて、その実一定の規則性に則って繋げられた地下水路は至る所で通路同士が交わっている。

 自分が辿っていた通路をこのまま進めば、追ってきている少女と鉢合わせてしまう可能性は否めない。かと言って他の脱出路にも相応のリスクが伴い、ランベントは逡巡せざるを得なかった。


「……仕方ない。衛兵に見つかるのも面倒だが、あの小娘と遭遇するよりかは幾らかマシであろう」


 それほど長くはない、しかし確かな時間を掛けて新たな逃走路を選び出したランベントは顔を上げる。

 少女が引き返してくることも考慮して幻術は解除せず、極力気配を消すよう心がけて走り出した。




 ――――チリン。





 しかし数歩進んだところで、自身の背後より聞こえるはずのない小さな鈴の音がした。怪訝に思って振り返ろうとするランベントだったが、後ろからやって来た軽い衝撃と共に僅かにたたらを踏んだ。

 一体何が、そう思考するよりも早く"答え"の方から声が掛かる。



















「ふふ、一別ぶりね。逢いたかったわ、術師さん?」


















 全身に纏わりつくような粘度の高い悪意に満ちた笑みを浮かべた少女が、背後に立っていた。

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