27 その少女、変遷につき――
ローゼはその額に大粒の汗を滲ませる。
それは回復用の魔法薬(ポーション)を飲んでなお抜けない脇腹の激痛もあったが、自分たちの置かれた状況の不味さが大いに占めていた。
特にランベントが魔術を使ってしまったのが不味かった。
魔術は術式さえ構築できてしまえばあらゆる事象を操れる。難解な鍵を音もなく開錠するような小さなものから、街そのものを吹き飛ばす大魔術も原理上は可能だという。
だがそれ故に魔術は警戒され、規模の大きな街や都市では様々な対策が為されている。
ここバルセットでは領主お抱えの魔術師たちが昼夜問わず魔術を感知する特殊な魔術を使用し、致死性や犯罪性の高い魔術が使用されれば早期に術者の居所を掴めるようになっている。
そして魔術師は九分九厘が王侯貴族といった貴種に抱え込まれているせいで、市井で魔術師の姿を目にすることは滅多になく、許可もなく魔術が使われる機会は更に少ない。
そんな中でランベントが使用した魔術を探知されれば、まず間違いなく上の衛兵や騎士たちが地下水路の異常に気付くだろう。
まだ騎士や衛兵だけならば踏み込んでくることはそうそうないだろうが、
特に最も勢力が大きく数多の武僧を抱え、蛮族の中でも
未だ屍術の儀式は終っておらず、このままでは儀式を完成させる前に討たれることになりかねない。
そうなる前にせめて儀式の発起人たるランベントだけでも逃がさなければとローゼは思いながらも、それが出来ない現実に苦虫をダース単位で噛み潰す。
「本当に鬱陶しい餓鬼ねッ!」
「あら、それはお互い様でしょう。ねぇ、オバサン?」
鍔迫り合いで火花が散る中、悪態を吐いた相手を睨みつけるローゼ。だが同じように悪態を吐いた少女は涼し気ながらどこか恍惚とした色を帯びている。
殺し合いの最中に浮かべるには不釣り合いな表情だが、少女にそれが出来るだけの余裕があるのもまた理解していた。
ローゼは知っていた。
道理を蹴飛ばし、理不尽を押し付け、不利な盤面は叩き割る。そんな強者や天才を上回る理不尽としか形容できない存在が居ることを。
幾つもの戦場で首級を上げてきたローゼとその仲間達が念には念を入れて準備をし、自分たちが圧倒的に有利となる状況を作り上げ、万難を排して挑んでなお狩り切れなかった者たち。
信じたくは無かったが、そんな者たちと同じ臭いが年端も行かない少女から微かに漂っている。
何故初めての邂逅時に気付けなかったのかは今はどうでも良いと切り捨て、ただひたすらに自分の勝ち筋を探る。
しかしどれだけ考えても自分が勝利を収めた姿を想像できない。
思わず顔を顰めたローゼだったが、その拍子にほんの僅かだが剣に乗せていた力が緩む。
一秒にも満たない微かな緩みも見逃す少女ではなく、瞬く間に剣を弾かれ具足に包まれた蹴りが叩き込まれた。
「ッ!! こんのッ!!」
「ふふ、随分と苦しそうね? 動きが大分鈍ってきてるわよ、オバサン」
何とか防ぎはしたが、まるで戦槌で殴り付けられたような衝撃に盾を握る手が痺れ、ローゼの顔が歪む。
カウンターで突き込んでいた切っ先も難なく躱され、間髪入れずに少女の攻撃が再開される。しかも少女の攻め手が巧妙で防戦一方な状況も覆せない。
やはり少女の片腕が使えない内に仕留めきれなかったのがこの状態を招いたのだと、面頬の奥でローゼは唇を噛み締める。
最初の内は問題なかったのだ。
初撃こそ驚くべき一撃だったが、その後の攻防は警戒するに値しない粗末な物。
ただただ身体賦活にものを言わせた単調な動き、攻めに緩急もなければ組み立てもない。
戦場でもよく見る才覚だけしかない奴に在りがちな戦い方だった。そんな連中の首は幾度となく落として来たし、片腕を封じられているのなら殺すのに苦労はないとローゼは思っていた。
だが殺せなかった。
仕留めきれなかった。
戦い方も知らない少女だった。
才覚だけの少女だった。
経験の浅い少女だった。
"だった"のだ。
そう、今や全てが過去のものになった。
剣戟を一合交わす度、刃を躱す度、死地に一歩踏み込む度に少女の動きは洗練されたものに変わって行った。
技巧が増す、緩急が付く、攻め手に艶が出る。
視線だけで巧みに誘導し、幻影を見せるほどのフェイントを仕掛け、動きの起点を潰される。
片腕の使えない少女相手に、まるで歴戦の猛者とでも戦っているかのような気分に陥った。時間が経つに連れ、少女は見違えるほど変わっていった。
打擲を利用され、両腕が使える様になってからはそれが更に加速した。
故にローゼには時間がなかった。
あとどれほどの時間で、少女が手に負えない高みに到達するのか分かったものではない。ただ少なくとも、過激派の神殿僧兵が大挙してやってくるよりも速い事だけは確信があった。
だが分かっていてもどうしようもない事と言うのは間々あるものである。
ローゼは状況を鑑みる。
少女と自分の力量は贔屓目に見てほぼ拮抗し、上回られるのは時間の問題である。
ランベントの援護はあるが、戦い慣れていないせいかその援護は疎らで使い物にならない。そして相対する少女も理解しているのか、ランベントが援護できないように着かず離れずの距離を保ち続けている。
ランベントの高弟たちも居るには居るが、その実力はランベントより遥かに劣る。今更彼らが来たところで焼け石に水であろう。
動死体(ゾンビ)どもを呼び込ませるかとも考えたが、この少女相手にただの動死体では壁役にもならない。上位個体が居れば話は違うかもしれないが、動死体の指揮権を持つランベントが呼び寄せていないという事はまだ生まれていないのだろう。
仮に上位個体がいたとして、それらを軽々に使うこともできない。警戒しなければならない相手は、何も眼前の少女だけではないのだから。
手詰まり感が拭えないが、手がないわけではない。
同時にその手はローゼにとって最も使いたくない手でもあったが、それ以外に方法がないのも事実だった。
「あら、折角愉しい
しかしその逡巡がローゼの動きを僅かに鈍らせ、相対する少女はそれを見逃さなかった。
叩き込まれる旋風脚をなんとか盾で受け止めたローゼが見たのは、押し退けられた距離を詰めながら大上段に構える少女の姿。
今までにない程の大振りは同時に大きな隙でもあったが、態勢の崩されたローゼでは反撃は入れられない。
隙を突けないのを口惜しく思いつつ、その大振りの一撃を受け流せばそれもまた大きな隙となると判断して構えなおすローゼだったが、その脳裏に疑念が過ぎる。
執拗なまでに苛烈で、それでいて用心深く、一手一手に意味を持たせる少女が不用意な大技を繰り出すのか、と。
僅かな疑念は不安へと姿を変え、ローゼは咄嗟に跳び退いた。
それは奇しくも少女が握る手斧の間合いに入るのと重なり、少女が腕を振り下ろすタイミングでもあった。
運よく空振りを誘う形にもなり、自身の疑念がただの杞憂だったのかと思おうとしたのも束の間、ローゼは気が付いた。
振り下ろされる少女の右腕、その手に握られたものが手斧からずっとその背に背負われていた鈍色の棒へと変わっていることに。
「クソったれッ!!」
振り下ろされると同時に展開される淡く輝く刃は確実にローゼの事を捉える位置にある。全てを読まれた上で誘われたのだと悟り、ローゼの思考は目まぐるしく駆け巡る。
そして正体の分からない魔道具を不用意に受けるのは悪手だと知るローゼは、即座に耳元で揺れる翡翠の耳飾りに魔力を流し込む。
直後、ローゼの視界は黒い
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