25 その差、経験につき――

 


 経験の差と言うものは埋めがたく、そして言葉で語る以上に大きいものである。


 自身が持っているもの、相手が持っているもの。

 自身に無いもの、相手に無いもの。


 それらを照らし合わせ、更に数合交わした刃のやり取りからレイラが導き出した答えは"経験"だった。

 前世と今世を通して対人戦闘の経験は思いのほか少ない。特に命のやり取りに至るほどの深度となれば猶更だ。

 安全な日本での生は言わずもがな。今世においても"ヒト"との戦闘は父親のダルトンとの模擬戦が主であり、その模擬戦にしても多少実戦寄りだったとはいえ護身術としての立ち回りに重きが置かれていた。

 先に遨鬼(ゴブリン)とも戦ってはいるが、どの遨鬼も相手の技術を底上げされた身体能力で押し潰せてしまうほど能力差があったせいで戦闘と呼ぶにはあまりに一方的過ぎた。


 ほぼ同等の能力を有し、お互いが敵手の命を奪うために技巧を凝らし、一手一手に思惑と意味を乗せた戦いの経験は皆無と言っても過言ではない。

 そして経験の少なさが、攻めに転じられないという事態を生み出していた。

 ではその経験の差がもたらす物はなにかと問われれば、レイラは間髪入れずに相手の動きを読んだときの確度の差だと応えるだろう。



 突き込まれる切っ先を払い踏み込もうとしても、待ち構えていた盾に二の足を踏まされる。

 速度差を生かして翻弄しようとしても、最短距離を無駄のない足運びで先回りされ思惑を封じられる。



 予め動きを知っていなければ不可能なほど正確に、開きがあるはずの能力差を埋めてしまうほど的確な行動を取れるのは、正確にレイラの動きを読んでいなければ成しえない芸当だ。

 レイラも相手が取ろうとする行動の所作で動きを見極めて取るべき行動を選択しているが、女の読みはレイラのそれを遥かに凌ぐ精度を持っている。

 でなければこうも簡単に機先を潰されるはずもないのだ。




 どこをどうすればそれほどまでに精確な読みができるのか。

 何を根拠に動きを読んでいるのか。





 レイラは瞬き一つせず、ただただ女の動きを観察し続けた。




 剣先の位置、盾の構え方、目線の動く先、刃が描く軌跡を見続ける。

 自分の立ち位置、挙動の起点となる関節の動き、相手と自身の間合いを意識し続ける。





 それら全てを悉に脳裏へ刻み込みながら、これまで剣戟で見てきた姿と比較し続ける。そして手斧と剣が衝突して四度目の火花が散ったとき、目まぐるしく回り続けたレイラの思考は一つの答えを導き出した。


「ッ?!」


 振り下ろされた剣を滑らせるように受け流して盾の妨害が入るよりも早く手斧を走らせると、今までの攻防では欠片も陰ることのなかった女の瞳に初めて驚きと焦りが混じる。

 刃が女の身に傷を作るまでには至らなかったものの、盾に阻まれることなく今までで一番女へと迫った一撃だった。

 一瞬だけ垣間見せた反応からレイラは自身が導き出した答えが正しかったのだと確信を得る。


「なるほど、そう言うことだったのね」


 そして分かってしまえば、どうといったこもない。

 レイラが最も的確だと思って取っていた行動は、全て女に誘導されて取らされていた・・・・・行動だったのだ。

 振るわれる斬撃や踏み込みの位置、剣戟の合間に置かれた剣先の向き、果てにはほんの数瞬だけ晒される隙きに至る全てがレイラの行動を女にとって都合のいいものへ誘発させるための布石。

 そしてまんまと誘いに乗せられ、意図的に狭められた選択肢の中で常に最善のものを選び続けるレイラの行動を読むのは至極簡単なことだっただろう。


 種さえ明けてしまえば対処も容易だとレイラはほくそ笑む。

 行動や挙動の一つ一つに込められた思惑を読み取り、女にとって都合のいい展開を導き出し、ここぞというタイミングでその思惑を外してやればいいのだ。

 未だ己に蓄積された経験は浅く、行動に隠された意思を読み解く精度は口が裂けても良いとは言えない。だが今まで交わしてきた剣戟から女の癖や取る手の好悪、得手不得手を分析すれば補える。


 それにと、レイラは刃を交わす回数が重なるに連れ余裕がなくなっていく女に感謝した。

 女の仕草を遍く観察したおかげで対人戦闘をする上で必要となるものも理解できた。

 緩急をつけた攻撃の意義、相手を誘導する手管、フェイントの仕掛けかたから間の取り方に至る全てが既にレイラの血肉となった。


「……今日は実りの多い日ねぇ」


 レイラは愉悦で歪みそうになる頬を抑え込み、学んだ業を使って女の取る手を誘導すべく動き出す。

 敢えて刃を避けさせ、あるいは攻撃させ、上手く誘いに乗ってこなければ乗ってくるように修正しながら自分に最も都合の良い状況を作るべく体を動かし続ける。

 そして時間にして一分も経たず、されど幾十もの意思が絡みつき描き出す濃密な時間が過ぎたとき、レイラの待ちに待った瞬間がやってきた。

 レイラの振るった刃に追い立てられ、詰められた間合いを嫌って掬い上げるように放たれる盾の打擲シールドバッシュ





 それを僅かな挙動から繰り出されると読み取ったレイラは迷うことなく首元を飾っていた"疾風の首飾り"へ魔力を流し込む。




 すると視界に入り込む全ての色彩の彩度が増し、実際に流れる時間と思考が感じ取る時間の間に何十倍もの差が生まれる。

 魔力があからさまに目減りしていく感覚は強烈な吐き気を呼び起こすが、それすら無視してレイラは自身に迫ろうとする盾を凝視する。そして盾が辿る軌道を寸分の狂いもなく描き出したレイラは敢えてその軌道上に身を置いた。

 じれったくなるほど遅く動く体を身体強化で強引に動かしたレイラは迫る盾をその身で受ける。





 関節の抜けた左腕を前にして。





 激突の衝撃で体が僅かに浮き上がり、引き伸ばされた体感時間と同じだけ続く痛みを噛み締めていると、だらりと下がっていた肩からガコリと関節がはめ込まれる音がする。

 その瞬間、レイラはまだ地を離れていたなかった爪先に力を込め、衝撃が抜けていく方向に合わせて自ら後方へ飛び、受けるダメージを最小限に抑え込む。

 もう用はないとばかり"疾風の首飾り"に流していた魔力を絶てば、掛け離れていた体感時間と実際の時間が即座に擦り合わされ、その落差に順応するよりも早く弾き飛ばされた体が床に叩きつけられる。


 呼気が意思に反して勝手に漏れ出るのも構わず転がる勢いを利用して起き上がり、レイラは調子を確かめるでもなく"左腕"でポーチに詰め込まれた魔法薬ポーションに手を伸ばす。


 距離を詰めようとする女と同じ分だけ後方へ跳び退がって距離を取りつつ、器用に蓋を取りながらポーチから魔法薬を二本抜き取ったレイラは二つ同時に一気に飲み干した。

 口腔内を蹂躙する壮絶な液体を無理やり嚥下すれば、味の対価として喉を通る端から"疾風の首飾り"で消費した魔力が補充されていく。


「この味さえなければ文句はないのだけど」


 独り言ちながらも魔力枯渇で生じる頭痛や吐き気が収まっていくのを感じ、レイラは手元の空瓶を迫ろうとする女に投げつける。更に女が瓶を切り払った隙を突いて反転し、たった一息で間を詰める。

 片腕だった時の速さに目が慣れてしまっていたのか、女は面喰いつつも即座に足を止め迎撃するべく剣が振るわれる。レイラはその刃を悠々と掻い潜り、手にする手斧を叩きつけるが、それも盾で防がれる。

 ふっと僅かに安堵の色が滲む女の瞳を見つめながら、攻撃を防がれたレイラは薄っすらと笑みを浮かべる。


「ッ??!」

「あら、これは避けないのね」


 剣を振るわせ、敢えて手斧を受け止めさせることでがら空きとなっていた女の脇腹にレイラの拳が深々と突き刺さる下から抉るような肝臓打ちリバーブロー


 しかしただの拳と侮るなかれ。


 金属の籠手に包まれれば、例え戦う術を知らない素人だろうと人を殺し得る鈍器と化す。それが人体の急所を知り尽くし、身体強化を使いこなすレイラの拳となればその威力は推して知るべきものとなろう。

 レイラの纏う軟皮鎧と似た鎧を女も着込んでいるため幾らか威力は軽減されたようだったが、それでも女の顔が盛大な苦悶で歪み、動きを鈍らせるには十分だった。

 追撃とばかりに廻し蹴りも叩き込むが、女は痛みで鈍っていながらも盾で受け止めようとした。しかし不完全な体勢での防御は蹴りを受け止め切れず、体格差など些事とばかりに今度はレイラが女を吹き飛ばす。


「……これも避けない。なにか条件でもあるのかしら?」


 ふむと頭部を狙った蹴りからの着地するまでの数舜の間、レイラは警戒しながらも意識を思考へと傾ける。

 拳にしろ、蹴りにしろ、攻撃を命中させることに成功したが女は初撃を回避した方法は使わなかった。

 致命傷には至らないと判断して使わなかったのか、それとも何かしらの制限があるのか、はたまた別の理由でもあるのか。どんな理由があるにしろ、安易に使えるものではないのかもしれない。

 ここぞという所で使われることを念頭に置き、回避方法の解明するか、使う暇もなく仕留めなければならないだろうと結論を出しながら地に足を着けるレイラ。

 まぁやることは変わらないがと結び、未だに痛みから抜け出せておらず僅かに蹲っている女に向かって走り出そうとした刹那。











 レイラは足元から眩い光に包まれた。

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