23 その少女、不運な冒険者につき――
獣油の灯明の灯りが怪しく揺れる中、どれ程の時間が過ぎたのか。
はた目からは眠っているようにすら見えるほど脱力していたが、しっかりと護衛らしく警戒していたローゼの耳は小さな足音を拾い、首を巡らして背後へ目を向ける。
「あら術師さん、儀式の方はもういいの?」
そこには初老の域へ達した男――――今回の
ランベントは見た目通りローゼが寝ているとでも思っていたのか、声を掛けられたことにやや驚いた表情を作るが、すぐに
「儀式の方はもう儂が居なくても問題ない段にまで至っている。あとは動き出した
「なら、もうすぐこんなジメジメした所からも出れるのね。何日も篭りっぱなしだから身体が鈍って仕方ないわ」
「……それよりもう一人の男はどうした?」
しかめっ面を更に顰め、不機嫌そうな表情を隠そうともしない屍術師にローゼは肩を竦めてみせる。長いこと儀式の準備に時間を掛けているため、狼人の勝手な行動は目障りなのだろう。
ローゼにも心情は理解できるが、二人はランベントの部下ではなく邪教団から派遣されてきた人間である。行動一つ一つに指図されるいわれはない。
とは言え護衛としてきている以上はある程度は説明しなければいけないだろうとも思うローゼは気怠に答える。
「さっき間の悪い駆け出しの女の子が来てね、追いかけていったわ。今頃は"お愉しみ"中なんじゃないかしら?」
「……駆け出しが来たのか? 此処に?」
「えぇ、さっきもそう言ったでしょ?」
耳まで動死体みたいに腐ったの? そう付け足したマリエットに対してランベントは反応するでもなく不快気に考え込んでしまう。
「……ここへと繋がる通路には低級とは言え幻術による封鎖を施していたはずだ。目的を持ってここを目指しでもしない限り、定期討伐を受けるような連中が幻術を突破できる筈がなかろう」
「言われてみればそうね」
規模の大きな街にはそれぞれ魔術が使用された際に感知する術がある。魔術を使った犯罪を早期に発見、阻止するためだ。ここバルセットでも変わらず、多数の魔術師を使って常時魔術が使用されないか監視が行われている。
ただどんな魔術も見つかるわけではなく、規模が小さかったりランベントたちが行っている屍術の儀式のように、隠匿を前提に組まれた魔術は見つけられないことが多い。
小さな規模の魔術まで感知しようとすれば、市井の民が生活の中で使う精霊魔法もその対象に含まれてしまい、区別がつかなくなるからだ。
通路を塞ぐために使った幻術はそんな魔術師の監視員の目を掻い潜るために小規模かつ、強度の低いものが使われていたの思い出すローゼ。
しかし強度が低いとはいえ幻術は幻術。
破るための方法や術がなければそう簡単に突破できるものではないのだ。少なくともこの広場へ迷い込んできた少女が出来るとは思えなかった。
ある程度の警戒は必要か、そう判断にしたローゼは机の上に放っていた盾を手にして立ち上がる。
「取り合えず貴方は退がって儀式に集中しなさいな。警戒とかは私たちのしご――――」
ローゼがそう言ってランベントを退がらせようとしたとき、不規則に刻まれる僅かな足音が二人の耳に届き、二人は揃って足音のした方へ振り向く。
足音には急いでる様子もなければ、警戒して慎重に進んでいるようにも感じないほどゆったりとした悠長なもの。
だが、とローゼは盾の持ち手をしっかり握りなおす。
のんびりともいえる足音自体は儀式を阻止するためにやってくる者たちのものには思えないが、出ていった狼人の物とはまるっきり違う。
獲物を狩ることを好み、生まれからの狩猟者である狼人は自ら音を立てることを嫌って編み上げのブーツを履いていた。それでも多少なりとも足音はするが、少なくとも今歩いてきている者のように硬質な音はしない。
「ようやく戻って来たか」などと呑気な事を言っているランベントを尻目に、ローゼは狼人が出ていった出入口とランベントの間に体を滑り込ませる。
怪訝そうな視線が向けられているのを背に感じつつローゼが盾を構えるのとほぼ同じく、部屋に入ってきた人物の姿が頼りない灯りに照らされて浮かび上がる。
「あら、貴女は……」
部屋に入ってきたのはさっき逃げ出していった少女だった。
少女は部屋にいるローゼ達を視認するとその場で立ち止まるが、ローゼは少女の姿に首を傾げる。
先程とほぼ変わらない姿で入ってきた少女だったが、少女から受ける印象はガラリと変わっていた。
焦りや恐怖で青褪めていた顔には朱が差し、まるで情事の後のような恍惚とした蕩けた表情。
多少なりともしっかりとしていた立ち姿は、泥酔した酔っ払いのようにふらふらと身体が左右に揺れている。
そんな変化に狼人が少女に対して"トラヴァ―ルの花煙"を使ったのだと思い警戒を緩めそうになるローゼだったが、ハッとして緩みそうになった緊張を引き締めなおす。
"トラヴァ―ルの花煙"は悪漢が女を嬲る際によく使う麻薬の一種だった。
一嗅ぎで初めてであろうと乱れ狂うほど感度を著しく高めるために多用されるが、代償として事前に気付け薬を使っておかなければ立つこともままならないほど前後不覚になる代物だ。
狼人がこれから嬲る相手に気付け薬を与える訳もなく、"トラヴァ―ルの花煙"を嗅がされる状況に陥ったにしては少女の恰好はあまりにも整い過ぎていた。
身にまとう真新しい武具にしろ、身に着けた道具類にしろ、一切乱れがないのはどう考えても不自然極まる。
狼人との間に何かがあったかは定かではないが、仔細が分かるまで警戒を緩めるのは悪手だとローゼの経験と直感が告げていた。
「アレが迷い込んできたという駆け出しの冒険者か? 確かに駆け出しのようだが……」
「シッ! 貴方は黙って退がってなさい」
「貴様、なにを言って――――」
「いいから、退がりなさい」
何を警戒する必要があると言わんばかりのランベントを一睨みで黙らせ、儀式を行っている隣の部屋まで黙って退がっていろと視線で示す。
ローゼの剣呑な視線を受けて渋々ながらも素直に退がり始めたランベントに気をよくしていると、視界端に捉えていた少女の身体がぐらりと揺れる。
即座に視線を戻せば、足を縺れさせたのか少女の身体が前のめりに倒れ込むところであった。
受け身を取る素振りすらない無防備な姿から警戒をし過ぎたかとも思うローゼだったが、少女が後ろ手に隠していたものを投げるような動きを見せる。
少女の視線と腕の動きから狙いがランベントだと瞬時に判断したローゼは隣の部屋へと向かっていたランベントを庇うように盾を掲げて立ちふさがる。
直後、掲げた盾が重い衝撃に襲われる。
分かっていても尚、顔を顰めたくなる衝撃に自身の直感が間違っていなかったのを確信し、ローゼは少女が投げつけてきた物を確かめるべく視線を向ける。
即効性の物でなかったのは盾で弾いた時点で分かっていたが、遅発性の魔道具や可能性は低いが毒が込められた袋などの場合もある。
少女を視界から外すことなく自分の後方に飛んでいく物体を捉えたローゼは目を剥いた。
見間違えるはずもない。
投げつけられた物は狼人の首だった。
驚きと恐怖で固まった生首の瞳と視線が交差したと錯覚したローゼの思考は一瞬だけ疑問と驚きに占められる。
性格と仕事への姿勢に難はあれど、自分と同等以上の実力があると思っていた狼人が殺されるなど夢にも思っていなかったからだ。
しかし驚きのせいで少女の存在をほんの僅かでも意識外に置いてしまった自身の失策に気付き、苦虫を噛み潰しながら即座に視線を少女へ向ける。
だが戻した視線、意識的に広くした視界の何処にも少女の陰一つ見当たらない。
再びの驚き。
ただし今度は思考を占めるほどの物ではなく、経験に裏打ちされた本能は少女の居場所を正確に掴んでいた。
盾で生まれた大きな死角の中。
そこに少女がいると告げる直感に従ってローゼが首を巡らすと、既に少女の細指に握られた手斧が自身の首へと迫っていた。
ローゼは吸い込まれるように迫る白刃を見つめ続けた。
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