22 その女、護衛につき――

 

 ローゼは傭兵だった――――いや、正しくは"元"傭兵だった。

 傭兵団付きの娼婦の腹に宿り、血で染まった大地を産湯にして生まれ落ち、戦場の絶叫を子守唄にしながら育った根っからの傭兵だった。

 成人する前から大人たちに混じって戦場に立っていた。

 真っ当な人間ならば彼女の経歴を知れば顔を顰めるか、同情の視線を送るだろう。

 だがローゼは自分の生い立ちが不幸だと思ったことはなかった。それどころか天に坐す神々に感謝を捧げるほどだった。





 なぜならローゼは人を殺すのが好きだった。

 他者を蹂躙するのが好きだった。

 一方的に奪う立場に立つのが好きだった。





 幾度も戦場に立ってなお生き残れるだけの才もあり、彼女は自身が傭兵の家系に生まれたことは天啓だとすら思っていた。しかしある日、ローゼは寝食を共にしてきた家族同然の傭兵団を追い出されることになる。


 理由は一つ、看過できないほど人を嬲る気質のせいだった。


 傭兵を知らない人間には理解されることは少ないが、傭兵家業も所詮はビジネス。

 労働に対する対価に金銭を得るという普通の仕事と変わらない。ただ労働の中に自分と敵手の命が含まれ、働く場が安全な街中ではなく戦場であるという違いしかない。

 故に金にならないことはせず、逆に食い扶持を稼げるのなら自分の命を賭けるのも他人の命を奪うのも厭わない。

 しかしローゼは違った。

 金にならなくとも人を嬲り、殺し、晒しあげることすらあった。


 血の気の多い傭兵達ですら顔を顰めるほどの行為に呆れられ、また真っ当な分類だった傭兵団にとって巡視や雇用主からの信用も損なうとローゼの行為を重く見た団長直々に叩きのめされ、たまたま立ち寄っていた街に打ち捨てられた。


 ローゼには理解できなかった。

 なぜ仕事を熟すついでに嗜好を満たすことの不味いのか、と。

 普段の行いと何が違うのか、と。


 それからは急ぎ働きで口に糊をするどこにでもいる悪党へと成り下がり、気付いたときにはどんな傭兵団でも絶対に仕事を受けないような蛆溜まりグラミダールを崇拝する邪教団に身を寄せるまでに堕ちていた。

 そして今は邪教団の一派が執り行うという儀式に護衛として派遣され、薄暗く湿った地下水路に何日も篭ることになっていた。


「あぁクソ!! 一体いつになったらこんな退屈な仕事は終わんだよッ!!」


 苛立たしげに声を荒げ、狼のような唸り声を漏らしたのはローゼと同じく護衛として派遣された狼人ノルドルの男。

 持ち込まれた机を挟んだ対面に座る男とは何度か仕事を共にしたことのあるローゼだったが、来歴どころか名前すら知らない。

 知っていることといえば、彼もまたローゼと同じ嗜好の持ち主ということ。そして気の長い方ではないということだけだった。


「護衛なんだから仕方ないでしょ? それに儀式がある程度進めば"御愉しみ"の時間があるんだから、もう少し我慢しなさいよ」

「あぁん? 俺に指図するつもりかテメェ」

「そんな風には言ってないでしょうよ……」


 狼人を窘めながらも、その言葉に勢いはなかった。ローゼも内心では男の言葉に同意していたからだ。


 街中での屍術の行使。


 そんなことをすれば冒険者や傭兵、衛兵や叙勲され領主館に詰めている騎士たちが押し寄せてくるものだと思っていたのだ。ただ現実は違って護衛をしている邪教団の一派は慎重に慎重を重ねており、未だ冒険者の一人もやってこない。

 期待が外れ愚痴を零したくなるのも理解できる。

 とはいえ男がうるさくしたせいで屍術の儀式をしている術者達の集中を乱れ、儀式が遅れるのを嫌ったローゼは男を窘めつつも愚痴を吐かせて静かにさせることを選んだ。

 そうして有益なことのなど欠片もない無為な時間を過ごしていると、不意に狼人の三角の耳が忙しなく動き出す。


「運が良いのか悪いのか、どうやら間抜けなお客が来たみたいだぜ……」


 野趣あふれる顔立ちに更なる狂相を浮かべた男の言葉にローゼは腰に凪いだ剣の柄へ手を伸ばす。

 そして僅かに遅れて何者かの走る音がローゼの耳にも届き、更に遅れて足音を立てていた人物が姿を現した。

 しかしその姿をしっかりと捉えたローゼは柄に掛けていた手を離し、僅かに懐いていた警戒心すら解くのだった。


「あらあら、随分と可愛らしい冒険者だこと」


 広間に出て来たのは見るからに怯え、恐怖に染まった年端も行かぬ少女。

 背はやや高い方だが、まだ成熟とは程遠い身体つきから年のころは一二歳前後に見える。

 農夫や下町、傭兵の子供とは違って教養のある人間の雰囲気と真新しい分不相応な武具、平民とは思えない整った顔立ちから貴族か豪商の庶子が勘違いでも起こして冒険者になろうとしたのだろう。


 一定数いるのだ、生まれが良いと言うだけで英雄に成れると思い上がるバカと言うのは。


 やって来た少女もその類なのだろう。

 多少の基礎はあるようだが立ち姿の重心は丹田からズレ、状況を知ろうと忙しなく動かされる視線は要点を抑えておらず、四方をさ迷うさまは完全に争いごとに慣れていない者のそれ。


 見るからに格下、取るに足らない相手。


 そう結論付けたが故にローゼは警戒を解いたのだが、そんな判断を下す頃になって少女はようやくこの場に居るローゼ達を認識できたのだろう。


「た、助けてください! いきなり地下水路にアンデットがいっぱい出てきて、仲間がッ!!」


 ローゼ達を真っ当な人間とでも判断したのか、ホッと息を吐き出すと強張っていた少女の表情が緩む。

 怯えに怯え、青褪めていた少女の顔色に安堵と言う名の朱が差した。

 緊張の糸が解けた少女からはあどけなさと花開く前のおぼろげな色香が醸し出され、あと数年もすれば類を見ない美女へと至るだろう。

 そんな少女の光に満ちた将来を自身の手で摘み取ることを想像して、ローゼの嗜虐心が刺激される。







 痛めつければどんな可愛い声を上げてくれるのだろう。

 可愛く鳴き叫んで自ら死を望むのか。

 それとも見た目に反した口汚い断末魔を上げてくれるのか。






 どんな末路を遂げさせるにせよ、少なくともここ数日我慢していた分は満たしてくれるに違いない。そう思うと無意識の内に唇を舐め、離した手が再び剣の柄へと伸びる。

 だがローゼが行動するよりも先に狼人の男が立ち上がる。


「悪いな、あの餓鬼の相手は俺がさせてもらうぜ」

「ちょっと、まさか独り占めする気?」

「そのまさかさ。どうも発情期が近いらしくてな、正直もう辛抱堪らねーんだよ。餓鬼を譲らねーならお前で満足してやってもいいんだぜ?」


 亜人の中でも獣の要素を持つ者の中には、その獣と似た特質を持つ者がいる。



 狼の嗅覚と鋭敏な聴覚を持つ狼人。

 猫のしなやで柔軟な体を持つ猫人ヤマセル

 蜘蛛のように軽く、それでいて強靭な体を持つ蜘蛛人アルクラーナ



 そんな人種ヒトよりも生まれながら優れた彼らだが、厄介な特質を持つ場合もある。


 その一つが発情期だ。


 どんなに温厚な人物でも発情期になると性格が豹変する亜人種は多い。

 普通なら娼館で発散したり薬などで抑え込んだりと凶暴な面が表へ出ないようにするのだが、狼人の男のように欲望に忠実な奴が薬などで抑え込むはずもなく、発情期になればどうなるかなど何をか言わんやだ。


「……はぁ、分かったわ。今回は譲ってあげる。その代わり、次は私に譲りなさいよ」

「へへへ、悪いな」


 下卑た笑みを浮かべながら自分の得物に手を伸ばす狼人。

 そんな男の様子に気付き、ほっとしていた少女の表情が再び青褪める。


「い、いや、来ないで……」


 恐怖に染まった顔で後退り、少女は即座に身を翻すと覚束ない足取りで入ってきた通路へ向けて走り出す。

 来た道を戻ったところでその先にはアンデットの大群が詰めているというのに、少女は一体どこに逃げるつもりなのだろう。

 鬼ごっこか? などと宣いながら歩きだした狼人の背を見ながらローゼはそんな益体も無いことを思い浮かべる。

 あまり時間を掛けないようにとだけ注意をしてから男を送り出したローゼは溜め息を吐き、椅子に深く座りなおす。

 そして目を瞑り、ただひたすらに儀式が終るのを待ち続ける。

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