21 その瓶、魔法薬につき――


 歪みそうになる口元をひた隠しながら地図を仕舞い、軽く装備の調子を確かめたレイラはガランド達へ向き直る。

 が、レイラがしっかりと姿を視界に収めるよりも早く一つのポーチが自分に向かって投げられていた。


「これは?」

「持ってけ、魔法薬(ポーション)だ。嬢ちゃん、金が足りねェからって魔法薬買ってなかったろ。まァ、普通は定期討伐に魔法薬なんか持ってくる奴なんかいねェがな」


 しっかりと受け止め、投げ寄こしたであろうガランドを見やれば小さな小瓶をこれ見よがしに振って見せられる。

 合成着色料で色を付けられたかのような真っ青な液体で満たされ、ガランドの手で揺られている小瓶と同じものが手元にあるポーチの中にもずらりと並んでいた。


「中身は少しばかし魔力と体力を回復する程度の低級魔法薬ポーションだが、それでも無いよかマシだろォよ」


 魔法薬とは薬草や鉱物など、人体に効能のある物を魔術や魔道具を駆使して精製したもの。

 主に錬金術組合という組織が精製、管理を行っているもので、傷を癒すものからガランドが投げ寄こした物のように魔力や体力を回復する物など、種類や形状も様々だ。

 ただしこれも魔道具と同様に高価な品であり、低級の魔法薬であっても一つ当たり一〇〇ルッツはする一品だ。

 レイラも購入を検討していたが、装備や今後の活動のために必要となる道具の購入などで貯金の大半を使ってしまったため、今回の定期討伐では見送っていたのだ。


「そう、なら有り難く使わせて貰いましょうか」


 ポーチをベルトに括り付けながら、レイラの中に小さな好奇心が首をもたげる。

 ガランドは魔力と体力を回復させると言ったが、どれほど回復し、どんな風に回復する物なのか。

 この時に渡されたと言うのならば即効性のあるものと考えて間違いないのだろうと考えながら、レイラはポーチの中に入れられた物の内一本を取り出し、栓を開ける。

 軽く臭いを嗅いでみるも、毒々しい人工的な色に反して臭いは全くと言っていい程しなかった。

 見た目と薬と名が付くだけに独特な臭いでもあるのかと思っていたレイラが拍子抜けしている中、気軽な思いで魔法薬を口の中へ一気に流し込む。

 その直後、思考に生まれた小さな好奇心は後悔へと変わった。









 味が、絶望的なまでに最悪だった。








 水のようにさらりとした舌触りでありながら、蜜のような粘性のある液体だと錯覚してしまうほど暴力的な甘味。

 触れたところ全てにピリピリとした痛みを感じさせる苦み。

 泥炭(ピート)に似ていて何十倍にも濃縮したような独特な臭気。


 表情の制御に自信のあるレイラをして盛大に顔を歪めずにはいられない味を前に、咄嗟に吐き捨てなかっただけでも耐えた方だろう。

 魔法薬を飲み込んだ直ぐ後から体にあった軽微な疲労が抜け、身体賦活や武器強化、戦斧の魔具を起動するのに消費していた魔力も補充されている。

 しかしその効能を差し引いても、魔法薬の味は耐えがたいものだった。


 えも言われぬ複雑怪奇な表情を浮かべるレイラとは逆に、ガランドは悪戯を成功させた悪餓鬼のような満面の笑みを浮かべていた。


「ひっでェ味だったろ?」

「……味が酷いって知ってたなら飲む前に言って欲しかったのだけど」


 恨みがましく睨みつけるものの暖簾に腕押しが如く、ニヤニヤとした笑みを浮かべ続けるガランドにレイラは盛大な溜め息を吐き出すしかなかった。

 そんなレイラの肩が叩かれ、振り返ると諦めろと言わんばかりに首を振るダッカがいた。


「俺も昔、同じことをされたよ」

「貴方も知ってたなら一言あっても良かったんじゃないかしら?」

「ハハハ、諦めな。初めて魔法薬を飲む奴が受ける洗礼ってヤツだ」


 類は友を呼ぶとでも言うべきか、一切悪びれる様子のないダッカに対しても溜め息を零すレイラ。

 そんなレイラの耳に、聞きなれない鈴の音が響く。

 音の方を胡乱な目で見やれば、今度はダッカがレイラに差し出すようにして小さな鈴を振っていた。


「これは"魔破りの鈴"って言って簡素な幻術とかなら破れる魔具だ。もし嬢ちゃんの推測通り通路を幻術で塞がれてたら、これをその場で使うといい」

「……変な音がするとかないでしょうね?」

「クク、安心しろ。幻術を破る以外は普通の鈴と一緒だよ」


 警戒も露わに胡乱な目を向けながら鈴を受け取るレイラにダッカは苦笑いを浮かべ、レイラの頭を乱雑に撫で擦る。

 頭を撫でると言うよりも、髪を乱しに掛かっていると言ってる方が正しいほど雑な撫で方をされて鬱陶しげに手を払うレイラ。しかしダッカの手を払った直後、レイラが乱れた髪を直すよりも早く今度はダッカの物より更に乱暴に――頭を取らん勢いだ――背後から置かれた手に撫でられる。

 より険しい半目になったレイラが振り返れば案の定と言うべきか、手の主は変わらずニヤニヤとした笑みを浮かべていたガランドであった。

 レイラが視線だけで何事かを問いかければ、不意にガランドの表情が真面目な物へと変わる。


「いいか嬢ちゃん、無理だけはすんなよ。勝てなェと思ったら直ぐに逃げて上の奴らにここの状況を知らせに行け。分かったな?」

「それぐらい言われなくても分かってるわ。それより私が片を付けるまでに死んだりしないでね」

「ヌかせ」


 真面目な表情を緩めるガランドに対し、レイラは鬱陶し気に頭に乗る手を払いのける。そして肩を竦めながら、レイラは年相応の子憎たらしい表情を浮かべてみせる。

 そしてガランドにその場で盾を構えるように伝え、距離を取る。

 すると我が意を得たりと言わんばかりにガランドは二ヤッと笑い、腰を落として盾をやや斜め上に向けて構えてみせる。

 ガランドの掲げる盾を見据え腰を落としたレイラの視界に百足人(スコロディル)の少女が映り込む。


「ねぇ貴女、名前は?」

「私、スコール村の、ニナ、です」

「ニナ、ね。お互い生きてたら今度お茶でもしましょう」


 優秀そうな若手と顔を繋いでおくのも悪くないかと思ったレイラはそれだけ言い残し、戦斧を手にしながらガランドに向かって走り出す。

 両足へ一気に魔力を流し込んで一歩目で自身が出し得る限りの速度へ到達し、二歩目で踏み切り、三歩目にはガランドの構える盾に乗る。

 そしてガランドの振り上げる動作に合わせて飛べば、地下水路の天井すれすれを通って炎の壁を軽々と超えていった。





 ◇ ◇ ◇






 轟々と燃え上がる炎の壁の向こう、僅かに見える黒い影と肉を切り裂く音が見る間に遠くなっていく。

 そんな光景を見ているガランドの背に向かってダッカは声を掛けた。


「で、なんで嬢ちゃんを行かせたんだ?」

「ん? 理由はさっきも話したじゃねェか」

「確かにな。でも嬢ちゃんを守るってことを考えれば俺たちと一緒にいるが一番じゃないのか?」


 ガランドもダッカも一応とは言えレイラの護衛としてこの仕事に来ていた。

 そのため優先すべきはレイラの身の安全であり、他の冒険者の命は二の次である。倫理観の問題は別として、この場にいる冒険者たちを見捨てたところで誹りを受けることもない。


「まァ、確かに俺たちと一緒に居りゃァ嬢ちゃんの安全は万全だろうよ」

「ならどうしてだ?」

「嬢ちゃんには言わなかったが、一番は嬢ちゃんの安全を保障できるのがこの状況が続けばってェところだな」


 屍術は時間経過とともにその脅威は増していく。

 屍術で作られたアンデットによって殺された生物が死の間際に漏れ出る魔力を取り込み、術式の範囲や強度を強めていく。そして強度の増した屍術は操れるアンデットの数を増やし、より強いアンデットを生み出す術へと至る。


 それが屍術の特性だ。


 ただし一日二日で強力なアンデットが生み出されることはないのだがと、炎の壁が消えるのを待っているだろう動死体たちの影を見ながらガランドは大きなため息を吐く。


「この規模の屍術の準備を誰にも気付かれずに準備するよォな連中だ。屍術自体も一般的に知られる物とは違ェと考えといた方が良いだろうよ」

「だから嬢ちゃんに勝てそうに無かったら逃げるように言い含めてたのか」


 それにと続きそうになった言葉をガランドは飲み込んだ。

 これほどまでに大規模な屍術を準備し実行できる相手ならば、絶対に地下水路の状況が他所へ漏れないようにしている事だろう。

 地下水路と上を繋ぐ入り口の近くはここよりも多くの動死体を配置し、誰一人助けを訴えに行けないようにする。少なくともガランドならそう配置すると考えた。

 必死に炎の壁を維持している魔法使い、悲壮感漂う表情で休息をとっている前衛冒険者たちに再び溜め息を吐く。

 レイラ一人、あるいはガランドとダッカだけなら突破は可能だ。だがこの場にいる冒険者たちには無理だ。


 彼らを引き連れてこの広場を脱することが出来ても、最後の壁を抜けるために彼らを見捨てることになるだろう。その際に経験の浅いレイラがどんな反応を見せるかがガランドには未知数だった。

 残酷な選択を前に固まるだけならまだ良い。

 なまじ実力がある分、冒険者たちのために残ると言い出されれば非常に厄介だった。

 力づくで抑え込んで脱出するにしても抵抗を抑え込みながら無数の動死体の相手はガランドをして難しいと判断していたからだ。

 なにより冒険者に憧れている少女に汚い現実を突きつけるのは早いと思ってしまったのだ。少なくとも成人するまでは、と。


「相変わらずウチのリーダーはお優しいな」

「喧しい!!」


 長年の付き合いからガランドの内心を悟ったダッカが柔らかい表情で肩を叩いてきたのに対し、ガランドは僅かに赤くなった耳を見られらないようにどつき返す。

 そして脂汗すら流せなくなっている魔法使いたちを見て冒険者たちに向き直る。


「ヨシ!! 休憩も終わりだ! 嬢ちゃんが術者を仕留めてくるまでの辛抱だ、気張って行くぞ!!!」


 覚悟を決める冒険者たちに満足げに頷いたガランドは、彼らの中に居ても目立つ百足人の少女を見る。

 そう言えばレイラが同年代の同性といるところを見たことが無いと思い至ったガランドは彼女だけも生きて返すかと軽く意気込み、剣を抜き放つのだった。


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