16 その騒動、始まりにつき――

 

 走り抜けていった冒険者たちの背を追ってレイラたちが通路を曲がると、目的地にしていた大広間までは目と鼻の先だった。

 さっきよりも鮮明に聞こえる大勢の足音と、何人もの大人たちが交わし合う罵詈雑言はより鮮明になり、水路の湿気った空気に混じって濃密な血の臭いも漂いだしている。


 そんな不穏な気配を肌で感じ取れる薄暗い通路の先。

 急に拓けたように広がる大広間の中の様子は一言で言えば、〝混沌〟の二文字が最適だろうか。


 それぞれの冒険者達が光源として精霊魔法によって作り出された多くの光球によって照らされた大広間は外もかくやと言わんばかりに明るく、体育館ほどもありそうな広間には大鼠の骸が無数に転がっている。

 そして三十人ほどの冒険者達――地上の広間に集まっていた冒険者たちの半数近く――が違う一党(パーティー)同士で、あるいは一党対個人で睨み合い、血に濡れた武器を構え、お互いがお互いを牽制し合うようにしながら怒鳴り合っていた。


「おいっ! そいつは俺達の獲物だぞ!!」

「馬鹿言うな! これを仕留めたのは俺達だ! だからこれは俺達の獲物だ!!」

「馬鹿はそっちだろ!? 俺たちが追ってたのをお前らが横取りしたんだろうが!!」


 大広間に入るなり即座に耳に入った内容に、三人は即座にこの混沌と化した理由を知る。


 要は大広間へ集まった大鼠を巡って冒険者達が言い争いをしていたのだ。


 見ようによってはくだらないとも言えるが、それはあくまで冒険者たちが互いに無手であればの話だ。

 既に武器を抜き放って怒鳴り合う冒険者達の姿を見る限り、どこかで言い争いが実力行使に移れば、またたく間にその気配は広間全体へ伝播するだろう。

 そして一度でも剣が交われば、大鼠の血を押し流すように人間の血で染まる事態へ発展するのは火を見るよりも明らかだ。


「……これを狙って大鼠達はここに逃げ込んだのか?」

「狙ってやったにしちゃァ、随分と捨て身な考えだと俺は思うぜ。他に狙いがあるって言われたほうがまだ納得できらァ」

「じゃあその狙いってなんだ?」

「それが分かれば苦労はしねェよ」


 積極的に事態へ介入する気はないのか、入ってきた通路の前から動こうともせず、意見を交わし合う二人が武器を抜くことはなかった。

 二人が武器を構えないのは、興奮している広間の冒険者たちを刺激して変に絡まれないようにするためなのだろう。

 しかし二人の視線は鋭く、いつでも得物を抜き放てるようにさり気なく武器へと添えられている。

 レイラも習って手斧をいつでも掴めるように神経をとがらせつつ、改めて大広間を見渡した。


 いがみ合う冒険者たちの様子は相も変わらずだが、時間が経つにつれ一触即発の張り詰めた気配はより高まっていた。

 広間に転がる無数の骸はだくだくと血を流し続け、レイラをして嫌気がさすほど淀んだ血臭に包まれている。

 背後の通路を含め、大広間の四方と繋がる通路からは後続が来る様子も反応もなく、この大広間に足を踏み入れたのはレイラ達が最後になるだろう。

 ざっと広間を見まわし、冒険者たちが殺し合いの一歩手前で睨み合ってること以外に不審な点はないとレイラが観察を結ぼうとしたとき、ふと気づく。


 尻尾が切られた状態で息絶えている大鼠がやけに多くないか、と。


 大鼠がこの広間へ逃げ込み、冒険者がそれを追ってきたのだとしたら、始末した大鼠の尻尾を切り取っていても可笑しなことはない。

 だが、今の雰囲気を見るに大広間の冒険者たちが悠々と証明部位を集めることが果たしてできるだろうか。

 仮にできたとして、最初の方にここへやって来た冒険者たちがお互いに干渉せず採取した数体分だけだろう。少なくとも通路付近に転がる死体は尻尾があるものが多くなるはず。

 なら何故広間全体に満遍なく尻尾のない大鼠の骸が転がっているのか。


 レイラが妙に引っかかる違和感を感じ取り、改めて広間の様子を観察しなおそうとしたときだった。

 冒険者たちの罵詈雑言に紛れ、水溜まりを踏みしめる小さな物音が鼓膜を揺らす。

 本当に小さすぎて、聞き取れたのが奇跡とも言える物音。

 だが音がした方向には冒険者はいなかったはずだが。

 そう思いながらレイラが振り向き、振り向いた姿のまま思考が凍り付いた。
















 そこには血に塗れた大鼠が、一匹立っていた。



















 冒険者が大挙してるからと魔力の範囲は絞っていたが、それでも周囲には常に魔力の糸を漂わせていた。

 立っている大鼠はその範囲に居るにも関わらず魔力感知に反応は一切ない。

 何よりに立っている大鼠の頭部は"真っ二つ"に切り裂かれ、到底生きていられるような状態ではなかったのだ。


「ッ?!」


 レイラが亜然としたのも束の間、死んでいるべき大鼠がレイラへと飛び掛かる。

 咄嗟に手斧を取るが、驚きに固まっていたせいで初動が僅かに遅かった。

 既に間合いの内側、手斧を振り下ろすには近すぎるところまで迫った大鼠を見て失態を悟る。

 舌打ちと共に握っていた柄を強く握りしめ、刃ではなく石突を大鼠の顔面へ側面から叩き込む。

 更に追い打ちを掛けるように膝で胴を蹴り上げ、締めるように浮き上がった大鼠を回し蹴りで大鼠を遠くへ蹴り飛ばす。


 咄嗟の連撃だったが、手応えはあった。

 石突、そして鉄靴に包まれた足には確かに大鼠の骨を砕き、骨に守られた内臓を潰した会心の感触――――






「嘘でしょう……」






 ――――だが、致命傷を与えたはずの大鼠は平然と立ち上がる。

 その立ち姿には疼痛も、痛苦も、痛痒も感じた様子はない。

 多少なりともダメージはあるのか僅かによろめいているようにも見えるが、それだけだ。

 最初から分かっていたことだが、明らかに生物の耐久力を遥かに超えている。

 レイラはこの異常事態を前に即座に柄を持ち直し、手斧へ魔力を流して臨戦態勢を整える。

 が、レイラが踏み出すよりも早くダッカの背によって視界が遮られた。

 そしてダッカの脇を抜けていくように、ガランドが剣を引き抜きながら駆け抜けていく。


「大丈夫かッ?!」


 二本の短剣を構えながら振り返っているダッカの表情には焦りが滲んでいたが、レイラが一つ頷くと表情を緩めて振り返る。

 更にはあの異常な大鼠の首を叩き落とし、返す刀で四肢を斬り飛ばしたガランドまでもが僅かに焦ったような雰囲気を持ってやってくる。


「無事か? 怪我はねェな?」

「え、えぇ。傷一つ負ってないわ。それより二人共急にどうしたの?」

「どうしたって、オメェ……」

「もしかして嬢ちゃん、気付いてなかったのか?」

「気付くってさっきの変な大鼠のことかしら? 確かに異常なほど生命力があったみたいだけど、それがどうかしたの?」


 レイラが首を傾げれば、ダッカとガランドは顔を見合わせてから揃って飽きれたような溜め息を吐き出した。

 その反応にムッとした表情を作れば、更に大きな溜め息を吐かれた。


「いいか、嬢ちゃん。アレはただの大鼠じゃない、亡者(アンデッド)化した大鼠だ」

「亡者? でも亡者って確か……」

「そうだ。陽光結晶の力が及ぶ範囲内だと亡者は自然発生しない」


 先の陽光結晶についての説明でもその効果が及ぶ範囲内では亡者は自然発生しないと聞いたばかりだ。

 なら何故その亡者がレイラに襲いかかってくるのかと疑問に思う間もなく、はたと気付く。

 そしてガランド達もレイラが気付いたことを察したらしく、表情を険しくして大広間を見渡した。


「だが、屍術師(ネクロマンサー)がいれば話は別だ。屍魔術(ネクロマンシー)で人為的に作り出した亡者で、低位の動死体(ゾンビ)ぐらいなら陽光結晶の効果範囲でも問題なく動けるんだよ――――」


 未だにレイラを襲ってきた大鼠以外に動き出す個体は見られないが、警戒するに越したことはないだろう。

 レイラも二人に倣って大広間全体を視界に収め、些細な変化も見逃さないように神経を尖らせる。


「――――でも亡者とそれを操る屍術師ってのは、太陽神を崇める太陽神教の仇敵。そうじゃなくても屍術は知ってるだけでも極刑ものの大罪だ。だから普通は人里離れた奥地で人知れず研究してるんだが…………ある集団を除いてな」


 ダッカがそこで言葉を区切ると、ガランドが忌々しげに唾を吐き捨てる。

 そして首だけとなってもなお動き、手近にいるガランドへ噛み付こうと藻掻く大鼠の頭を勢いよく踏み潰す。


「クソっタレの蛆狂いグラミジア共だ。こんなバカを仕出かす連中はなァ!!」


 怒髪天を突く勢いで怒気を滲ませるガランドに呼応するかのように、死んでいた筈の大鼠達が一斉に起き上がった。

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