3 その思考、枷につき――


 エレナが出した条件は四つ。


 一つ、成人として扱われる十五歳を迎えるまではエレナが選別した依頼を受けること。

 二つ、危険を孕む依頼は武器と防具をしっかりと揃えてから受けること。

 三つ、武器と防具は自分で稼いだお金で買い揃えること。

 四つ、冒険者として本格的に活動する前に、今後やっていける実力がある事をエレナに証明すること。


 エレナが出した条件を聞き、その程度の事ならとレイラは一二もなく了承の返事をした。

 そしてその日のうちに実力の証明としてガランドと言う名の古参の常連客と模擬戦を行い、大して苦労する事もなくエレナに実力を見せつけた。


 試合開始の合図と同時にほぼ最大限の身体賦活を自身に施し、速度でもって接近し、面食らっているガランドと数合刃を交わしたのだ。

 それ以来、エレナが表立ってレイラを説得してくる事は無くなった。


 あとは実質的に武具を買い揃えるだけ。

 そも、レイラは手斧と遊鬼ゴブリンから奪った戦斧の魔具だけで問題ないと思っていたのだが、最低限それらしい恰好をしろと素気無く却下された。

 既にエレナの方から妥協してきているため、レイラもここで強硬する必要性を感じず渋々ながらも妥協した。


 ただし一口に武具を買い揃えるだけと言っても、駆け出し冒険者が最初に直面する壁でもあった。


 なにせ武器や防具は基本的に高級品である。

 数打ちが普及し始めているとはいえ多くの武具類は手作りハンドメイドなのもあったが、なによりも武具自体が資産として扱われていることが大きかった。

 劣化がしにくく、大切に扱い、整備を怠らなければ数代に渡って受け継ぐ事が出来るのだから当然と言えば当然である。


 そのため最低品質の物を一式揃えるだけでも概ね二バーツと三〇〇ルッツ――――平均的な家庭の約二ヶ月分の収入に相当――――は掛かる。


 普通であれば約二バーツもの大金を貯めるには相当苦労するのだが、これに関してもレイラはあまり問題視していなかった。

 エレナが条件を出してきた時には既にレイラは幅広い人脈を形成しつつあったからだ。

 収入源の目処は複数あり、詰め所での事務仕事もその一つだ。

 更に危険を伴わない依頼―――例えば市壁の外にある農耕地を荒らす害獣駆除や迷子のペット探しのような雑用に近しい依頼―――を受けさせて貰えるようになってからは、日帰り出来る距離に限られつつも、街の外に出るのも容易になった。

 お陰で開拓村から脱出する際に村長一家から拝借・・したものの、子供が持つにはあまりに高級すぎるため隠さざるを得なかった貴重品を回収しに行けるようにもなったのだ。


 何より僥倖だったのは村長一家から拝借した貴重品を売れる先を偶然にも見つけられたことだろう。


 半年は掛かると踏んでいたのが三ヶ月と言う短い期間に短縮され、ようやく冒険者に成れる事実に僅かに足取りが軽くなる中、背後から早歩きでレイラを追い抜いていく男がいた。

 追い抜いていく男の横顔を見上げると、ちょうど目だけをレイラに向けていた男と視線が交差する。


「あら、ごめんなさい」


 そう言いながらにっこりと笑みを浮かべたレイラに男が怪訝そうな表情を浮かべた次の瞬間、レイラは男の手を掴みながら足を蹴り払い、男が抵抗する素振りを見せる間もなく引き倒す。


「うグッ」

「まったく、幼気な女の子から物を盗み取ろうなんていけない人。悪いことをしたら駄目ってママに教わらなかったの?」


 捻り上げている男の手にはレイラが腰に提げていた金の入った布袋が握られており、男が身じろぎするとシャラりと硬質な音がする。

 引き倒されてなお硬貨の入った袋を手放そうとしない男の執念に感心しつつ、袋を掴む男の指を擦りながらレイラは笑みを浮かべる。


「ねぇ、貴方。私、ここ最近この貧民街に入ると直ぐに貴方のような人に遭遇するのだけど、なんでか知らないかしら?」

「な、なんのことだか分からないな。お前がカモっぽいからだr――――ぎゃぁぁあああああ?!」


 男が惚けようとした瞬間、レイラはちょうど撫で擦っていた小指を逆方向に折り曲げる。

 そして額に脂汗を浮かべ、悲痛な叫びをあげる男の顔を踏み付けて黙らさると再び問いかける。

 しかし男は歯を食いしばって痛みに耐え、レイラに向けていた憎悪の視線を外して押し黙ってしまう。


 物盗りにしては意気地のある態度に笑みを深めたレイラは薬指をこれ見よがしに撫で擦り、指の可動域を〝広く〟させることにした。

 二度目の悲鳴が薄汚い道に響き渡るのも気にせず、レイラが中指を撫で擦ると男は慌てたように口を開いた。


「ちょ、チョロそうなガキが大金を持ってるって噂が流れてたんだよ!! ここらじゃ見ない真っ当な恰好した女のガキって噂だったんだ!!だからお前がその噂のガキだって思っただけなんだよ!!」

「そう。その噂が出始めたのはいつ頃から?」

「い、一ヶ月ぐらい前からだ!! な、なぁ、質問にはちゃんと答えたし、もうお前は狙わないって誓うよ!! だからもう勘弁してくれ!!!」

「まったく仕方ないわねぇ」


 レイラがため息とともに布袋を取り返し、男の手を掴んでいた力を緩めると男の表情に安堵の色が広がった。

 その瞬間レイラは男の中指をあらぬ方向にへし折り、脇腹を蹴り上げる。


「この辺りでスリをしてる連中に言っておきないなさい。次に私を狙った人は容赦しない、ってね」


 シャツの中に隠していた短剣を引き抜きながら男に歩み寄る。

 涙目になりながら咳き込んでいた男は青褪めさせた顔で何度も頷き、折れた指を庇いながら逃げるように走り去っていく。

 バタバタと世話しない足取りで路地の奥へと走っていく男の背を見送ったレイラが周囲に目を向けると、路端で座り込んでいた浮浪者たちが一斉に目を背けた。

 まるで化け物を前にしたような反応に肩を竦め、レイラは再び歩き始める。


「まるで狙ったかのように噂が流れてたのね。しかし一ヶ月前っていう時期が微妙ねぇ。ここを通るようになったのは二ヶ月前からだし、誰が噂を流したのかしらね……」


 レイラの中で噂を流した人物についてはおおよその見当はついていたが、時期が中途半端で噂を流した目的がいまいち掴めなかった。

 実力を測りたかったのか、それとも相手によって見せる態度を調べたかったのか。

 いくつか理由を挙げてみるレイラだったが、わざわざ噂を流すという迂遠な方法をとる理由にはならない気がしてしっくりとこなかった。


「しかし殺したいのにる気が起きないなんて、残滓の残滓のくせに本物の私レイラちゃんの影響は本当に煩わしいわね」


 レイラは今にも唾を吐き捨てんばかりに顔を顰める。

 この数ヶ月、レイラは情報収集に合わせて自身の変化についても把握していた。


 少女の魂を完全に飲み込んだ弊害は前世では持ちえなかった感情の獲得――常人に比べれば微々たるものだが――は勿論のこと、殺人衝動へ制限がかかっていたのだ。

 色々と条件はあるようだが、今分かっているのは概ね自身を殺すつもりのない相手、死に値する罪を犯していると認識できない相手を標的にすることができなくなっているようだった。

 推測の域を出ないが、恐らくは幼いながらも培われていた少女の倫理観に反する行動はできないのだろう。その条件を満たさない相手で衝動を解消しようとしても、身体が動こうとしないという不可思議な状態になってしまうのだ。

 今回も含め、襲ってきた物取りたちも少女の影響の対象になっていた。





 だが殺害衝動がなくなったわけではない。

 いや、衝動はより一層強くなったと言っても良いだろう。











 殺したいのに殺せない。














 殺せるのに殺せない。














 遊鬼や村長一家を殺す瞬間に垣間見た鮮明な感情の〝彩〟と甘美な快感を知ったレイラにとって、今の状態は眼前に極上の肉をぶら下げられながらお預けを喰らっている飢えた肉食獣の気分だった。

 そのせいでレイラの衝動は日ごとに増し、平静の裏で悶々とする日々を送っている。

 その上もっぱら目撃証言で罪を立証する程度の文明レベルとは言え、街中での私刑は認められておらず、例え正当防衛だとしても相手が指名手配犯でもない限り人を殺せば問答無用で罪に問われてしまう。

 悶々としているレイラと言えど周到に準備を進めた状態で〝狩り〟をするならともかく、突発的な状況かつ人の目がある状況で衝動に身を任せて物取りを殺す愚を犯すほど耄碌していない。


 ふと気を緩めると隠している本性が表に出そうになるのを堪えつつ、少女の仮面を被り続けるのはレイラをしてストレスの溜まる日々だった。


 少女の影響を掻い潜りつつ、目撃者がいない状況を作り出す。

 存外難しい条件をどう達成するべきか、歩きながら意識の割合を思案に傾けていたレイラ。

 そんなおぼろげな状態でもレイラの足取りはしっかりとしたもので、一つの家屋の前にたどり着くと思考を切り上げる。

 レイラが見上げる建物は周囲に立ち並ぶ家屋といたって変わらない普通のあばら家。

 看板などがあるわけでもないそこの前で足を止めたレイラは扉に手を掛け、躊躇いなく足を踏み入れる。


 あばら家の中は外見に違わず薄汚れた居間が広がっており、薄汚れた格好をした男たちが中央に置かれたテーブルでカードゲームに興じていた。


「おい、なに勝手に上がり込んでん――――ってなんだ嬢ちゃんか。今日は何の用だ?」


 勝手に上がり込んだ人物に気付いた男たちはカードゲームを辞めて腰を上げかけるが、入ってきたのがレイラだと気づくとカードゲームを再開させた。

 素っ気ない態度だったが、レイラも気にした素振りも見せず平然と部屋の中を闊歩する。


「今日も奥に用があるのだけど、ボロゾフさんはいるかしら?」

「あぁ、居るぜ。今日の符号は二の一の一だ」

「そう、ありがとう」


 つまらなそうに言う男に礼を言い、レイラは男たちの脇を抜けて奥の壁の前に立つ。

 そして伝えられた符号通りに壁を叩くと、何の変哲もなかったはずの壁の一部が僅かに動き、まるで忍者屋敷にあるような回転扉が目の前に現れる。

 毎度のことながらこのやたらと精度の高い絡繰りに呆れつつ、レイラは回転扉の奥へと進んでいく。



 回転扉の奥はさっきまでの薄汚れた部屋とは全く異なった様相となっていた。

 綺麗に整えられた室内は光を灯す魔道具によって明るく照らされ、光を反射するほど磨き上げられた床は清潔感を漂わせている。

 その様は一見すると大商会の店と見紛うほどのものだった。



 部屋を半分に割るように設けられたカウンターの奥、暇そうに頬杖をついていた男――――ボロゾフはレイラの姿を認めると気だるげに立ち上がる。


「いらっしゃい……って、なんだ嬢ちゃんか。今日は何の用で来たんだ?」

「いつも通り、希少品の買取よ」

「そうかよ。たまにはウチの品を買って売り上げに貢献してく気はないか?」

「生憎、今はお金が入用なの。買い物は次の機会にでもさせてもらうわ」

「あっそ」


 何時もと変わらない軽口を叩き合い、カウンターに歩み寄ったレイラは短剣と同じく隠し持っていた布袋をボロゾフの前に置く。

 中身は村長一家から拝借した指輪やネックレスなどの小物の宝飾品、それとレイラが故郷で密かに集めていた魔石たち。


 そう言えばと、レイラは魔石を入れた袋を見て双子神の侍祭が教えてくれたことを思い出す。

 〝人族〟と動物、蛮族と魔獣の違いは彼らを創造した神による違いがあるのだという。また造物主の違いだけでなく、蛮族全てが魔獣と同じように体内に魔石を有しているとも。

 だから人と似た姿をした蛮族と遭遇し、〝ヒト〟かどうかを知りたければ胸を掻っ捌いてみればいいと冗談交じりに侍祭が付け加えたのを聞き、さしものレイラでも苦笑いを浮かべたものだった。


 知らなかったとはいえ遊鬼達にも魔石があったのなら回収すれば良かったかしらと、鑑定が終るまですることのないレイラは慣れた動きで近場にあった椅子に腰かける。

 怠けたような態度でいながら真剣な目付きで鑑定しているボロゾフの顔を眺めながら、レイラはどうせ暇ならと思い出したように声を掛けることにした。


「そういえば、ここ最近貧民街に入ると物取りに狙われるのだけど、なにか心当たりはないかしら?」


 レイラが気軽にそういうと、ボロゾフの眉根が僅かに上がるのを見逃さなかった。

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