2 その街並み、文明の遺物につき――

 

 深淵アビスを超えてやって来た遊鬼ゴブリンの軍勢と、それに便乗する形で北方砦群の先にある最前線の開拓地へ侵攻してきた蛮族軍が撃退されてから四ヶ月近くが経とうとしていた。


「いやぁ、今日も手伝ってもらっちゃって悪いな。お陰で助かったよ」

「いえ、今の私にできる事があって良かったわ。時間が合えばお手伝いしますので、また声を掛けて下さい」


 バルセット城塞都市の北門。

 そこにある衛兵の詰め所の前で、他の衛兵と違って軽鎧に赤い帯をたすきのように肩にかけた男に向かってレイラは微笑みながらそう返す。

 そんなレイラに対して子供を見るような――――いや、実際に出来を自慢している子供を見る温かな眼差しを向けていた衛士長は、ふと思い出したように腰に提げていた布袋に手を伸ばす。


「おっと、渡し忘れるとこだった。ほら、今月分の手伝いの駄賃だ」


 ずっしりと重みのある布袋を渡されたレイラは中身を確認すると驚いたように顔を跳ね上げ、微笑みを浮かべる衛士長を見返した。


「こんなに貰っちゃっていいのかしら? 先月分より多いと思うのだけど……」

「なぁに、子供が心配する事じゃないさ。それにここだけの話だが、正規の事務員を雇った時よりは少ないんだわ。だからこっちとしては非常にありがたいんだよ」

「士長さんが良いなら良いのだけど……」

「それに店の冒険者連中に聞いたぜ。お金、必要なんだろ?」

「……うん」


 レイラは困ったような、それでいて気遣われた事への気恥ずかしさを混ぜたような曖昧な表情を浮かべながら小さく頷き、腰のベルトに布袋を括り付ける。

 そして今度は満面の笑みを浮かべて衛士長に抱きついた。


「ありがとう、士長さん!! 私に手伝える事があったらいつでも声を掛ください!! また絶対手伝いますから!!」

「わかった。そん時はよろしくな」

「それじゃあ、私はお店に帰るね!!」

「気ぃ付けて帰れよ」


 元気よく手を振り、走るような勢いで人垣の中へ入っていくレイラの背が見えなくなるまで見送ってから、衛士長はなんとも言えない表情を浮かべるのだった。


「……まったく。本人たっての希望とはいえ、あんな良い子が冒険者になる手助けをするってのは、どうにも後ろめたくて仕方がねーなぁ」


 割り切れない感情を誤魔化すように頭を掻く衛士長。


「まぁ、赤の他人の俺が口を挟む事でもねぇわな。さて、仕事に戻るか」


 だが直ぐに表情を普段の真面目な物に直し、職務に戻るのだった。





 ◇  ◇  ◇






 雑踏に紛れ、行き交う人々の間を縫うようにして進むレイラは衛士長に渡された布袋を玩びながら舌なめずりをする。


「やっぱり故郷を亡くしたって言うバックボーンは便利ね。それとも性別が女で、この顔がそれなりに整っている分類に入るからかしら?」


 不意に足を止め、大通りに面した商店の〝ガラス〟に写り込んだ自身の顔を軽く撫でるが、美人と言っても差し支えないその顔を疑問に歪める。


「……しかしいつ見ても技術の振れ幅が分野ごとに激しい街ね、ここは」


 かつての地球で当たり前のように使われていた、向こう側が透けて見えるほど透き通ったガラス。

 規格一面で作られ、大通りに面して並ぶ商店の殆どで使われているそれは地球で見たものと比べて遜色のないほど精巧な作り。


 だがそのガラスが嵌め込まれているのは木枠とレンガで組まれた石壁。


 ある程度整備されている大通りの近くはまだ良いが、大通りから外れれば、統一性の無いあばら家のような家が立ち並び、踏み固められただけの地肌が見える区画になっているだろう。

 更にレイラの足元、石畳の下には日本顔負けの上下水道が蜘蛛の巣のように張り巡らされているらしい。


「……神殿の侍祭が言っていたように、何度か文明が滅んでるってのもあながち嘘じゃないのかもしれないわね」


 故郷と家族を同時に失って落ち込んでいると思っていたエレナの勘違いを利用し、レイラは気晴らしの散歩と称してバルセットの探索と欠けた知識を補うために様々な場所へ足を運んでいた。

 その内の一つが、バルセット内に複数ある神殿である。


 ただ一口に神殿と呼ばれているだけで、実情はかなり違う。

 建物は聖堂と呼ぶのが相応しい佇まいで、そこを預かる司祭を長に侍祭や奉公人などが詰めているのだ。

 では何故、皆が神殿と呼ぶのかと言えば、八百万の神々と等しく様々な神々を崇め、それぞれの御柱を祀る最初の場所が神殿であったからだ。


 それに殆どの国が同じ神々を祀っている為、御柱を総じたナントカ教などのような呼び方をする必要がなく、探している御柱の名前と神殿と言えば大抵の国で求める神殿が見つけられると言う。


 そんな神殿だが主にそこで祀られている神々から授けられ、また神々の寵愛の証でもある"奇跡"を使い、怪我や病気を診る診療所のような役割を持っている。


 ただその他の役割として識字率が低く、生活その他諸々の知識が少ない庶民の相談所としても開かれている場所でもあった。

 レイラはそんな形で開かれている神殿の一つに足繁く通い、この世界について欠けていた知識をおおよそ補完することができた。


 夜空に浮かぶ双子月の化身とされ、自由と芸楽レイレターラ双月神ファスマニールを奉じている神殿―――奇しくもレイラの名前の由来となった神だ―――に居た侍祭たち曰く、この世界は三度も文明が滅んでいた。




 創造神とその眷属たる神族が地上を治めていた『神代』。



 創造神が姿を隠し、神族と地上が分かたれた『魔法文明時代』。



 壊滅的なダメージを受けて崩壊した魔法文明時代から人々が再興し、新たな技術でもって発展していた『魔導機文明時代』。




 そして魔導機文明時代が滅び、今レイラが生きている現代。




 各時代とも高度に発展していたようで、侍祭たちの話や〝羊の踊る丘亭〟の常連で『遺跡』に挑んだ事がある冒険者から聞き出した話を総合すると、かつての現代日本とそう変わらないか、下手すれば遥かに凌ぐ技術水準を誇っていたようだ。

 レイラの姿が映る透き通ったガラスや上下水道も、文明と共に失われた技術を再現した物なのだと言う。


 ちなみに各時代の遺物、あるいは技術によって作られた物。

 その上で使用するのに魔力を必要とする物を神代由来なら〝神器〟や〝祭器〟、魔法時代由来なら〝魔具〟、魔導機時代由来なら〝魔導機〟と呼ぶらしい。

 以前冒険者が持っていた魔銃は魔導機、遊鬼から奪い取った戦斧は魔具に当たるとも分かった。

 ただ知識のない者には区別が付けにくい物も多いため、総じて〝魔道具〟と呼ばれることの方が多いらしい。


「まぁ、便利な物があるのなら呼び方や由来なんてどうでもいいものね。町並みは想像以上に綺麗だし、上下水道があるお陰で魔法が使えなくても不自由しないのはいいわ」



 前世の世界で言えば中世から近代の中間ほどの時代にもかかわらず、想像を良い意味で遥かに超える町並みを再度見渡し、レイラは止めていた歩みを再び動かし始める。

 行き交う人々の姿を見つめ、その種々様々な姿に僅かに心が躍る。




 二足歩行をしている犬ような狼人ノルドル

 下肢が蜘蛛その物と言っていい――前世で言うアラクネや妖怪の女郎蜘蛛のような姿だ――蜘蛛人アルクラーナ

 大人を子供の背丈にそのまま縮小したような矮人フローレンリュート





 双子神の侍祭曰く、この世界にはレイラと同じ姿をした〝人種ヒュルト〟や蛮族以外にも数多の種族が生きており、それら全ては天にまします我らが太陽神の寵児であるという。

 彼らもレイラと同じ〝人族ヒューム〟ではあるが、前世と同じくあらゆる環境に適応力のある〝ヒト〟が様々な地域で優占種として席巻しているため彼らは〝亜人種デュルト〟とも呼ばれていた。


 街を行き交う種族以外にも四腕を持つ者、三面で周囲を見渡せる者など、まだ〝人族〟の支配の及ばぬ地域には見たこともない種族がいることだろう。

 遊鬼とも〝人種〟とも違うその出で立ちに、彼らの独特な風貌が今際いまわの際で見せてくれる感情の〝彩〟はどんなものなのだろうと想像するだけで、レイラの全身を甘い震えが駆け巡る。

 息を吐き出せば、甘く熱く熟れた呼気が大気に霧散していく。


 熱に浮かされたように甘い霞に覆われた思考のまま、レイラは歩き続ける。

 しかし向かう先は大通りをずっと進んだ先、内側にある第二市壁を超えた向こうに居を構える"羊の踊る丘亭"ではなく、その途中にある路地へと進路を変えた。


 活気に溢れていた大通りとは違い、疎らにしか人の姿が見えない道は一歩踏み込んだだけで、一枚壁を挟んだような遠巻きの喧騒に包まれる。

 そんな道を進むレイラの足取りは明確に目的を持った確かなもので、例え進むに連れ路端に転がるゴミが目に見えて増え、浮浪者然とした者たちが座り込んでいても変わらない。

 清潔に保たれていた大通りとは違い、鼻につく異臭に顔を顰めながら大きな溜め息を吐き出した。


「しかし冒険者になるのに面倒な条件を出してくるなんて、過保護というかなんと言うべきか、エレナ叔母さまも困った人ね」


 そう呟きながらレイラが思い返すのは二ヶ月ほど前の出来ごと。

 知識の補填もあらかた済ませ、本格的に欲を満たすために動き出そうとした。

 そしてレイラは武器を持っていても怪しまれず、自身の欲を満たしながら日銭を得られる冒険者と言う職に就く事にした。

 しかしその事をレイラの現保護者であり、かつこのバルセットにおける身元保証人であるエレナに伝えると、想定以上の猛反発を受けたのだ。


 冒険者と言う職が如何に危険で不安定なものなのかをこんこんと説明され、根気強く考えを改めるように説得された。

 だが欲望を満たすために既に動き出していたレイラが首を立てに振るはずもない。

 そも蛮族と言う狩り・・の標的にしても罪に問われないどころか、賞賛され報奨金すら出されることを知ったレイラが冒険者になるのを諦める訳がない。


 相反するエレナとレイラの主張は平行線を辿り、レイラが安定した生活拠点であるエレナの元から離れて冒険者になる選択も考慮し始めた頃。

 あれほど頑なだったエレナの方から妥協案が出されたのだ。

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