二章 その街、バルセット城塞都市につき――

1 その伯母、悩みにつき――

 

 バルセット城塞都市。

 アルブドル大陸に存在する人族の支配が及ぶ領域の中心的都市であり、いくつも存在する開拓村とも繋がる開拓の要所でもある。

 そんな様々な人が行き交い、国の首都とも見紛うほど活気に満ちたバルセットの街中に一つの酒場が居を構えていた。


 〝羊の踊る丘亭〟


 流行り廃りが激しいバルセットにおいて三代に渡って受け継がれ、数多ある酒場の中でも住人にオススメを聞けば一定数は必ず名前を上げるほどの有名店。

 冒険者たちが通い、また彼らの手腕を宛にした依頼が集う店である事を示す青と赤の旗を掲げる〝羊の踊る丘亭〟。


 その店内でまだ太陽が燦々と輝く時間だというのに、酒を片手にガヤガヤと賑わう店内を見渡しながら、店主であるエレナ・ブランタムは眉間に皺を寄せながら大きな溜め息を吐き出した。


「おいおい、人が景気よく呑んでるってのに辛気臭い溜め息を吐く店主がいるかよ」

「はんっ、景気よくってんならたまにはコレぐらいの酒を頼んでから言うんだね!! なんなら羽振りの良いアンタの為に栓を開けてやろうかい?」


 そう言ってエレナが常連の男が座るカウンターに叩き付けたのは六十年物の蒸留酒の瓶であり、未開封のものであれば一本で一月分の生活費が消し飛ぶ高級品だった。

 例え一杯だけだとしても二、三日分の食費が軽く消し飛ぶ酒を出され、一瞬で顔を青くした男を見ていた横に座る男の仲間たちは苦笑いを浮かべて助け舟を出す事にした。


「まぁまぁコイツも悪かったが、女将もそうカッカするもんじゃないと思うぜ」

「確かにあの娘を引き取って女将にも色々あるんだろうけどさ、怒ったところで直ぐにどうこうなるもんじゃないだろ?」

「そうそう。額に角はやしても物事は好転しないよ女将」


 そっと庇うようにカウンターに陣取っていたい男たちは宥めるようにエレナに声を掛けると、流石に悪いと思ったのかエレナは一言謝ると酒瓶を仕舞い、代わりにジョッキに注いだエールを四人の前に置く。


「……確かにちょいとやりすぎだったね。悪かったよ」


 ぶっきらぼうな謝罪の言葉に男たちは苦笑いを浮かべつつ、無料ただで提供されたエールに口を付けながら揃って首を傾げた。

 珍しく不機嫌さを隠そうともしないエレナの態度を疑問に思いながら顔を見合わせ、その原因となりそうな事柄が一つしか思い浮かばなかった男たちは疑問を口にする。


「しかしなんだってそんなに荒れてるんだよ。見た感じ真面目そうないい娘じゃないか」

「確かに。あんまり女将を困らせるような事を言うタイプには見えなかったけどなぁ」

「それにあの娘を預かってから今まで仲良さそうだったじゃん。それとも最初の様子は化けの皮だったのか?」


 すると今度はエレナが苦虫をまとめて十匹ほど噛み潰したような渋い顔を浮かべるのだった。


「あの娘は今でもいい娘だよ。店の手伝いどころか家事全般は積極的にしてくれるし、文字の読み書きが下手な見習いよりできるからって、今日みたいに時々衛兵の詰め所とかで書類作りを手伝ってるんだけど、評判が良すぎて事務員として働かないかって勧誘を受けてるぐらいさ」

「じゃあ何があったんだ?」


 男が更に問いかけるとエレナは顔をより顰めた。

 そして言い淀む素振りを見せるが、深い深いため息を吐き出した。


「………………あの娘、最近冒険者になるって言い出して聞かないのよ」

「あぁ……」


 エレナが不機嫌になっている原因を知り、男たちはなんとも言えない表情を浮かべながら再び顔を見合わせた。

 男たちも一応一端の冒険者であり、それをある意味で悪く言われるのは気持ちよくはない。

 だが、それと同時にエレナが言わんとする事も分からなくはなかった。


 なにせ冒険者とは魔獣を倒し、蛮族を殺し、遺跡や迷宮、深淵アビスのような危険な場所に挑む者たちを総じて人々はそう呼ぶが、その内情は言ってしまえば荒事主体の日雇い労働者である。

 吟遊詩人に歌われる英雄譚が実在するように、冒険者として成功する者はいる。

 貴族もかくやと言わんばかりに豪勢な生活を送る者もいれば、実際に叙爵される者も少ないながら実在もする。

 故にそんな彼らの逸話や冒険譚を聞いて冒険者を志すものは少なくない。と言うよりも駆け出しの大半はその手の夢見る少年少女バカ共だ。


 だがバルセット近郊――というよりもバルセット城塞都市のあるアルブドル大陸でだが――には高価な遺物や魔道具のある遺跡、常に挑める迷宮ラビリンスの多くは蛮族の支配領域にあり、高額収入どころか安定した収入を期待するのも難しい。

 ほとんどの冒険者はその日暮らしのような生活を送り、冒険者の実力や知識を求めてやってくる雑事のような依頼――当然報酬は安い――で糊口ここうを凌いでいるのだ。


 そのせいで冒険者の生活は非常に不安定であり、冒険者としての仕事だけで食うに困らない生活を送れる者は少ない。


 また彼等を一括で管理する組合のような物もない。

 だから怪我などで依頼を受けられなくなってしまえば、生活の糧も失ってしまう危うい職業なのだ。


 それ故に大抵の冒険者は厳しい現実に打ちのめされ、当初の憧れなど忘れてしまう。

 それでも冒険者を続けている者がいるのは、傭兵団や衛兵などの募集員スカウトの目に溜まりやすくするためであったり、開拓団に参加するためのコネを得るためだ。

 つまり冒険者とは次の職への中継ぎであり、腰掛とする者が多いのだ。


 もちろん全員が全員そうではないし、実力さえあれば冒険者としての活動だけで生活できる者もいる。

 そして〝羊の踊る丘亭〟を利用している冒険者たちは、その活動だけで生活を送れる者たちだ。


 しかしそう言った者たちの受ける依頼は常に死が隣で手ぐすねを引いて待ち構え、いつかドジを踏んで冥府へ旅立つかも分からない危険なものばかり。

 それだけでも冒険者になると言われれば頭を悩ませるには充分だというのに、もう一つエレナの頭を悩ませる要因があった。


「それにあの娘、自覚があるかのかないのか分からないけど、大分男好きのする顔つきになってきてるじゃないか……」

「あぁ、あの嬢ちゃんの顔じゃあ心配にもなるわな」

「ただでさえ女の冒険者は少ないもんなぁ……」

「下手な奴らと一党パーティーでも組もうもんなら――いや、たとえ組まなくても即行襲われるな」


 冒険者は荒事を主体としているだけに、多くを占めるのは男である。


 そしてレイラの容姿はまだ僅かに稚さの残る顔立ちをしているが、いずれは大輪の花を咲かせる蕾のように美しさを滲ませ始めている。

 あと数年もすれば、きっと貴族や富豪から妾にどうかと声を掛けられるようになるだろう。


 所作も何処ぞの令嬢と見紛うばかりに堂に入った楚々としたもので、着る服を変えれば辺境の開拓村出身だと思う者は誰一人として居ないに違いない。


 それに加え、年にそぐわない大人びた口調を使っている姿は背伸びをしたがる子供を見るような微笑ましさと、それでいて様になっている姿は年齢不相応でどこか怪しげな妖艶さを醸し出す不思議な少女だった。


 そんな少女を血の気の多い男たちの中に放り込めば、どういう目に合うかなど想像するに難くない。


「説得はしてみたのか?」

「可愛い姪っ子相手にアタシがしないと思うかい?」

「だよなぁ……」

「どんな職なのか詳しく説明しても首を縦に振ってくれないんだよ。まぁ、故郷と家族を蛮族に奪われたんだから、冒険者になりたいって気持ちも分からなくはないんだけどねぇ……」

「うーん、それは難しいなぁ……」


 冒険者たちとは正反対の楚々とした仕草や、全てを失ったせいなのか浮世離れした儚さを持ったレイラは既に〝羊の踊る丘亭〟の看板娘になっていた。


 常連は勿論のこと、エレナの妹であるミリスを知る古参の冒険者たちからもレイラは可愛がられていた。

 そんなレイラにまつわる事だけに訳を聞くだけのつもりだった男たちだったが、次第に同情的になり、いつの間にか一緒になってどう説得するかを考え始めていた。


 しかしレイラの親族であり、冒険者を間近で見てきたエレナの説得が通じない時点で上手い説得方法が思い浮かぶことはなく、交わされた意見は全て無駄になることは目に見えていた。

 そうしてジョッキに注がれたエールの白い泡が無くなっても解決策が思い付かないでいると、カウンターの端に座っていた大柄な男が五人の元に近づいてくる。


「なぁ、エレナよォ。ホントに嬢ちゃんを説得する必要あんのか?」


 大柄な男――――常連の中でも最古参の一人であり、エレナが店を受け継いだ頃から〝羊の踊る丘亭〟の利用しているガランドの発言にエレナは片眉を吊り上げた。


「……そりゃあどう言う意味だい、ガランド?」

「そのままの意味さ。ちょいと小耳に挟んだが、嬢ちゃんは一人で魔具持ちの遊鬼ゴブリンを殺ったんだろ? それが本当なら下手な駆け出しより実力はあるんだから、そう心配するこたァねぇだろ」

「そりゃそうかもしれないけど……」

「それによォ、あんまりこう言うこたァいいたかねェが―――」


 人生経験豊富な人物の言い分を聞いても未だに不服そうにしているエレナに対して、ガランドは頭をポリポリと掻いてから言い難そうにしながらもハッキリと言葉にするのだった。


「――――少しぐらい妥協する姿勢を見せとかねェと、ミリスと同じように此処を出て行っちまうぜ?」

「なッ?! なんでそう思うんだい!!あの娘はミリスとは―――」

「確かに嬢ちゃんはミリスとは違うがよォ。オメェの事だから必死に説得したんだろうが、それでも首を縦に振らなかったんだろ? その頑固さはモロに母親譲りじゃねェか。見た目も頑固さも似てる娘が、あん時と同じような事されたら、母親と同じ事をする可能性は十二分にあると俺ァ思うぜ?」

「それは……」


 ミリスの事を知らない男たちは頭に疑問符を浮かべていたが、当事者であるエレナは言葉に詰まって反論できなかった。

 唇を噛み締めて俯くエレナの脳裏に、過去の出来事が鮮明に蘇る。


 それは二十年近く前のできごと。

 ミリスが結婚したい人が出来たと言って、まだ冒険者稼業に身をおいていたダルトンを連れてきた時の事だった。


 てっきり結婚を祝ってくれると思っていたミリスの予想に反し、エレナは二人の結婚に大反対したのだった。

 それでも結婚したいと主張するミリスと、絶対に冒険者との結婚なんか認めないエレナの主張は平行線を辿り、後に古参の常連たちの語りぐさになるほどの大喧嘩へと発展した。


 その喧嘩は数ヶ月も続き、その深刻さと双方一歩も引かない姿勢に堪らず客たちが仲裁を考え始めた頃、思わぬ方面から事態は動き出した。


 結婚したいと言っていたダルトンがミリスに別れを告げ、冒険者の引退と共に開拓団の一員としてバルセットから離れた所へ向かうと言い出したのだ。


 突然の事にミリスは意気消沈して塞ぎ込み、二人の喧嘩は唐突な形で持って幕切れしたのだった。

 予想外の展開ではあったが自分の信じる主張に添う結果にエレナは満足していたが、再び事態は思わぬ方向へ転がりだした。

 ミリスは数日も塞ぎ込んでいたかと思えば、ある日突然手紙を一枚残して身一つで開拓へ向かって出発したダルトンを追いかけて出ていってしまったのだ。


「……じゃあ、アタシはどうすりゃいいって言うんだい?」


 両親を早くに失い、姉妹二人で支え合った生きてきた。


 そんな妹の出奔。


 空っぽになったミリスの部屋を見て愕然とした当時の複雑な心境まで蘇ったエレナは、筆舌尽くし難い表情を浮かべて俯くことしかできなかった。

 そんなエレナを見ながら仕方ないと言った表情を浮かべたガランドは咳払いと共にニヤリと口角を上げる。


「まァ、俺も嬢ちゃんを心配する気持ちも分からなくはねェ。だからちょいとばかし冒険者になる条件を出してやりゃいい」

「……条件?」

「あァ。きっとコレなら例え条件を満たせなかった嬢ちゃんも少しは諦めが尽くって案が一つな。 仮に条件を満たしたとしてもちょいと工夫すりゃあ、オメェの心配も多少は紛れると思うぜ?」

「……それ、どんな案だかちょいと聞かせてご覧よ」

「それはな――――」


 そう言ってガランドが出した条件を聞き、よくよく吟味したエレナは渋々ながらもその提案に乗ることにした。

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