19 その追跡、終幕につき――
元々は近くにあった森林から伐採した材木を街へ運び、帰りに日用品などを満載にして帰ってくる獣車は比較的大きく作られていた。
だが今では人の頭を一口で噛み砕けそうな狼が荷台でのたうち、隅で立ち上がろうとしては失敗している女。
そして村長たちが逃げる際に積み込んだ荷物で荷台は大半が占領されいた。
そんな状態であるせいで、
しかしその殆どない距離でも、僅かの差で長い柄を持つ戦斧を握る遊鬼の間合いだった。
振り上げられた遊鬼の戦斧を目視したレイラは今まで使っていた量を遥かに超える魔力で全身を満たし、相手を自身の間合いに収めるべく即座に踏み込み、同じく手斧を振り上げる。
かつてない程に魔力で強化されたレイラの体は目にも止まらない速度をもたらしたが、先に動いていた遊鬼の間合いを掻い潜るには僅かに足りなかった。
「ッ!!」
身体と同時に動体視力と思考速度まで強化され、周囲の動きが倍の時間にまで引き延ばされたようにすら感じるほどゆっくり進む中、レイラは自身に迫る白刃に舌打ちを漏らす。
それと同時にレイラは左手に持ったままだった、ほとんど柄しか残っていない短剣を手首のスナップだけで遊鬼に投げつける。
『Yiu yinqensuyioenou nenaqot!!』
だが投げた短剣も僅かに戦斧を動かし石突で軽く弾かれ、すぐさま軌道修正された刃がレイラへと迫る。
その挙動で刃が到達する時間に僅かに遅れが生じた。
瞬き一つ分にもならない僅かな遅滞だったが、それだけで十分だった。
更に踏み込んだレイラは遊鬼を間合いに捉え、即座に手斧を振り下ろす。
攻勢で無防備になっていた脳天をかち割る軌道を辿る刃だったが――――
ガキィィィィイイン!!
――――紙一重で生物の頭蓋とはかけ離れた硬質な手ごたえと金属を打ち据える耳障りな音がレイラに伝わった。
「へぇ、これも防ぐのね。流石と言うべきかしら……」
確実に仕留められる一撃だったが、そこは相手も然るもの。
投石を軽々と
遊鬼は自身の間合いの内側に入り込まれたのを認めるや否や、攻撃を中止し、即座に手斧との間に戦斧の柄を滑り込ませて防いでいたのだ。
レイラはそのまま魔力で底上げされた身体能力にあかせて鍔迫り合いに持ち込む。
だが体躯に差はないにも関わらず、遊鬼も魔力で身体賦活をしているのか、魔力が漲っている状態でも押し勝つどころか少しずつ押し返されていた。
「なかなかやるわねッ」
『Ceniaqwen zozurstenmg iurnen!!』
手斧を両手で持って押し込もうとしても、レイラを上回る膂力で押し返されつつあるレイラは顔を顰める。
逆に押し込んでいる遊鬼は自分の優勢を悟ってニヤリと口角を吊り上げた。
じりじりと趨勢が移り変わりつつある中、ふっと気が抜けるようにレイラが歪な笑みを浮かべる。
『ッ??――――ッ?!』
遊鬼がその状況に不釣り合いな笑みを怪訝に思った直後、下から突き上げるような強烈な衝撃と痛みが全身を駆け巡った。
一瞬でも意識を飛ばしかけた遊鬼が視線を下げると、自身の股間に減り込んでいたレイラの膝が引き抜かれる光景が目に入る。
脚の力が抜けたように膝から崩れ落ちる遊鬼を見下ろし、レイラは手斧を振り上げる。
「人型なら種族は違えど股間が急所なのは一緒なのね、勉強になったわ。ありがとう、そしてさようなら」
口の端から泡を垂らし、今にも気を失いそうになりながらも一矢報いようとしたのか、弱弱しく振り上げられた戦斧をレイラは無慈悲に抑え、お返しとばかりに手斧を振り下ろす。
『Eaqno yiu……』
恨めし気な目を向ける遊鬼の悪態を最後に脳天へ叩き込んだレイラは遊鬼から戦斧を奪い取り、食い込んだ手斧を引き抜くのに合わせて死体を荷台から蹴り落とす。
「あら、さっきまであったのに刃が無くなってるわね。何か条件があるのかしら?」
ゴロゴロと転がりながら後方に流れていく遊鬼から視線を外し、戦利品に目を向けると、さっきまでは確実にあったはずの光る刃が無くなっていた。
ただの鈍色をした背丈ほどもある棒になった戦斧を興味深げに軽く調べてみたものの、スイッチに該当する物は見当たらず、それどころか刃があった部分には刃が出てくる仕掛けらしき物も一切見当たらなかった。
本当にただの棒にしか見えない戦斧を持ちながら、興味本位で魔力を流してみると、遊鬼が持っていた時と同じ刃が唐突に現れる。
「魔力に反応して出る仕組みなのかしら? それともこの刃自体が魔力で作られてるのかしら?」
淡く光る刃をマジマジと観察しながら呟くが、答えを知っている者は既にこの世を去っている。
試しに刃の腹を指で弾いてみると、ガラスのような硬質な感触が返ってきた。
「まぁ、使えるのなら何でもいいわね」
どういう原理なのか興味は尽きないが、答えを得るのが不可能な以上は考えていても仕方なく、その切れ味だけは身をもって知っているため問題ないと割り切った。
そして手斧を腰に提げ、戦斧を担いだレイラは今や死に体になっている狼の元に歩み寄る。
「〝コレ〟の試し斬りには丁度いいわね。ついでに貴方をご主人さまの所に送ってあげるから、私に感謝して逝きなさいな」
そう言って肩に担いだ戦斧を狼の首に勢いよく叩き込むと、するりとバターを切るように狼の首が宙を舞う。
荷台の外に飛んでいった首に興味を示すでもなく、戦斧の切れ味に満足げに頷くレイラ。
だが勢い余って荷台の床板まで刃を食い込ませてしまったのを見つけ、思わず苦笑いを浮かべる。
「切れ味が良いのはいいけど、あまり良すぎるのも考え物ね。それに私の体躯だとちょっと長くて使いづらいわね。まぁ、そこら辺は追々考えていくしかない、か」
そう締めくくったレイラは戦斧に魔力を流すのを止めて刃を消し、獣車の後方から新手が来ていないこと確かめてから体に流していた魔力も止める。
すると立っているのも億劫になる疲労感がどっと押し寄せてくる。
ふらりと倒れ込むように荷台の縁に背を預け、自然と落ちようとする瞼に抗いつつ、多量の血を荷台に流している狼の死体を見て苛立たし気に舌を鳴らす。
鉄さび臭い血臭は好むところではあったが、身体を休めている時まで濃厚なものを嗅ぎたくはなかった。
どうしたものかと考えていると、自分以外にもう一人居ることを思い出したレイラは荷台の隅に目を向ける。
「ねぇ、貴女。そこの狼の死体、捨てといてくれないかしら?」
「わ、私?!」
「荷台には私と貴女しかいないんだから貴女に決まってるでしょ?」
「……で、でも」
「私、今、もの凄く疲れてるの。だから問答するつもりはないわ。狼の死体を捨てないのなら、代わりに貴女が獣車から降りる?」
「わ、わかりましたッ!!」
躊躇う女に苛立ちを隠そうともせず、レイラは手斧に手を掛けながら立ち上がる素振りを見せると、女は慌てたように狼の巨体を捨てようと動き出す。
嫌なら最初から動けばいいのに、そう思いながら舌打ちを漏らし、レイラはビクつく女から視線を切って遠くで立ち昇る黒煙を見る。
何ともなしにその黒煙を見ていると、不意に胸に理解不能な感情が湧き上がる。
「まったく。折角、
レイラはそう呟きながら慟哭を伴う激しい感情が理性を上回る前に押さえつけ、今度こそ落ちようとする瞼に抗うことなく意識を手放すのだった。
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