20 その日、新たな始まりにつき――

 

 アルブドル大陸の流通の中心であり要所、バルセット城塞都市。



 今日も多くの人々が暮らし、また各領地や開拓や蛮族との生存を賭けた争いの最前線へ向かう者たちが喧騒を生み出す活気にあふれた街並み。


 そんな賑やかな通りを行き交う人々を掻き分け、エレナ・ブロッサムは北門にある衛兵詰所に向かって走っていた。

 額には汗が浮かび、息は切れ、色濃い疲労が浮かんでいた。それでもエレナはひた走る。

 彼女の意識は先ほど衛兵が持ってきた手紙に書かれていた内容で一杯だった。



『村が遊鬼の大軍に襲われた。

 俺や居合わせた冒険者は村の連中を逃がす時間稼ぎをしようとしたが、向こうには戦術に長けた遊鬼がいて、俺たちが村の外に討って出る間に別働隊が村を襲い始めた。

 慌てて村に戻ったが、ミリスは既に殺され、本隊の連中に深手を負わされて、俺もお前の所まで逃げる力は残っていない。ただ幸いレイラは無事だった。

 子供を一人でお前の所に行かせるのがどれほど危険なことなのかは分かっているが、もうこの村にレイラを街まで送っていける人間はいないだろう。

 だから、だからもし、この手紙をレイラが無事に届けられたのなら、レイラの面倒を見てやって欲しい。勝手なのは分かってる。でも頼れるのはもうお前しかいないんだ。

 それとミリスを護るって約束を守れなくて、すまなかった。


           ダルトン』



 殴るようにして書かれた文字と、滴り落ちたと思わる血で汚れた手紙。

 読むのに一苦労したが、その手紙は間違いなく妹の夫が書いたものだった。何度も読み返し、なんとか理解したとき思わず手紙を握り潰してしまった。

 手紙を持ってきた少女の身柄は北門の詰所で保護していると、息せき切る衛兵が伝えた瞬間、エレナの行動は決まった。


 昼間から酒場に屯している常連共を店から叩き出し、従業員に緊急の案件だけ応対するように言付けて走り出した。

 汗だくになりながら北の詰所に到着し、手紙の届け人がいると言う場所にトロトロと案内する衛兵の尻を蹴りあげて急がせる。

 そして妙に慌ただしい詰所内を進み、アソコだと部屋を指されれば、尻を摩っている衛兵を押しのけて部屋に飛び込んだ。


 そこは簡素な一室。

 テーブルぐらいしかないその部屋に、薄っすらと妹の面影のある少女がいた。

 少女は眠っているのか、器用に椅子の上で縮こまるように膝を抱えている。

 俯き加減で顔は見ずらかったが、間違いなく自分の姪―――レイラだった。


「あぁ、レイラ!!」


 思わず駆け寄り、ギュッと抱きしめても姪は目を覚まさなかった。

 まさか酷い怪我や病気でもしているのだろうかと背筋が冷たくなる。

 しかしよく見れば頬が痩け、髪の艶は失われてこそいるが、目ぼしい異常は見つからず、小さな寝息が聞こえてくる。


「心配しなくても、疲れて寝ただけだ」


 人心地付いた思いで大きな息を吐き出していると、エレナの安堵を後押しする声がした。レイラに気を取られて気付かなかったが、声の主はレイラの対面の席に座っていた衛兵だった。


「ほとんど飲まず食わずで開拓村からここまで来たらしくてな。軽く食事をしたらあっという間に眠ったよ」


 一先ず心配はなさそうだと判断してレイラを解放するが、そこではたと気付く。

 レイラが着ている服は衛兵たちに配給されている簡素なシャツ一枚。下着すらつけていないようだった。

 思わず対面に座る衛兵を睨みつける。


「何を考えてるかは知らんが、天に御わす騎士にして秩序の神ダリムエル様に誓って変な事はしていないと断言する。ただその子の格好が酷かったから着替えさせただけだ。大の男用のシャツが一枚なのは下着もズボンも大きすぎてまともに履けなかったからだ」


 そう言われてレイラを見ると、シャツは大きすぎて今にも肩から落ちそうだった。記憶にあった姪よりも随分と大きくなっていたが、男物の服を着れるほど大きくはなっていないらしい。


「まったく、こんなヤツれた娘を尋問室に入れたままなんて、随分と酷い衛兵がいたもんだ」

「仕方が無いだろう。手や顔は此処に来る着くに小川で洗い流したんだろうが、服は返り血まみれ、挙句手には血の染み込んだ手斧を握ってれば警戒するなという方が可笑しい」

「それでも眠ったこの子を医務室のベッドに移すことぐらいできただろうに。まったく、相変わらず気の利かない男だよ」


 レイラの尋問をしていた男は知り合いだった。

 かつては冒険者としてエレナの経営する酒場で依頼の授受をしていた男。

 奔放な冒険者が多い中では珍しく生真面目だったのを覚えている。

 生真面目すぎて融通が効かず、何かと揉め事を起こす人物でもあったが、結婚を期に衛兵へ転職してからほとんど会っていなかった。

 ただ、その生真面目さは結婚しても相変わらずのようだ。


「それで、その子はアンタの姪で間違いないか?」

「えぇ。覚えてた姿より結構大きくなってるけど、間違いなく私の姪だよ。寝顔が妹にそっくりだ。でも何でそんなに警戒してるのさ。街の中に入れたんだから蛮族の可能性は低いだろ?」

「そうなんだが……口で説明するより見てもらった方が早いな」


 そう聞けば男は無言で立ち上がり、部屋の隅に置かれていたものを目の前に持ってくる。

 それは開拓村では至って普通の───主要都市では粗悪とされる粗い作りの子供用ワンピース、素人が自分でけずり出したような手作り感溢れる柄の付いた手斧。

 そして金属製の棒のような何か。

 状況と男の口振りからして、恐らくレイラのものなのだろう。


「これがどうしたのさ?」


 顎で確認するように促され、訝しげにしながら片方ずつ手に取ってみる。

 レイラが身につけていたらしいワンピースは、前側が何かの血で酷く汚れていた。

 何日も前に浴びた血なのか、固まっていてカサついた手触りだった。

 そして手斧は普段使いのものを護身用としてレイラが持ってきたのか、生活感のある傷が至る所に出来ていて使い込んだ跡こそあるが、特に珍しい作りをしている訳でもなければ、希少金属で作られている訳でもない。

 こちらも至って普通のものだった。

 唯一由縁の分からない物と言えば金属製の棒だが、よくよく見ると棒には薄っすらと何かの文様が刻まれていて、それが魔具と呼ばれているものだと分かる。

 逆に言えばそれだけであり、だからどうしたと言わんばかりに男を睨めば、男は大きなため息を吐き出して手斧の柄と刃を指さす。


「よく見ろ。こことここ、洗い流してあるが血でできた染みがある。それに刃の付け根に血糊が残ってる」


 要領を得ない男の物言いに眉を潜める。言われた場所を見れば、確かにそれらしい痕跡がある。

 しかし、それがどうしたと思わなくもない。辺境であれば魔獣や蛮族以外にも野生動物なんかも腐る程いる。

 力のない子供が捕まえた小動物の首を落とすのに手斧を使わない事もないし、辺境では人手が慢性的に不足しているから子供もそういった仕事に駆り出されるのも珍しくない。

 手斧に血がついていた所で別段可笑しな事ではないだろうと男を見返すが、男は真剣な眼差しのまま手斧に染み付いた染みを撫でる。


「その子の口から直接聞いたが、村を襲った遊鬼を一人で何体か仕留めたらしい。手斧についてる血糊の色も遊鬼の体液と符合するし、その時のもので間違いないだろう。それにこの魔具に至っては返り討ちにした遊鬼が使っていたものだそうだ……なぁ、年端もいかない開拓村の子が、遊鬼を仕留められるか? それも戦う為に作られた剣や戦斧じゃなくて、なんの変哲もない手斧で、魔具を持っている相手を、だ」


 駆け出しの冒険者でも遊鬼程度なら倒せる。

 ただし、ほとんどの駆け出し冒険者は成人しており、曲がりなりにも武器や防具と呼べる物を揃えている。

 それは冒険者が利用する酒場を営んでいるエレナが一番知っていることだった。

 確かにレイラの証言が本当ならかなり異常なことだろう。

 それでも、エレナは決意をもって男を見返した。


「だからどうしたって言うのさ。確かに遊鬼を一人で倒すなんて普通の子には出来ないかもしれないよ。でも、この子は妹の遺した宝で、私の最後の血縁者だよ。私は絶対にこの子の保証人になるし、もしこの子を街に入れないって言うなら、私にも考えがある」


 男と睨み合うが、すぐに男の方が折れた。


「別にその子を街に入れないとは言わないし、状況的にも言えない。それにアンタを敵に回すと怖いしな」


 だっだら紛らわしい言い方をするんじゃないよ。

 そうムクれながら言うが、男は肩を竦めるだけで反省した様子は見られない。エレナは溜め息を吐き出して姪を迎えられる事に安堵した。

 しかし不意に男へ視線を戻すと、男は今までに無いほど真剣な眼差しをレイラに向けている事に気が付いた。


「どうしたのさ、そんなにこの娘を見つめて」

「いや……ただ注意だけはして欲しい。これは俺の勘だが、きっとその子はいつか大きな事をする気がするんだ。それも俺には想像もつかないような大きなことだ。だがそれが正しい事かどうかは分からない。だからその子が道を間違わないよう、しっかりと面倒を見てやってくれ」

「アンタに言われなくても、この子の面倒は私がしっかりと見るさ」


 間髪入れずに答えれば、疲れたようにため息を吐き出し、男は二枚の書類を取り出した。


「………これは保証人になるのに必要な書類だ。後で街で暮らすのに必要な書類を届けさせるから、その子が元気になったら詰所まで一緒に持ってきてくれ」

「わざわざすまないね」

「なに、これも仕事の内さ。俺は別の仕事があるからもう行くが、今渡した書類は帰る時にでも受付に出してくれ」


 男はそう言って尋問室を後にした。

 姪と二人っきりになったらエレナは、泥のように眠っているのレイラの髪を優しく撫でる。


「……アイツの勘はよく当たることで有名だったんだけど、アンタは一体どんな事をするんだろうね」


 穏やかに眠っているレイラが大層な事をするとは思えないが、男の注意をしっかりと心に刻んでおく。

 そして書類に目を通しながら、今後何が必要になるかを考えつつ必要事項をエレナは書き込んでいく。

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